ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「脱原発」いずれも否決。

2014-06-30 06:26:36 | 日記
大手電力会社は、一斉に株主総会を開きました。
9社すべての総会で、株主提案として「脱原発」を求める提案がなされましたが、
いずれも否決されました。

東京電力の総会では、数土文夫会長が
『賠償、福島の復興、廃炉、電力の安定供給を担う経営基盤確立のため、事業モデルを
大胆に転換する』と語り、
広瀬直己社長は、
「広く社会に迷惑をかける事象があった。深くおわびする」
と、いまだに放射能汚染水の流出などで混乱が続いている福島原発の現状について陳謝しました。

広瀬直己社長の陳謝姿、深々と丁寧に頭を下げる姿は、福島県に住む私たちにとっては
見飽きた姿です。
『陳謝』ではなく、一日も早い事故の収束を私たちは望んでいるのです。
修復技術の手持ちがないなら、「再稼働」など言い出すのは無責任というものです。
「厳しい審査を通った原発は安全」などとは決して言えないのです。
またぞろ「安全神話」を押し付けないで下さい。

甘利経済再生担当相は27日の記者会見で、
「事態を放置すれば、産業用の電気料金が東京電力福島第1原発の事故前より5割上がる」
「電気料金を値上げせずに据え置けば、電力会社で債務超過が続出する。異常事態が迫りつつある」
と述べました。
火力発電の燃料費が上昇し、電力会社経営を圧迫しているということを踏まえての発言だったようです。

確かに、火力発電の燃料費が上昇し、電力会社経営を圧迫しているということは、確かなのでしょう。
我が家のガソリン代の上昇をみただけでも理解はできます。
電気代が上がれば、企業も、家計も悲鳴を上げたくはなるでしょう。

でも、福島原発の事故は、その反省は、もう過去のこととなってしまったのでしょうか。
これから何が起こるかさえ判らないのです。
福島県という地域に限られた再度の被害で済むかどうかさえ判らないのです。

「電気料金の値上げ」と言われれば、危険なものでも目をつぶってしまうのでしょうか。
「再生可能型エネルギー」についてなど、あまり聞かれなくなってしまいました。
残念というより悲しくなります。

福島県に原子力発電所がやって来た時、立地市町村ではありませんが、私も少々の反対運動は
いたしました。
でも、関心が高かったとは言えなかったと思います。
それに、自分の住んでいる町から、発電所が見えるわけでもなく、いつのまにか原発に関しては
意識に上らなくなってしまっていたのです。
発電所内での事故のニュースが、伝えられても、
「地元の人は危険と隣り合わせだなぁ」
程度の関心だったのです。

三年前の あの事故に遭って、私は、自分が何と迂闊だったのであろうかと、臍を噛む思いでした。
だから、「脱原発」と、言い続けたいと思っているのです。
たとえ 小さな声であっても。
                                  〈ゴマメのばーば〉

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「日本人であれば」

2014-06-29 07:22:57 | 日記
集団的自衛権の行使を巡って、139もの地方議会から、批判的な意見書が
政府に届けられているそうです。(28日現在)。
共産党などが提案した意見書案に、国政与党である公明党や、自民系の議員も
賛成に回るケースもあるとか。
こうした意見書を提出する地方議会が増えて行ってくれればと、願っています。

昨日のブログで、
〈自民党の議員や支持者の中にも、安倍政権の、こうしたやり方に危惧している方もいるのではないか。
でも、党利党略を先行させ、あるいは、今ある与党の座の安泰を奪われたくないがために、
「裸の王様)」にかしずく重臣になってしまっているのでは〉
などと嫌味を述べてしまいましたが、訂正いたします。
「日本国憲法九条」を守るために手をつなぎましょう。

こうした地方議会の、安倍政権への批判や懸念に対して、高村副総裁は次の様に反論しています。
『地方議会も、日本人であれば慎重に勉強してほしい。私の経験では、かって一つの閣議決定を、
これだけ慎重にしたことはない。』と。

