ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「器物」であっても、〈いのち〉です。

2014-08-31 07:18:09 | 日記
何者かに腰付近を刺される被害にあった盲導犬「オスカー」。
盲導犬は、パートナーに危険を伝える際などを除き無駄な声を上げないよう訓練されているとのこと。
何とも、可哀そうでなりません。
痛くても、声を上げなかったなんて。
刺した人は、そうした盲導犬の訓練による特性を知っての犯行だったのでしょうか。

以前、私の友人が可愛がって飼っていた犬が交通事故に遭いました。
自宅の庭で遊んでいて、ひょいと道路に飛び出してクルマに接触して死んでしまったのです。
子ども同様に可愛がっていた愛犬です。
友人の嘆き様は半端ではありませんでした。

死んでしまったということもさることながら、
犬が、法律上は「器物」とされることに憤っていたのでした。
『犬権』は無いのか、と。

広島の土砂災害の捜索現場では、かって捨て犬で殺処分寸前だった犬が、災害救助犬となり、
今回、押し潰された家屋から1人の遺体を見つけ人命救助を担った、とのニュースも見ました。

福島の原発事故で飼い主が避難し、避難所では犬を飼えないところから、自宅に置いていった犬が
逃げもせず、ひたすらに鶏小屋を野生化した動物や猪から守り、自らは やせ衰えて死んでいった犬も
おりました。

役に立っても立たなくとも、それは人間側の価値判断によるものです。
一つのいのちが、痛めつけられることは切ないことです。

人は、他の「いのち」を頂いて生かされている存在です。
不要に、痛めつけたりしてはいけないのです。

盲導犬「オスカー」の事件、やりきれない悲しい事件でした。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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ヘイトスピーチは「暴言」です。高市氏のやろうとすることは、「暴挙」です。

2014-08-30 05:52:28 | 日記
特定の民族や人種の差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を聞きますと、虫唾が走ると共に
何とも恥ずかしくなります。
人それぞれに肌の色、考え方も異なっていて好き嫌いもありますが、口汚くののしる言葉は
聞きたくありません。

毎日新聞が47都道府県と20政令市に対し、規制の必要性などを問うアンケートを
実施したところ、
「約9割がヘイトスピーチを問題視し、そのうち約4割が何らかの規制が必要だと考えて
いることが分かった。」
と報じています。

ヘイトスピーチに関する現状認識は、
「問題だ」
「恥ずべき行為」
「人々に不安感や憎悪感を与え、差別意識を助長させ、決して許されることではない」
などと、断じる声が大半を占めているそうです。
私も、まったくその通りだと思います。

政治家や首長からも法規制を求める声などが出されている様です。
でも、憲法に保障された表現の自由との関係などもあるので、「自治体レベルでは困難」、
「政府主導の規制を求める」等の内容が大半を占めたとのことでした。

《自民党の「ヘイトスピーチ対策等に関する検討プロジェクトチーム」(PT、座長・
平沢勝栄政調会長代理)は、28日の初会合で、特定の民族や人種の差別をあおるヘイトスピーチ
(憎悪表現)に対し、法規制も含む対応が必要との認識で一致した。
一方、国会周辺での大音量の街宣活動やデモに対する規制も、今後、議論の対象にすることを決めた。》
と、毎日新聞(8・29)は報じています。

ヘイトスピーチは、あってはいけないことですが、
《国会周辺での大音量の街宣活動やデモに対する規制も今後、議論の対象にすることを決めた》
となると、
『ちょっと、待って下さいよ』
と異議を申したくなります。

『反原発デモ』
『集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法に反対するデモ』
その他まで規制しようとするのでしょうか。
「電話の声も聞こえず、仕事にならない。批判を恐れず議論を進めたい」
と自民・高市政調会長は強気の構えです。

ヘイトスピーチが暴言なら、高市氏のやろうとすることは、「暴挙」です。
国民の権利を奪い取る行為です。
「批判も恐れず」に国民の人権を無視されてはたまりません。

政治を司る方は、真摯に国民の批判に耳を傾けるべきだと思います。
かって、「福島原発事故で死者はいない」
と語った高市政調会長の言も『暴言』でした。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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米倉斉加年さんの ご冥福を祈ります。

2014-08-29 06:22:39 | 日記
俳優の米倉斉加年さんが亡くなりました。
とても、残念です。
大好きな俳優さんでした。

中学の国語教科書にも載せられた絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は、
何回も何回も読み、語り聞かせました。
「見出し」には
〈母に―――〉
と記されています。

太平洋戦争中、小学校4年生だった「ぼく」は、弟・ヒロユキのいのちを支える配給のミルクを、
空腹に耐えきれず盗み飲みをしてしまいます。
弟は栄養失調で、暗い電気の下で、泣きもせずに息をひきとるのです。
農家の おじさんが、杉板をけずって小さな お棺をこしらえてくれるのですが、お棺が
小さすぎて入りません。
『大きくなっていたんだね』
お母さんは、ヒロユキのひざをまげて お棺に納めます。
《そのとき、母は はじめて泣きました》
と記されています。

《父は、戦争にいってすぐ生まれたヒロユキの顔を、とうとう見ないままでした。
弟が死んで九日後の八月六日に、ヒロシマに原子爆弾がおとされました。
その三日後にナガサキに―――。
そして、六日たった一九四五年八月十五日に戦争はおわりました。
ぼくはひもじかったことと、弟の死は一生忘れません。》
と、結ばれています。

