ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

“おかあちゃん、イツカ、向コウデ会オウ”………と。

2015-03-21 06:48:57 | 日記
お彼岸なので お墓参りへ行って来ました。
“暑さ寒さも彼岸まで”
の通り、暖かな お日和でした。

先日、長女がやって来て、おしゃべりのさなかに、
“おさだひろしの、「イツカムコウデ」っていう詩が好き”と、言ったのです。
長田弘さんは私の好きな詩人の一人です。
あぁ、そういえば、そんなタイトルの詩があったっけ、と思い、「詩集」をめくりました。

   『イツカ、向こうで』
                     長田 弘

   人生は長いと、ずっと思っていた
   間違っていた。愕くほど短かった。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   なせばなると、ずっと思っていた。
   間違っていた。なしとげたものなんかない。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   わかってくれるはずと、思っていた。
   間違っていた。誰も何もわかってくれない。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
   生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
   間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
   きみはそのことに気づいていたか?

   サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。

長女は、53歳。
生活面でも、娘には世話になることが多くなっています。
とは言っても、母親の目から見れば、「子ども」以外の何ものでもありません。
だから、こうした「詩」を味わえる年齢になっていたことに、感慨を覚えたのでした。

《ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ》の「定義」を、
「ねぇ、あなた見つけた?」と、
《ひとは曲がった木のように生きる》の言葉に、
「ねぇ、あなた気づいていた?」と、
そう、娘に問いかけて見たく思いました。

成人式には出席しないで、一人旅に出かけた長女の あの頃を思い出しながら、
お墓に花を供え、お線香を手向けました。
そして、あちら側の母に言ったのです。

『結婚して子どもを育てていけるの?と、私のことを心配していたようですけど、
娘も53歳になりました。
4月には、娘の長男が結婚します。
私も、ひ孫が見られるかもしれません』と。

もう少し、グチや、気がかりなことなどを、つぶやきたかったのですが止めました。
生きていれば110歳を越す母親に心配かけることもないかと。
だから、
“おかあちゃん、「イツカ、向コウデ会オウ」”
と、言ったら、涙が。

連れ合いには、
「今日は花粉が多く飛んでるね」
と言いました。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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「廃炉」。新規増設へのステップなのでしょうか。

2015-03-20 06:44:01 | 日記
関西電力は、美浜原発1、2号機の廃炉を、
日本原子力発電も、敦賀原発1号機の廃炉を、
九州電力は、玄海原発1号機、
中国電力も島根原発1号機、
計、5基の廃炉が決まりました。

『老朽原発廃炉決定 「40年ルール」初対応』
という新聞の見出しをみますと、原発稼働が減って行くような錯覚にさえ陥ってしまいそうです。
でも、「老朽原発の廃炉決定は、その原子炉の出力規模が小さく、コスト高となる」
ということでの廃炉決定です。

政府は老朽原発の廃炉を促す一方で、原子力規制委員会の審査で、「安全性を確認した」と
される原発については再稼働を進める方針ですし、原発依存が少なくなって行くわけではありません。
廃炉の動きは、むしろ、原発の新増設、建て替えに道を開き、方向を強めることになりそうなのです。

廃炉になると、行政運営を、電源三法交付金や固定資産税収入で行って来た割合が多い自治体は
深刻です。
自治体からは、廃炉作業完了までは、交付金の継続を求める声もあるようですが、現在の仕組みでは、
廃炉に伴う自治体への手当はないとのこと。
交付金を活用して造った施設の、これからの維持管理費を どうするのか。
また、交付金が、保育園・消防署等の人件費などにも充てられている実態を、どうするのか。
「原発関連の収入が大幅に減少するので、国に新しい交付金制度を求める」
と美浜町の町長は述べたそうです。

―――三年前に記したものからの抜粋、掲載です―――。
≪東電福島第一原発の事故により、福島県のみならず日本全体が放射線という見えない不安に
覆われている時、青森県知事選挙で県民は原発推進派の現職知事を三選させた。
県独自の専門家委員会を新設すると強調し、原子力関連施設の建設を進めるかどうかについて
態度を鮮明にしない知事を県民は選んだ。

交付金という潤いの代償が、後悔や悲しみの涙となって欲しくないと危惧するのは余計な
お世話だろうか。
それに、ひとたび事故が発生すれば、被害は発電所の立地している県のみならず、他県、
いや日本だけではなく、世界中の広範囲に被害を及ばすことは今回の福島原発の事故で
立証済みではないか。
選挙と係わりのない私たち他県に住むものとしても、決して他人ごとではなく、これからの
生活にかかわる問題なのだ。

ドイツ政府は、福島第一原発事故を受けて従来のエネルギー政策を転換、2022年までに
国内原発17基を全て停止することを閣議決定したとのこと。
今、私は放射線被害で出口の無い不安を味わっている福島県民の一人として、青森県知事選の
結果とドイツのエネルギー政策の転換とを複雑な思いで見つめている。