何を、おっしゃるのですか。
こんなにも、これほどの時間をかけて、理にかなわない改憲を目論み、
あの手 この手の理屈(理論ではなく)を、ひねくり こねくり返してきたのは、ひとえに安倍政権と、
首相のブレーンの方々ではありませんか。
『これだけ慎重にしたことはない』とのことですが、「これだけ無体なゴリ押し」は、
私たち国民も、今までに例をみませんでした。

それに、ちょっと気になる言葉、いや かなり気になる言葉が含まれる発言でした。
日本人であれば慎重に勉強してほしい。』
という文言です。
何故、ここで「日本人」が出てくるのでしょう。
「地方議会の皆さんも、憲法をしっかり勉強しましょう。」でいいはずです。

かって幼い頃、太平洋戦争がありました。
戦争の末期、この言葉『日本人であれば』を、良く耳にしました。
理不尽と思えることでも「お国のため」「日本人なら」という言葉の前には、
反論が出来なかったのです。
学校の教師から『日本人であれば』という叱責を受けると、是非はともかく、
なんだか非国民になった様で首をすくめるほかなかったのです。

また、町内会の役員の方が、乏しい配給物資を分配しながら、
「まぁ、いろいろ言いたいこともあるでしょうが、「日本人なら」がまんしないとね」と。
この「日本人なら」は、水戸黄門さまの ご印籠のような「言葉」でした。
「ははっ」と承るだけだったのです。

言葉尻を捉えるわけではありません。
でも、「ことば」は、その人の内から出てくるものです。
高村副総裁の
『日本人であれば………』
が、とても恐ろしく感じられました。
                                 〈ゴマメのばーば〉
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『改憲』の二文字に行きつきます。

2014-06-28 07:59:26 | 日記
『解釈の一部変更だが、解釈改憲ではない』
「集団的自衛権の行使容認」を、国会で説明するために政府が作成した「想定問答集」の文言です。
とにかく、次々と出されてくる集団的自衛権の政府解釈文言、ますます難解になってきました。
様々な言葉の衣装をつけさせるのは、本質を隠すための演出なのでしょう。

自公両党の協議会で、高村副総裁は
「憲法の法理は100%維持する」と述べて、解釈改憲ではないと説明し、
公明党の北側一雄副代表は、「憲法の規範は100%継承される」
と足並みを揃える形になったようです。
公明党さんも、与党の立場では、これ以上のことは出来なかったのでしょう。
「平和の党」「歯止め」を看板としていただけに、残念です。

解釈の変更・変更の解釈・解釈の変更………。
振り出しに戻れば、『改憲』の二文字に行きつきます。
公明党に配慮した文言を挿入したり、言い換えたりしただけで、
〈集団的自衛権を行使したい〉
という安倍内閣の願望そのものに過ぎません。

自民党の議員の中にも 支持者の中にも、こうしたやり方は誤りであり、危険だと考えている方も
多いのではないでしょうか。
でも、党利党略のために、与党の座を奪われたくないために、
『その通りでございます、王様』
『かしこまりました、王様』
『憲法は ともあれ、集団的自衛権が行使できる国に、ですね、王様』
と、まるで「裸の王様」に、身の安泰を願って言い続けている重臣みたいに。

民主党は、安全保障総合調査会などの合同総会を開きましたが、
『行使の是非に踏み込まず』の結論となったようです。
「踏み込まず」ではなく「踏み込めず」の党事情があるのでしょう。
こちらも、残念と言うほかありません。
「野党止めたの?」
などと、憎まれ口も言いたくなってきます。

公明党さんは、7月1日の与党協議会で自民党と正式な合意にこぎつけたい考えです。
菅義偉官房長官は、
「メドがつけば速やかに閣議決定した方がいい」
と述べています。
憲法9条を踏みにじり、日本が、全面的に武力行使が出来る道を開く内容の閣議決定が、
なされそうです。