私の体験とも重なり、今でも この本を読むと胸がつまります。
疎開先で食糧が手に入らなかったこと、病気で伏せっていた姉のために、母が苦労して
手に入れてきた2、3個の「鶏卵」を食べる姉が羨ましくて、自分も病気になりたいと思ったり
したことなど…………。
姉は19歳で、終戦を待たずに、灯火管制の暗い夜に死んでしまいました。
母が、一番泣いたのです。

戦後も、69年という歳月が過ぎて行きました。
米倉斉加年さんは、80歳でした。
私より少し上ですが、同世代の方です。

さびしくなりました。
米倉斉加年さんの ご冥福を祈ります。
                                  〈ゴマメのばーば〉
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『個体側の脆弱性』? 冗談じゃありません。

2014-08-28 07:54:48 | 日記
「悩み、苦しんできた家族もこれで少しは浮かばれる」。
判決の後に語った渡辺幹夫さんの言葉でした。
福島地裁は26日、原発事故と自殺の因果関係を認め、裁判は勝訴となりましたが、
亡くなった妻、はま子さんが戻って来ることはありません。

福島第1原発事故による避難中、一時帰宅した我が家の庭で自死を選んでしまった妻、
遺されたものの痛み、無念、悔しさは測り知れません。
夫婦で勤めていた同町の農場が閉鎖したため、職も失っていました。
帰れるのか、帰れないのかの見通しさえなく、住み慣れたふるさとから追い出された辛さは
他人からは窺い知れない痛みであったことでしょう。

「法廷に出向くたび、取材のたび、発生当時に引き戻されるのもつらかった。」
と述べる渡辺幹夫さん。
東電に対しては「判決を真摯(しんし)に受け止め、謝罪をしてほしい」と述べました。
《東電は謝罪を》
これこそが、渡部さんの真意なのでしょう。

『はま子さんはストレスへの耐性が弱かった』
と主張し、自殺の原因は、〈個体側の脆弱性にある〉とした東電側の見解には、
私も怒りを覚えていました。

東電側がこの判決を、どのように受け止め対応するのかは判りませんが、とにかく、
原発事故後の避難住民の自殺を巡り、東電の賠償責任を認めた初の司法判断、
「勝訴」で良かったと心底思っています。

私の住む町の隣り町に住んでいた農家の男性も、原発事故の起きた年に自殺してしまいました。
丹精込めて育てた野菜が、放射線汚染関連で、学校給食に納められなくなってしまっての自殺でした。
あの時の何ともやり切れない思いは、未だに忘れてはおりません。

私は、「福島原発事故で死者はいない」と語った自民・高市政調会長の言も、
「状況はコントロールされている」という安倍首相の無責任な発言も、
しっかりと記憶しています。
風化など させたくても、出来るはずがないではありませんか。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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『雨』の日でした。

2014-08-27 08:09:25 | 日記
昨日は、雨の日でした。
どしゃ降りではありませんが、けっこうの降り様です。
今日でなければ、ということでもなかったのですが、ぶらっと出かけました。
少々気恥ずかしいのですが、撥水加工の雨用ブーツを買ったので、履いてみたかったのです。

黄色のシャツブラウス、薄手の 濃いコーヒー色のレインコート フード付き。
傘は、やや大ぶりの黄色の小花模様です。

こんな日に用事もなく、ただ出かけるのも楽しいものです。
バス停まで、団地の中を遠回りして歩いて行きました。
パンダ公園の置きもののパンダが「どこまで?」とたずねましたので、
「ちょっとね」
と応えて。

二、三日雨模様が続きましたので、アスファルトのあちこちにできた水溜りの水は、
すくって飲めそうに澄んでいます。
〈ピチャ ピチャ〉と音を立てて水たまりを選んで歩きました。

こんな日に、屋根が付いているからといっても、あれほどの洗濯物を外に干して置くのは、
多分、子どもが汚してきたからなのでしょう。
昨日から二学期が始まったのです。

どうでもいいことですが、私の姿を見た人は、
「お気の毒に、軽い認知障害があるのね、きっと」
などと思うことでしょう。

「雨」という文字も、「傘」という文字も、実に実態に相応しい文字です。
傘を、くるくる回します。
円錐分離器にかけた様に、勢いよく水滴が撥ねて行きます。

♪雨あめ 降れふれ 母さんが♪
と、歌いながら歩きました。
♪ピッチピッチ ジャップジャップ ランランラン♪

バスに乗って、いつものティールームへ。
今日は気温が低いので、熱いコーヒーとチーズケーキ。

2~3時間の「ぶらぶら時間」でした。
雨で木々の葉っぱが元気になったように、私も暑さから解放されて元気になったのです。

家に戻って、テレビをつけました。
広島の土砂災害地区で、行くえ不明の家族を案じ、雨の中 捜索に当たっている消防・
自衛隊員の活動の様子を、じっと見つめている親族の姿が映っていました。
何だか、申し訳ない気分になって、
「ごめんなさい」
と、言いました。

「早く見つかりますように」
と祈るだけなのです。
捜索活動を中断させる何とも切ない雨。
私を元気にしてくれた雨。

「雨」の日でした。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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