ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

いいお年を。

2015-12-31 06:24:25 | 日記
本年も最後の日となりました。
来年1月いっぱい、ブログを お休みいたします。
訪問して下さった方々、また嬉しいコメントを下さった方々、
本当にありがとうございました。

ブログに戻って参りました際は、また お付き合い下さいませ。
皆さま、良い年を お迎え下さい。
                                 〈ゴマメのばーば〉
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「受け入れる心の静けさと」

2015-12-30 06:20:08 | 日記
今年も残すところあと一日。
一年を振り返り、来年の抱負とまではいかなくとも、何がしかの決意、もしくは願望などに
思いを巡らせたりいたします。
今年逝った友人知人のこと、好きだった作家や詩人のことなども思い浮かべて、
淋しさもまた味わうのです。

身辺は つつがなく過ごすことができました。
孫が結婚し、来年は、ひいばぁちゃんになれそうです。
まずは、そのことへ“ありがとう”を。

健康に関して言えば、私も、連れ合いも、歳なりの健康リスクを抱えています。
病や心身の衰えとも、何とか「共存」して行くつもりです。

今年最後の読書となった『悲しみの秘儀』(若松英輔 著)からの“ことば”です。
  《心は自分の願望で一杯だった。
   ………………………………………………
   一見すると希望にあふれた者のように見えてもそんなとき人は、
   人生の問いから遠いところにいる。
   人は、自分の心の声が聞こえなくなると他者からの声も聞こえなくなる。
   祈ることと、願うことは違う。
   願うとは、自らが欲することを何ものかに訴えることだが、
   祈るとは、むしろ、その何者かの声を聞くことのように思われる》

本年最後の、そして新しい年への私の祈りです。
 『世界に平和が訪れますように
  原発事故現場で働く方々の安全が保たれますように
  避難者が、ふるさとに戻れますように』
「ニーバーの祈り」に併せて、
    主よ、変えられないものを
    受け入れる心の静けさと
    変えられるものを
    変える勇気と
    その両者を見分ける
    英知を与えたまえ
                     (ラインホールド・ニーバー)
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《私たちに委ねられている》

2015-12-29 06:20:51 | 日記
NHKドキュメント『永田町・権力の興亡・安部一強 実像に迫る』(12月27日)
を、観ました。
「安倍一強」といわれる政治状況のなかで、政治をめぐる何人かの政治家の発言を通して、
今後の政治のあり方を考えさせられる番組でした。
見終えて、考えさせられ、かつ印象に残った自民党の お二人の発言を、
紹介させていただきます。

  ☆〔自民党 宏池会名誉会長・古賀誠氏〕
   『……………戦後70年の日本の安全保障体制を、
    たった一回の国会で変えるということは、私には考えられない。
    …………………………………………………………………………
    国民政党に、ほど遠くなってきている。
    自民党の活力を失ったことは、極めて深刻な状況だ、…………』

  ☆〔安保関連法参院特別委員会委員長・鴻池祥肇氏〕
    安保関連法の成立は必要だったとしながらも、
   『……………残念ながら、私自身の貫録不足でね、あぁいう形になってしまいました。
    野党の意見というものを、本来もっと耳を傾けるべきことがあったかもしれない。
    一強、強くなってね、政治においてですよ、国はあまり良くならないと思うな、』
    と、首を傾げました。
   『しっかりした反対勢力がいないと、“行け行けどんどん”で、
    拍手だけ送っているというのでは、状況は、必ず腐って来る。
    権力は腐る。
    大きな権力ほど、早く、大きく腐る』

あえて、自民党の、お二人の言葉の一部をアップさせていただきました。
『権力は腐る』、この視点を持っているかどうかが、
政治家たるもの(政治家に限らず)にとっては極めて重要な資質ではないでしょうか。

番組の終わり、スタッフ等のテロップが流れる中、ナレーターの言葉が、
私に強く響いて来ました。
   《日本の政治はどこへ向かうのか。
           その選択は私たちに委ねられている》
と。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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憲法改正は梨(無し)で。

