ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

【かえるのいえさがし】

2022-10-31 06:43:11 | 日記
日曜日でしたので教会での主日礼拝に出席しました。
早い時刻のバスで行きますので途中下車し、有効期限が切れてしまっていた図書館の「利用カード」の更新をしてきました。
礼拝が済んでからは、福島交通のバスターミナルの窓口へ行き、コロナになってから止めていた高齢者(75歳以上)向けの、『ノルカパス75』有効期間1年、23000円を買い求めてきました。
これで、福島交通の路線バスは、乗り降り自由で一年間使用できます。
これからは、田んぼ道の散歩も寒くなりますから、日中のあまり混雑しないバスに乗車して、郊外の公園散歩や、買い物等に利用するつもり。
11月になったら5回目のワクチンを受け、予防対策をしっかりして、社会復帰をする予定です。

夕方、ちょっとだけ散歩に出ました。
足もとに、動いたものがありました。
カエルです。
まだ、冬ごもりには間があるのでしょう。
こんな道端に出てきたら、カラスの餌食になってしまうでしょうに。
田んぼの畦の辺りに移動させてやろうかしら、と思いましたが、カエルにはカエルの思惑があって出て来たものでしょう。
そっと、そのままにしておくのが自然かと。
「じゃぁね」
と、言葉をかけてそこを立ち去りました。
絵本『かえるのいえさがし』を思い出しました。
ひ孫のUちゃんに呼んであげたいな、と。

  【かえるのいえさがし】
     (石井桃子・川野雅代 作  
       中谷千代子 絵(福音館書店 1967年)


      

《たんぼに、かえるのおやこが すんでいました。
とうさんがえると かあさんがえると 子どもの けろでした》

と、お話は はじまります。
夏の間、楽しく暮らしていたカエルの親子は、あるとき気がつくと、辺りは すっかり秋の景色に変わっていたのです。
田んぼの稲は黄色に、山並みは紅葉に、空には、あかとんぼが沢山飛んでいました。

あわてたカエルの お父さんは、毎日 朝から晩まで、冬ごもりのための穴を探しまわりますが、見つかりません。
とうとうカエルの親子は、今まで住んでいた田んぼを出て、みんなで探しに出かけます。遠くまで探し回りますが、見つかりません。
どこの穴にも、トカゲや、ガマガエルなどが、先に入ってしまっていたのです。

けろが、ようやく穴を見つけました。
「おまえは めがいい!」
けろは、おとうさんに ほめられます。

でも、穴から顔を出したのは大きなヘビ。
びっくり仰天。
でも、逃げようとするカエルの親子に、大きなヘビは言うのです。
『あつい なつならば、おまえたちを とってもくおう。
だが、いまは おれも ねむい。
ふゆのあいだは、へびも かえるも いっしょに つちのなかで ねむるのだ。
らいねんの ひがんまで、みんなで なかよく ねむるとしよう』

穴の奥には、アリ・トカゲ・ガマガエルなどが、肩を寄せ合って気持ちよさそうに眠っていました。
そこで、カエルの親子たちも、その間の すきまを 見つけて、穴に入ります。

《・・・・・・3びき まるく かたまると、はるまでつづく ふかいふかい ねむりに、はいっていきました。》
と、お話は終わります。

大きなヘビ、アリ、トカゲたち、そして、カエルの親子、みんな、みんな気持ちよさそうに眠っています。
やさしい色づかい。
田植えの済んだ青緑のたんぼ、黄色に実った稲穂。

私も、子ども達も好きな絵本の一冊でした。
孫の代まで読まれた絵本は、すっかり黄ばんでいます。
「ぬくもり」、そして、生きることの「怖さ」も含んでいて。
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こんな日は、あれも、これも再開しようかしら、などと。

2022-10-30 06:40:38 | 日記
今日も晴れのいい天気。
ひ孫のUちゃんが通っている幼稚園の運動会でした。
運動会に参加(見学)できるのは園児一人に3人まで。
パパ・ママ、そして祖母(私の長女)が参加しました。
室外の園庭等で行われるのであれば、園外から覗きこむこともできますが、近くにあるカルチャーパークの室内運動場を借りて行われますので残念ですが観に行けませんでした。
いずれ、パパから動画が送られてくることでしょう。