【かつて反対運動にかかわったという50代の男性が話した“出稼ぎしねぐていぐなったのも
原発さあっからだ。しょうがねがったんだ”。
食卓で原発の関連企業で働く30代の長男と2人、口をそろえた。
「誰がやっても、原発は無くなんね」(2011年6月6日毎日新聞)より】

こうした地元の切実な声を聞くのはつらい。
生きて生活していくということは、絵にかいた餅で空腹を満たすことが出来ないだけに哀しい。
生きて行くためには誰でも仕事が欲しいのだ。
危険なものなどは生活環境から締め出して、家族が安全に、昨日から今日、そして明日へと続く
生活を誰しも望むことなのに、安全神話の崩壊を目のあたりにしながらも、その神話に
依りすがらざるを得ないことが何とも切ない。
そうした選択をせざるを得なかった心情に胸が痛む≫

あの事故から4年、胸が痛み、心の重さが続く『原発』問題です。
きついもの言いですが、原発事故の災禍に遭遇した福島県民の一人として強く訴えたいのです。
「新増設、建て替え」の道は、どうか選ばないでほしいのです、と。
                                  〈ゴマメのばーば〉

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『戦艦武蔵』

2015-03-19 07:47:26 | 日記
『戦艦武蔵』
残骸の映像が、テレビ等で流されました。
船首部分であるとか、
スクリューだとか、
菊のご紋章のあった台座だとか、
専門家は、いろいろ説明をしています。

元乗組員だった方は、
「見たくない映像だ」と言われる方もありました。
「千人以上の将兵が、藻屑と化したのだ」と涙する方も。
また、
「よくぞ、見つけてくれた」と感涙なさる方も。

『戦艦武蔵』『戦艦大和』
太平洋戦争末期、兄たちが誇らしげにその名を語っていました。
そして『戦艦武蔵』は、「レイテ沖海戦」で沈められたのです。

『武蔵』の映像、私も見たくない姿でした。
無残です。
そして、共に海に散って行った千人をこす兵士たちに思いが至って切ないからです。
ただ、合掌するばかりです。

九条の会、初の全国大会が、15日東京で開催され、450人が参加とのこと。
現在進行中の安全保障法制の整備について「憲法9条を根底から覆す暴走」と危機感を募らせ、
意見を交わし合ったと報じられました。
著書『滄海(うみ)よ眠れ』で、ミッドウェー海戦を描いた作家の澤地久枝さんは、
『戦争のできる時代が迫っている。「戦争で得るものは何もない」という経験に学び、
声を上げ続けたい』
と語り、
大江健三郎さんも、
『戦争を起こさせないため努力を続けなければならない。政府は期待できない。
独自の活動を続ける(約7500の)団体に希望は託されている』
と訴えたそうです。

著書『最後の言葉』(重松清・渡辺 考 著)
――戦場に遺された二四万字の届かなかった手紙――
に、激戦地で日本軍将兵が書き遺した「小さな言葉」が、いくつも紹介されています。

同著「戦争は、悲しい」……死にたくないとソロモン戦線で念じ続けた二三歳の無念……
からの抜粋です。
  『………戦争は、悲しい。
   妹が死んだといっても、世界は変わらぬままだ。
   朝になると太陽は輝き、風はやさしく頬をなでる。
   ………中略………飢えながら我々は行進している。
   兵士たちは青白い顔だ。日本刀を杖にして歩いている奴もいる。
   前進することは死を意味している。状況は信じられなく最悪のものだ。
   撤退命令もなく、我々の命は風前の灯(ともしび)だ。
   私は戦争を引き起こした人間が憎く思えてきた』

  『南洋の海は泥のように真っ黒だった。
   それはあたかも我々の命を吸い込んでしまうように思えてならなかった。
   上陸地点に百メートルのところまで近づいた。
   しかしそれは敵の射程距離に入ることでもあった。
   いつ撃ち殺されてもおかしくなかった』

『戦艦武蔵』
今、その最後の姿を私たちの目に触れさせ、何を訴えようとしたのでしょう。

原爆でなくとも、
戦争という「過ちは、二度と繰り返しません」
と、私は誓うほかないのです。

ところで、自民党の三原じゅん子議員の『八紘一宇』発言には、答弁した麻生財務相でなくとも、
驚きでした。
どの様な言葉に価値と意義を見出すかは人さまざまですが、かつて、日本が、東南アジアへの
侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた言葉です。

『八紘一宇』という言葉が飛び出す国会に、何か恐さを覚えてしまうのは、
戦争を経験した人間のトラウマなのでしょうか。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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「平成の姥捨て山」へ、自らが。

2015-03-18 06:47:01 | 日記
≪障害を持つ54歳の長男を80歳の母親が殺めた≫
と報じられました。
悲しいニュースです。
生まれつき重い知的障害を持ち、食事も排泄も自力でできなかったという長男。
「疲れた。私が死んだら息子は生活できないので、今のうちに天国に連れて行ってあげようと思った」
と語る80歳の母親の言葉は、切ない限りです。
人を殺める行為が許されはしませんが、この老いた母親を責めることなどできません。

