ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

ニーバーの祈りと共に。

2013-12-31 00:24:04 | 日記
大晦日です。
2年9カ月前の、とてつもない大地震と大津波。
そして、原発事故による放射線汚染への恐怖と不安。
あの年の大晦日の「祈り」を、
今年も、再び祈りたいと思います。

原発事故を風化させないために。
これからの、進路を誤らないために。
自省を込めて。

    ≪2011年最後の日。空は晴れています。
     津波にさらわれた多くのいのちに合掌。
     ご遺族の方たちが、元気になれますように。
     避難されている方々に、生きるすべが与えられますように。
     ふるさとに帰れますように。
     事故収束のために、日夜働き続けている方々の安全が保たれますように。
     ニーバーの祈りと共に。
     主の御名によって アーメン。

        主よ、変えられないものを
        受け入れる心の静けさと
        変えられるものを
        変える勇気と
        その両者を見分ける
        英知を与えたまえ
                 (ラインホールド・ニーバー)≫

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「鬼」のハナシ。

2013-12-30 07:25:03 | 日記
クリスマスプレゼントに『能 道成寺』のチケットを貰いました。
観てきました。

能楽堂での観劇は初めてだったので、たいへん感動しました。
特に、「乱拍子」。
シテと小鼓の真剣勝負の緊迫感には、身体の震えを覚えました。
やはり、テレビでの画像とは臨場感が違います。
正面舞台近くで観ましたので、演者の細かい動きまでよく観ることができました。

「道成寺」は、娘の激しい情念が 相手の僧を 焼き尽くし、
自らは毒蛇になってしまう………悲しい物語です。
「毒蛇」になってしまった娘は、情念の炎に自らも焼かれるわけですから、
その苦悩たるや、相手の僧に勝るとも劣らないものであったでしょう。

帰りの電車で、車窓の外を流れ去る「夜」を眺めながらの1時間半、
「鬼」あるいは「邪気」なるものについての思いを巡らしていました。

「鬼」………恐ろしいイメージがありますが、「鬼の面(おもて)」は悲しい表情です。
怒りの極み。悲しみの極み。
四苦八苦の現世で生きる人間、誰でも「鬼の面(おもて)」を内にひめているのでしょう。

電車座席の一つ前に座っていた50代と見受けられる女性が二人、
いろいろな悩みを語っていました。
聞くともなしに、耳に入ってきたのです。

夫の健康・しゅうとの徘徊・子どもの受験・上司の 嫌がらせ、
それぞれの「苦」に、悩んでいるようでした。
小姑たちへの讒訴(ざんそ)も、少々聞き苦しくはありましたが、
長男の嫁の辛さは 痛いほどに伝わってきました。

心の「内なる鬼」を 他人ごとに責めることは容易です。
生きて行く中で、人は「鬼」になってしまうことだってあるのでしょう。
「鬼」になどなりたくないのに、なってしまうということが。
だから、「鬼」は悲しい顔なのかもしれません。

老いた親を家庭で看取るというのも、なかなか大変なことです。
介護を受ける際の自己負担額も増えそうです。
介護施設への入所も厳しくなりそうです。

新年に向けて、鬼になりたくなくとも、「鬼」にならざるを得ない状況が、
あちらにも、こちらにも増えてくるという気配が濃厚です。

「鬼」の表情は悲しいのです。
                          〈ゴマメのばーば〉
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「負の遺産・原発事故」は忘れない。

2013-12-29 07:41:51 | 日記
「年忘れ」。
その年にあった苦労を忘れることだそうです。
苦労は忘れてしまうに限りますが、なかなか忘れられません。

最近、「固有名詞」が出にくくなりました。
特に人名がダメ。
子どもの頃、祖父が孫たちの名前を、よく間違えて呼んでいました。
それは、今の自分の姿です。
これも老いという自然の成り行きであろうと、諦めというより居直ってはいますが。

私にとって、「忘れてはいけない」もの。
その一つは原発事故に関することがらです。
2年と9カ月が経ちました。
メルトダウンしてしまった原子炉の内部状態すら、まだ把握されておりません。
事故終息へは、具体的な見通しさえ 立てられていないのです。

事故の風化も心配です。
放射能は目に見えず臭いも無いので、
事故原発のある県に住んでいる私たちでさえ、日常のなかでは、
その存在が意識下のものになりがちです。
そして、人間は持続する不安の中には生きられず、
不安にも慣れてしまい、キケンさにも慣れてしまいがちです。

「負の遺産としての原発事故」。
このことだけは、忘却の淵や、無関心に陥ってはいけないと、自省するこの頃です。

27日のNHK朝ドラ「ごちそうさん」から。
     
     め以子の夫の父・正蔵は、かつて銅鉱山で技師をしていました。
     国策ということもあって、正蔵は、そこで懸命に働いていたのです。
     やがて鉱山から鉱毒が発生し、住民との間に紛争が持ち上がりました。

     正蔵は、悠太郎・め以子夫婦に子どもが生まれることを前にし、
     鉱毒の紛争から逃げ出した自身の生き方を省み、一つだけ話しておきたいこととして、
     悠太郎・め以子夫婦に手紙を書いたのです。