お天気のせいもあるのでしょうか、今日の私の体調はグー!
こんな日は、あれも、これも再開しようかしら、などと積極的な気分になって来ます。
とは言うものの、コロナ新規感染者数は、この数日増加の一途を示しています。
ちょっと、弱気に。
ホントに「お天気屋」そのものの私です。
午後、早めに散歩に出ました。
私の好きな「田んぼの在るコース」。
ニ三日前までは、まだ刈り残された田んぼの稲が黄色に色づいていたのでしたが、もうすっかり刈り取られていました。
やがて、冬ざれの景色に変わって行くのでしょう。

今年の新米を毎日頂いています。
私は、グルメ志向人間ではありません。
高級なレストランや、名の通った割烹などとは縁のない人間です。

私の最高で極上の食べものは、
『お粥』です。
『お粥』さん、です。
新米で、ていねいに炊いた「五分粥」。
炊いている時の あの香り、
お米の みずみずしい甘さ、
口いっぱいに広がる温かい粘りけ、
もう、最高です。
お粥を、よそう器は塗りものの椀です。
外側は黒、内側は朱色、ご飯茶わんよりも やや大ぶり。
お箸ではなく、木製の匙(さじ)をつかいます。
こちらは、やや渋みがかった朱色で、柄(え)の部分の湾曲がしなやか。
会津若松へ行った時に求めた会津塗りの漆器です。
工人の名前も記されていません。
でも、私にとっては絶品だと思って愛用しています。

毎年、新米の季節になると、お粥を炊きます。
“あぁ、今年も お粥が たべられたな”
と、実りの秋を、感謝して頂きます。
この、私だけのグルメ、戦時中、真っ白な お米だけのご飯が食べたい、と、いつも願っていたことから来ているのかもしれません。
今年も、もちろん頂きました。
『五分粥』さん、を頂きました。
お気に入りの お椀と匙で 頂きました。
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《ふたつはときにぶつかり合う/火と水のように》

2022-10-29 06:40:06 | 日記
今日も、素晴らしい空が広がっていました。
朝の冷え込みは昨日ほどではありませんでしたが、寒く冷たい朝。
早朝、散歩に出かけた連れ合いは、「手が、かじかむ」と言いながら戻って来ました。

孫は、昨晩は泊りだった筈なのに、裏磐梯方面に出かけ、バイクで走っているらしく、青い空の下の磐梯山の佇まいや檜原湖周辺の紅葉の写真が次々と送られて来ます。
あぁ、楽しんでいるんだな、と喜ばしい気分になると同時に、〈勤務明けの日に、出かけて。家でゆっくり寝ておいた方がいいんじゃないかしら〉などと危惧の念も湧いてくる私です。
32歳。
妻も子もある身ですから、その辺りは私がとやかく心配しても始まりません。
でも、幾つになっても私にとっての孫は、わがままを言って泣きべそをかいたり、必死に野球のバットを振っていた頃のままなのです。
〈遅くならないうちに戻っておいで〉と、心の中での返信を送っていました。
夕方、その孫が、「じいちゃんに」と言って好物の「馬刺し」のお土産を置いて行ってくれました。
ありがとうです。
連れ合いは、顔も心もほころんでいました。

まだ、残っていた夏物の衣類などの整理をしていましたら、あっという間に時間が経ってしまいました。
近くに住む長女が、JA直売所で新鮮な野菜を買ってきてくれましたので、その保存をしたり、煮物を拵えたりしましたので、散歩に出る時間が遅くなってしまい、夕方、ほんのちょっとだけの散歩へ。
谷川俊太郎さんの詩集を持って出て、誰も居ない公園のベンチで、パラっと開きながら夕空を眺めたのです。

