大手電力会社は、一斉に株主総会を開きました。
9社すべての総会で、株主提案として「脱原発」を求める提案がなされましたが、
いずれも否決されました。
東京電力の総会では、数土文夫会長が
『賠償、福島の復興、廃炉、電力の安定供給を担う経営基盤確立のため、事業モデルを
大胆に転換する』と語り、
広瀬直己社長は、
「広く社会に迷惑をかける事象があった。深くおわびする」
と、いまだに放射能汚染水の流出などで混乱が続いている福島原発の現状について陳謝しました。
広瀬直己社長の陳謝姿、深々と丁寧に頭を下げる姿は、福島県に住む私たちにとっては
見飽きた姿です。
『陳謝』ではなく、一日も早い事故の収束を私たちは望んでいるのです。
修復技術の手持ちがないなら、「再稼働」など言い出すのは無責任というものです。
「厳しい審査を通った原発は安全」などとは決して言えないのです。
またぞろ「安全神話」を押し付けないで下さい。
甘利経済再生担当相は27日の記者会見で、
「事態を放置すれば、産業用の電気料金が東京電力福島第1原発の事故前より5割上がる」
「電気料金を値上げせずに据え置けば、電力会社で債務超過が続出する。異常事態が迫りつつある」
と述べました。
火力発電の燃料費が上昇し、電力会社経営を圧迫しているということを踏まえての発言だったようです。
確かに、火力発電の燃料費が上昇し、電力会社経営を圧迫しているということは、確かなのでしょう。
我が家のガソリン代の上昇をみただけでも理解はできます。
電気代が上がれば、企業も、家計も悲鳴を上げたくはなるでしょう。
でも、福島原発の事故は、その反省は、もう過去のこととなってしまったのでしょうか。
これから何が起こるかさえ判らないのです。
福島県という地域に限られた再度の被害で済むかどうかさえ判らないのです。
「電気料金の値上げ」と言われれば、危険なものでも目をつぶってしまうのでしょうか。
「再生可能型エネルギー」についてなど、あまり聞かれなくなってしまいました。
残念というより悲しくなります。
福島県に原子力発電所がやって来た時、立地市町村ではありませんが、私も少々の反対運動は
いたしました。
でも、関心が高かったとは言えなかったと思います。
それに、自分の住んでいる町から、発電所が見えるわけでもなく、いつのまにか原発に関しては
意識に上らなくなってしまっていたのです。
発電所内での事故のニュースが、伝えられても、
「地元の人は危険と隣り合わせだなぁ」
程度の関心だったのです。
三年前の あの事故に遭って、私は、自分が何と迂闊だったのであろうかと、臍を噛む思いでした。
だから、「脱原発」と、言い続けたいと思っているのです。
たとえ 小さな声であっても。
〈ゴマメのばーば〉
9社すべての総会で、株主提案として「脱原発」を求める提案がなされましたが、
いずれも否決されました。
東京電力の総会では、数土文夫会長が
『賠償、福島の復興、廃炉、電力の安定供給を担う経営基盤確立のため、事業モデルを
大胆に転換する』と語り、
広瀬直己社長は、
「広く社会に迷惑をかける事象があった。深くおわびする」
と、いまだに放射能汚染水の流出などで混乱が続いている福島原発の現状について陳謝しました。
広瀬直己社長の陳謝姿、深々と丁寧に頭を下げる姿は、福島県に住む私たちにとっては
見飽きた姿です。
『陳謝』ではなく、一日も早い事故の収束を私たちは望んでいるのです。
修復技術の手持ちがないなら、「再稼働」など言い出すのは無責任というものです。
「厳しい審査を通った原発は安全」などとは決して言えないのです。
またぞろ「安全神話」を押し付けないで下さい。
甘利経済再生担当相は27日の記者会見で、
「事態を放置すれば、産業用の電気料金が東京電力福島第1原発の事故前より5割上がる」
「電気料金を値上げせずに据え置けば、電力会社で債務超過が続出する。異常事態が迫りつつある」
と述べました。
火力発電の燃料費が上昇し、電力会社経営を圧迫しているということを踏まえての発言だったようです。
確かに、火力発電の燃料費が上昇し、電力会社経営を圧迫しているということは、確かなのでしょう。
我が家のガソリン代の上昇をみただけでも理解はできます。
電気代が上がれば、企業も、家計も悲鳴を上げたくはなるでしょう。
でも、福島原発の事故は、その反省は、もう過去のこととなってしまったのでしょうか。
これから何が起こるかさえ判らないのです。
福島県という地域に限られた再度の被害で済むかどうかさえ判らないのです。
「電気料金の値上げ」と言われれば、危険なものでも目をつぶってしまうのでしょうか。
「再生可能型エネルギー」についてなど、あまり聞かれなくなってしまいました。
残念というより悲しくなります。
福島県に原子力発電所がやって来た時、立地市町村ではありませんが、私も少々の反対運動は
いたしました。
でも、関心が高かったとは言えなかったと思います。
それに、自分の住んでいる町から、発電所が見えるわけでもなく、いつのまにか原発に関しては
意識に上らなくなってしまっていたのです。
発電所内での事故のニュースが、伝えられても、
「地元の人は危険と隣り合わせだなぁ」
程度の関心だったのです。
三年前の あの事故に遭って、私は、自分が何と迂闊だったのであろうかと、臍を噛む思いでした。
だから、「脱原発」と、言い続けたいと思っているのです。
たとえ 小さな声であっても。
〈ゴマメのばーば〉