80歳。
母親自身が介護されても不思議ではない年齢です。
夫も認知症で施設に入所中、一人で長男の介護にあたっているのは、
日々、どんなにか大変なことだったでしょう。
何とか、行政が手を差し伸べられなかったものでしょうか。

《『姥捨山』という伝説が各地に残されています。
哀しい伝説です。
生産性の低い村社会で、一定の数の人間しか生きられないとすれば、老いた者たちが
去って行くほかはなかったのでしょう。
 
昔むかし、姥捨山に詣でたおじぃや、おばぁは、この世に別れを告げるとき、
薄れて行く意識の中で、何を思い、何を祈ったのでしょう。
幼いもの達が、元気に育つ姿を夢みたのでしょうか。
まだ村に残っているおばぁや、おじぃのことを思いだしたのでしょうか。
梢の先に架かった弓張り月、遠くを流れる谷川の音、風の声。
それとも、若かったころ買って貰った晴れ着の花模様。
早苗の済んだ田んぼを渡る涼やかな風。
祭りの太鼓。
お山に入ってすぐに雪が降り積もると、人々は、詣でたおじぃや、おばぁを幸せ者と
称したそうな。
失われて行く感覚の中で、手足に積もる雪の冷たさだけが、確かなものだったのでしょうか。
こうした哀しい事実の傷口から血が流れ出さないようにと、いつの時代でも、
人は、人々は、 物語を紡いできました。
姥捨山は死へ赴く山ではなく〈詣でる山〉と名付けてきました。

作家の遠藤周作氏は、
『人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです』(遠藤周作「沈黙の碑」から)
と、言っています。
『若葉がこんなに柔らかで、風が光っているのに、人は、哀しいのです』
私は、独り、そう呟いています。》
と、以前「F紙」に書かせていただきました。

息子を殺め、息子を捨てた母親が、心安らかなはずなどないと思います。
老いた母親に、手を差し伸べられなかった私たちの この社会。
これは平成の、一つの「姥捨て山」のかたちなのかもしれません。
母親は、息子を伴なって、自らが「姥捨て山」へ赴こうとしたのではないでしょうか。
悲しいことです。
芽吹く季節なのに。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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ひと足早い、イースター

2015-03-17 06:29:15 | 日記
しばらくぶりに東京へ出かけました。
昨年三月に帰天された井上神父さまの『一周年を記念する集い』に参加するためです。

神父さまの選集『井上洋治著作選集』全五巻が発行されることとなり、
先だって第一回目の配本『遺稿集「南無アッバ」の祈り』が送られてきました。
   ≪遠藤周作と志をともにし、日本人の心の琴線に触れるようイエスの教えを伝えるため、
    多くの著作をのこした、カトリック司祭井上洋治≫
                          (第5巻 山根道公・解題より)
と記されていました。
掲載内容のほとんどは、以前読んだり、教えていただいたりしたものですが、
念入りに朱線をいれながらじっくりと読んでみました。

  神さまは、“お父ちゃん”と呼んでいい方。
  すべてを、おまかせしていい方。
  だから「南無アッバ」と。

そのように教えていただき、自分も受け入れ、解っていたつもりだったのです。
でも、それは私の非常に浅薄な受領でしかなかったことに気づかされたのです。
「南無アッバ」への知的共感の域を出ていなかったということでした。
そうではなく、アッバのまなざしとの、共存・交流の内に生きることを教えて下さって
いたのだということに気づかされたのでした。

各駅停車の新幹線に乗ったので、「想いをめぐらす」時間が、たっぷり与えられたのです。
そして、私は、今、生前より身近に、その教えを感じることができたのでした。

教会歴では、現在、「受難週」に当っています。
イースター(復活祭)は4月5日。
神父さまに、もう、接することができないのは 大変さびしいことですが、
私にとっては、ひと足早い、イースターを迎えたような気持で心が安らぎました。
野の花を、こよなく愛された神父さまでしたから、来年からの集いは、
『野の花忌』
と名づけられるとのこと。

帰りの新幹線も「各駅停車」に乗りました。
夕食は、パンと牛乳、塩味のゆで卵を車内で。

暮れなずむ空、街の灯り、沿線近くの建物などを、ゆったりと眺めていました。
「彩の国さいたま芸術劇場」の塔が見えます。
灯が入っています、何が演じられているのでしょう。
演出家・蜷川幸雄氏は、それなりに元気そうだけど、
劇作家・清水邦夫さんは?
「木冬社」は?
俳優・松本典子さんは?
あれこれと、走馬灯のように。
老舗の、おせんべい屋さんが、あったっけ。

あ、「さいたまスーパーアリーナ」。
オノ・ヨーコ ジョン・レノン。
そして、原発事故で沢山の方たちが避難していた場所です。

あれや、これやと。
いい一日でした。
自己嫌悪の痛みにさいなまれながら「エマオへの道を」(※)トボトボ歩く二人の弟子に、
そっと付き添って歩かれたイエスさまを思いだしながら。

   ※「ルカによる福音書」24章13節~35節

                                   〈ゴマメのばーば〉
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