  『からだはいれもの』

   からだはいれもの こころのいれもの
   いつかこわれて土にかえる
   死ねばからだは役目を終える
   夏のセミのぬけがらのように

   からだはこころを守っている
   こころはからだをいつくしむ

   摘んだ花はすぐにしおれる
   摘まずに見つめる花は長生き
   からだがほしいと思うものと
   こころがなりたいと願うもの

   ふたつはときにぶつかり合う
   火と水のように
        (詩集『となりの 谷川俊太郎』谷川俊太郎著より)

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〈娑婆に復帰だぜ!〉

2022-10-28 06:46:08 | 日記
朝カーテンを開けたら、もう、何といっていいかわからないほどの青空。
こんなに、まぶしい空、もったいない様な空。
よし 今日もやるぞ!
青い空が、私の心に決意表明らしきパワーを与えてくれました。

暫くぶりに、教会での祈祷会に出席。
定刻までに間に合うバス路線が廃止になってしまいましたので、1時間半ほど早い時刻のバスに乗車しなければなりません。
途中下車。
図書館に寄りました。
図書館が、昨年の地震被害を受け、暫く休館になっていた間に「利用カード」の有効期限が切れてしまっていたのです。
再利用の手続きをするために寄ったのですが、本人確認のできる証票等を持参しませんでしたので手続きは不可。
「今日、借りるだけならOKですよ」
と、係員の方が行って下さったのですが、買い物をする都合もあり荷物になるので貸し出しは受けませんでした。
ちょっと、無駄足を踏んだかな、と思いましたが仕方がありません。
図書館から、教会までは2・5キロ程でしょうか、ゆっくり歩いて行きました。
途中の公園は以前より整備されていました。
マンションなども新築されていて、コロナで出歩かないうちに浦島太郎になってしまった様です。

教会の帰りに、こちらも久々にデパート内で食事をしました。
外食。ホントに、ホントに暫くぶり。
コロナで、自粛が一番「萎縮」してしまったのは外食でした。
2年ぶりくらいでしょうか。
これからコロナ感染の8波も、やって来るでしょうが、
〈娑婆に復帰だぜ!〉
というところ。

   『空』

   空という言葉を忘れて
   空を見られますか?
   生まれたての赤んぼのように

   始めて空を見たとき
   赤んぼは泣かなかった
   笑いもしなかった

   とてもとても真剣だった
   宇宙と顔つき合わせて
   それがタマシヒの顔

   空が欲しい
   言葉の空じゃなく
   写真の空でもなく
   本物の空を自分の心に
      (詩集『となりの谷川俊太郎』(谷川俊太郎著)

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『あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、・・・』

2022-10-27 06:45:28 | 日記
雲の量は結構多かったのですが、明るい日差しが縁側の奥にまで入り込んできます。
そのために部屋も明るくて、
♪ 静かな 静かな 里の秋
などと、口ずさんでいました。

ゆっくりコーヒーを淹れて、クッキーをいただきました。
窓の外には、「木まぶり」と「鳥」のために取り残した幾つかの柿の実が、健康そうな肌色で、つるりと日射しを浴びています。
見上げれば、その奥に青い空が。
朝晩は寒くなりましたが、この穏やかな日差しを受けますと、心身が元気になるのを覚えます。

25日の国会で、安倍晋三元首相の非業の死に、立憲民主党の野田佳彦元首相が追悼の演説をなされました。
《政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。
人々の暮らしや命がかかっています。
マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。
改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・
私はあなたのことを問い続けたい。
国の宰相としてあなたが残した事跡をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちと共に、言葉の限りを尽くして問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでもより良きものへと鍛え続けていくしかないのです。・・・》

と、哀悼の誠をささげました。
『暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。』
『あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、・・・・・・』

の言葉が私にも深く問いかけてきました。

母親が旧統一教会にのめり込み、不遇な半生を過ごした山上容疑者の生い立ちは、気の毒と言うより、かわいそうです。
とても、とても辛すぎて暴力に及んでしまったのでしょう。
どの様な判決が下されるものか分かりませんが、しっかり更生してほしいと願っています。

国会は、経済対策、旧統一教会に対する質問権の行使等、ハードな問題が山積しています。
しっかりした国会での論議を望みたいと願っています。
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