2015-12-28 06:16:30 | 日記
今年、大豊作だった我が家の柿も すっかり食べ終えました。
すべてと言っても、親戚・知人にもお分けして食べていただきましたが、
柿の大好きな私にとっては大満足の「今年の実り」でした。

毎日新聞・『2012年12月の安倍政権発足から3年間の実績評価』のまとめをみますと、
  《11分野60項目の政策が、それぞれどの程度進んだかを5点満点で判定した結果、
   平均は2.7点。
  「外交・安保」分野が高く3.6点、半面、「経済再生」は2.8点》
とのことでした。
この評価は、政策の達成度を測るのが目的で、政策の是非は判定材料にしていないとのことです。

  『「桃、栗三年、柿八年」桃と栗は、何とか収穫できたのかなと思います』
安倍首相は、第2次政権発足から26日で3年を迎えるに当たり、
首相官邸で記者団にこう答えたとのこと。
経済・外交・安全保障に関しては、
自党の公約に対して一定の成果が得られたという自己評価なのでしょう。

  “さあ、桃と栗は収穫できた、次は、柿(憲法改正)だ”
そのためには、長期政権が必要、
  “「自民党総裁の任期は連続2期6年」を、改変すべきだ”
とでも考えているのでしょうか。
  《首相は官邸の庭の柿を取って食べてみたエピソードを紹介し、
  「結構、渋かった」と笑顔をみせた》
とか。
首相が収穫したと言う桃・栗の分け前に、私は与っていないように思われます。

多くの専門家や学者から、
あれほど「違憲」と言われた「安保関連法」を成立させ、
臨時国会も招集せず、
国会を正月明け早々に始めるということで、
憲法を勝手に操っている「安倍首相と、その仲間たち」です。
  『柿(憲法改正)の収穫は、させませんよ』
と、申し上げたいと思います。

「桃、栗三年、柿八年」
私の住む地方では、お年寄りから次の様に聞いています。
『桃・栗三年、柿八年。梨の大バカ11年』
と。
梨が実を付ける様になるまでは、桃・栗よりも長い歳月がかかる、という意味らしいのですが、
『梨の大バカ11年』、こちらは、梨(7+4=11)に掛けた言葉遊びでもあるようです。

首相に柿(憲法改正)の収穫をさせたくありません。
私こと、ゴマメのばーばも言葉遊びをさせていただきますと、
“安倍首相さま、梨(無し)でもどうぞ。憲法改正は「無し」で結構です”
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だから、今日、夕焼け雲を眺めていました。

2015-12-27 06:19:50 | 日記
  『あいたくて』
                  くどうなおこ
    だれかに あいたくて
    なにかに あいたくて
    生まれてきた―――
    そんな気がするのだけれど

    それが だれなのか なになのか
    あえるのは いつなのか―――

    おつかいの とちゅうで
    迷ってしまった子どもみたい
    とほうに くれている

    それでも 手のなかに
    みえないことづけを
    にぎりしめているような気がするから
    それを手わたさなくちゃ
    だから

    あいたくて

ながーい間、一週間に一度、食事や お茶をしていた友人達の輪から離脱、
もう一度自分をリセットしたいと考えていました。
でも、リセットを想うことに先だって、日々のあれこれが波の様に打ち寄せてきます。
リセットしたかったのは、日常から離脱することでも、
人と人との絆をないがしろにするということではありません。
〈なにかに、あいたかった〉
そんな気持ちだったのです。

くどうなおこさんの詩にあるように、
    だれかに あいたくて
    なにかに あいたくて
    生まれてきた―――
そんな気が、いつもするからです。

でも、
    おつかいの とちゅうで
    迷ってしまった子どもみたい
に、迷い続けている私がいます。

だから、今日、夕焼け雲を眺めていました。
〈なにかに、だれかに〉会いたかったからなのかもしれません。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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