「ゴマメのばーば」は、今日も歯ぎしりしています。
でもこの頃、「歯」が衰えてきました。
これも、「残念」というほかありません。
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雹(ひょう)と選挙。「空気を喰って生きてはいけない」けれど。

2014-06-26 07:30:23 | 日記
このところ、関東各地で ものすごい雨が降りました。
調布市では、とんでもない雹も。
77年間生きてきて初めて目にする光景です。
被害もかなりあったようでした。

青森県六ケ所(ろっかしょ)村の村長選が 22日に行われました。
原発関連の事業により、多大な交付金と雇用が生み出されている同村では、
『サイクル事業と共存共栄し、推進する』
と訴えた候補が得票率の95%を獲得、核燃料サイクル事業に反対した3候補を破っての圧勝でした。

〈若い人たちは、村外に出て行くか原子力関連で働いている〉という村の現状。
『本当は反対。自分たちに いいことは なんにもない。』
『だけど反対と言ってるだけじゃ、飯は食えない』
という男性。

《日本原燃と関連会社が県内で雇用する社員は約5600人。相当数が村内に住むと見られ、
有権者9000人弱の同村では圧倒的な存在感だ。》
との記者報告が重く感じられます。

空気を喰って生きてはいけない、これは自明なことです。
でも、ひとたび事故が起これば、失われるものは測り知れなく、豪雨や雹の被害の比ではありません。
自県のみならず、他県にも、いや地球環境そのものへの影響を及ぼすことになりかねません。

三鷹市内では、突然 局地的な激しい雨に襲われました。
ゲリラ豪雨でした。
災害は必ず「想定外」が起こるものです。
原発事故に遭い、今なお呻吟している福島県人の一人としては、青森県六ケ所村の村長選結果を
複雑な気持ちで見つめています。

(PS)
『22日に、一週間ほど、私も「働かないアリ」になります。
いや、単なる「なまけもののアリ」かもしれません。そんなわけで、ブログも お休みです。』
と、記したのですが、本日、『お休み』の、お休みです。
『ごきげんよう』
                                〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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「なまけもののアリ」に。

2014-06-22 05:53:45 | 日記
「除染処理」で、我が家の庭に山砂を盛り土してから、3か月ちょっと経ちました。
山砂の白っぽさが目立ち、妙に落ちつきが悪かったのですが、ここにきて、家と庭に
馴染み始めて来たようです。
土の嵩が減ってきたのと、私の目が慣れたのかもしれません。
雑草も雨が降るたびに伸びて行きます。
草の生命力には驚くばかりです。

庭木の剪定をしてもらったので、狭い庭も広くなりました。
空が入りこんできた感じがします。
雨も上がりました。
朝少し早めに起きて空を見上げ、
「夏を迎える準備ができたよ」
と、誰にともなく語りかけてみました。

花壇の手入れもしなければ、と思って眺めていましたら、アリです。
アリが沢山動き回っていました。
アリも雨上がりで忙しいのでしょう。

どんなに忙しくても、働かないアリもいるそうだけど、今、何をしているのだろうと考えながら見ていました。

以前読んだ『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐 著)によれば、
「巣の中の7割ほどのアリが何もしていない」とか。
「ハチやアリには司令塔もいない」とのこと。

「成長」「拡大」が好きな安倍首相だったら、多分許せないだろう、と一人で苦笑い。
しかし、働かないアリがいるからこそ、組織が存続できるということらしいのです。
いつ環境の変動があるか分からないので、アリの巣では、「その時」のために、
「働いていないアリ」という余力を残しているとか。
なるほどと、妙に納得させられました。

因果関係の有無は分かりませんが、原発事故でセシウムが降った3年前、あの年の夏は、
我が家の庭にアリの姿が、あまり見られなかったのです。
アリは、我が家に関する限り、今 元気に「復興」している様です。

一週間ほど、私も「働かないアリ」になります。
いや、単なる「なまけもののアリ」かもしれません。
そんなわけで、ブログも お休みです。
                               少しなまける〈ゴマメのばーば〉
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