     『 悠太郎
       どれほど注意を払うたとゆうても、
       あやまちに前もって気づくことは、できません。
       豊かさを追い求め、豊かさを失うのが、
       悲しいかな人間という生きものです。』

     『 悠太郎
       けど、あやまちを 犯した後に、どう生きるかを選ぶことができるんです………』

私は、この言葉に
「いただきます」を言いました。

原発事故というパンドラの箱が開けられてしまいました。
その後をどう生きるのか、何を選び取り、何を捨てるべきなのか、
一人一人が問われているのだと思います。

私は、
「トイレの無いマンション」、原発は「要らない」と、
忘れずに言い続けたいと思っています。
                           〈ゴマメのばーば〉
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「おごり」でしょうか、靖国参拝。

2013-12-28 07:18:09 | 日記
安倍首相にとって、想定外だったのでしょうか、想定内だったのでしょうか。
靖国参拝は、中韓のみならず、アメリカ・ロシア・EUからも
「地域の緊張緩和や、日本の近隣諸国、とりわけ中国、韓国との関係改善に貢献しない」行為であるとの声明がなされたり、また、「遺憾」とも報じられました。

首相は、昨年12月に就任以来、靖国参拝を模索していたようです。
ただ、政権基盤が固まっていない中での参拝は、周辺諸国のみならず、
野党や与党内の反発を考えて、先送りしていたようでした。

ここに来ての参拝は、首相の「おごり」以外の何ものでもないでしょう。
「みたま 安らかなれ」と祈るのは、ごく、常識的な対応でしょうが、ご英霊に対し、
「政権1年の歩み」を報告するというのも、おかしな話です。

また、
「二度と再び、戦争の惨禍に苦しむことのない時代を創る」との決意を、
英霊に伝えるというのであれば、現時点での参拝は すべきではなかったと思います。

就任以来、中韓両国に配慮して、参拝を〈一年も我慢した〉とのことですが、
本当に平和で友好的な国際関係を結ぶなら、1年とか2年とかの時限で、
事を為すというのは、間違いです。
私のような素人の政治感覚で考えても、あまりにも稚拙に思われます。

また、安倍首相談話の「英訳」を見て、思わず苦笑いをしました。
条約の覚書きや、締結ではないのです。
国内外の不信や疑念を払しょくするための一環と考えたのかもしれませんが、
国内外の「靖国参拝」への疑念や怒りは、単なる「言語」の問題ではありますまい。
その国の言語に、正しく翻訳すれば理解してもらえるとでも考えたのでしょうか。
問題は「靖国参拝」そのものです。
【ウルトラ勘違い】もいいところです。

毎日新聞(27日)で、政治部長・前田浩智氏が
『失われた国益大きい』
と論じていましたが、同感です。

安倍首相の政治信念『強い国』とは、太平洋戦争の
責任も、敗戦も、
東京裁判も、
戦後制定された日本国憲法も
歴史から抹消して、ただ、ひたすら、
「日の出る(いずる)国」
にでも戻したい願望なのでしょうか。

「外交」の孤立化はキケンな道です。
歴史が示しています。
安倍首相は、ますますキケンな道を突っ走るのでしょうか。
                          〈ゴマメのばーば〉


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「好戦的」に思えてきます。

2013-12-27 07:25:46 | 日記
安倍首相が、靖国参拝をしました。
「やっぱりねぇ」という思いです。
“年内の靖国参拝は無い”という新聞等の報じられ方でしたが、
「やっぱり」の感です。
きたない やり方です。

「行かないもよう」説は、反論に肩すかしをくわせるための煙幕だったのでしょうか。
『だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね』と言った麻生副総理と、
首相の政治信条も同じなのでしょうか。

『英霊の冥福を お祈りし 手を合わせることは、世界共通のリーダーの姿勢だ』
『不戦の誓い』のために参拝?
『中国や韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない』
ですと、
中国、韓国は、強く反発しているではありませんか。

こうした発言こそが、不要な国際間の緊張を生み出すのではないでしょうか。
自身の信条なら、言いわけめく言葉など発しない方がいいと思います。
こうした首相の発言を聞きますと、
むしろ、首相が好戦的にさえ思えて来るのです。

アメリカも、
「日本の指導者が、日本の近隣諸国との緊張を悪化させる行動を取ったこと」に、
失望しているとの声明を発表しました。
首相の、『恒久平和への誓い』という文言と『積極的平和主義』というのは、同質の 
うさん臭さが感じられます。

安倍首相は、
「辺野古移設」関連で、沖縄の仲井真知事から、
「驚くべき立派な内容」
「さすがに安倍首相」
「何から何までしていただいた」
と賞賛され、
第1次内閣時代に参拝できなかった「痛恨の極み」も解消されました。

仲井真知事のように、
「いい正月になるなぁ」の心境でしょうか。
また、「夢はかなう」と、この年を総括するつもりなのでしょうか。

こうした首相のやり口を考えますと、「集団的自衛権」「防諜法」などなど、
おそらく、汚い手を使って来ることが予想されます。
すでに、民主主義の「禁じ手」は、先の国会でも使用済みです。
要注意です。

≪見ざる・聞かざる・言わざる≫
では無く、
≪よく見≫
≪よく聞き≫
≪よく言う≫
この路線を強化しなくては、と思います。
                           〈ゴマメのばーば〉
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