ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

ねこ のことなど。

2015-01-31 07:50:38 | 日記
粉雪が降っています。
「サラ サラ」「シン シン」
5センチほど積もりました。
ぼんやり、窓から降る雪を眺めていました。
と、ボソボソ降りに。

♪ねこは こたつで丸くなる♪
などと、はな唄を歌っていましたら、100万回生きたねこの話を思い出しました。
私の好きな作家・佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』のことです。

   ≪100万回も しなない ねこが いました。
    100万回もしんで、100万回も 生きたのです。
    りっぱな とらねこでした。
    100万人の 人が、そのねこを かわいがり、100万人の 人が、
    そのねこが しんだとき なきました。
    ねこは、1回も なきませんでした。≫
と、お話は始まります。

ねこは、
王さまに かわいがられます。
ねこは 王さまなんか きらいでした。
そして、戦争で、飛んできた矢に当たって死んでしまいます。
王さまは泣きました。

それから、
ねこは、船のりに飼われます。
ねこは、海なんか きらいでした。
そして、海に落ちてしんでしまいます。
船のりも泣きました。

それから、
サーカスの手品つかいに、
どろぼうに、
ひとりぼっちの おばあさんに、
小さな女の子に、
かわいがられ、
こうして ねこは、何回も何回も死ぬのです。

そしてある時、ねこは、
のらねこ になったのです。
もう、だれの ねこでも ありませんでした。
ねこは、はじめて自分の ねこ になったのです。

そして、ねこは、たった一匹の白いねこと出会います。
   ≪「そばに いても いいかい」と、白いねこに、たずねました。
    白いねこは「ええ」と いいました。≫

白いねこは、子ねこを たくさんうみました。
ねこは、白いねこと、たくさんの子ねこを、自分より好きだったのです。

やがて、子ねこたちは、大きくなって 離れていきました。
ねこは、白いねこと、いつまでも 一緒に生きていたいと思っていたのです。

あるひ、白いねこは、ねこの となりで、しずかに うごかなくなっていました。
ねこは、はじめて泣きました。
朝になって、夜になって………、ねこは 100万回泣いたのです。
朝になって、夜になって………、
ある日の お昼に、ねこは 泣きやみました。
そして、白いねこの となりで、しずかに うごかなくなったのです。

   ≪ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした≫
と、物語は結ばれています。

私は、読むたびに胸がいっぱいになるのです。
悲しい涙だけではなく、あたたかい涙がじんわりと、沁み出して来るのです。

そうです、ねこは「生きた」のです。
白いねこと一緒に、「生き切った」のです。

外の雪は10センチほどになりました。
「生き切った」ねこ の物語を思い出したのは、進展のきざしが見えない「人質」問題が、
心から離れないからでしょうか。
それとも、ふわふわな白い雪が、どこか《白いねこ》に似ていたからなのでしょうか。
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セブンスコード

2015-01-30 07:36:07 | 日記
先だって、仙台三越で開かれている『日本伝統工芸展』へ行ってきました。
昨年9月の東京会場を皮切りに、全国数か所を巡回して作品が展示されます。
私は、毎年、この時期 仙台三越会場におもむいて観賞いたします。

とにかく、楽しみです。
東京会場で開催される時期には、NHKの日曜美術館で放映されますので、
まずは映像で観ることになりますが、映像と実物では似て非なるというよりも、
別なものとしか思われません。

まず、色彩の輝きと深さ、ホルムが漂わせる作品の持つ小宇宙。
声さえ聴こえてきます。
観ることは、何でも好きですが、風と土と技が織りなすシンフォニー。
陶芸は特に好んで観ています。
でも、指揮者も奏者も、創った作者………とは言いきれません。
作者の預かりしれない、なにものかが大きく係わっているはずです。

どれも これも宝もののように思えました。
拭漆の箱、木目の文様はオーロラ-の輝くゆらぎ。
白磁の皿に盛られているものは、作者の宇宙。

心惹かれた幾つもの作品の中で、
私は、米田和 氏の『黒描鳥花文鉢』(朝日新聞社賞受賞)に魅せられました。
(かなわぬ望みですが、掌に取って触れてみたい………)
柔らかで弾むような曲線、水墨調の文様、器表面の余白。
確かな伝統工芸の持つ美しさです。
竜安寺の石庭が思い起こされました。
何とも、いい作品でした。

曲線の僅かな「ゆがみ」、というより「ゆらぎ」などを観ていて考えました。
私が造れば、「ゆがみ」は、技術の稚拙以外のなにものでもありません。
が、展示された作品の「ゆがみ」「ゆらぎ」は、作家の巧妙な仕掛けです。
ただ、驚嘆のみ。

『ゆがみ』
きっと、音楽のコード進行で言えば、セブンスコード、
G7 → C
Cコードに行ったときの広がりと、深さ。
勝手な、私の思い込みの世界です。

しばらくは、この「思い込みの世界に」浸かっていたかったのですが、
「人質」関連のニュースが続いていますので、落ちつきません。
怒り・不安・やり切れなさが、通奏低音となって、絶えず響いてきますので。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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「どこかで朝が………」と。

2015-01-29 07:52:40 | 日記
もうすぐ、4年になります。
とんでもない地震・津波、そして原発事故。
何が何だか分からず、様々な情報が飛び交い、
「キケンとは言えない」
「即刻 避難すべきだ」
そうした情報の狭間で、自分なりの“これから”を考え、
一応の結論を出して、
ふるさとであるこの地に留まり、
今、暮らしています。

当時、学校校庭の放射線量が高く、児童たちが休憩時間に外で遊べませんでした。
そんな折、子どもたちに「昔ばなし」や、朗読をしに、ある小学校へ何回かおじゃましました。
その時に選んだ詩の一つです。

   『朝のリレー』
              谷川俊太郎

    カムチャッカの若者が
    きりんの夢を見ているとき
    メキシコの娘は
    朝もやの中でバスを待っている
    ニューヨークの少女が
    ほほえみながら寝がえりをうつとき
    ローマの少年は
    柱頭を染める朝陽にウインクする
    この地球で
    いつもどこかで朝がはじまっている

    ぼくらは朝をリレーするのだ
    経度から経度へと
    そうしていわば交換で地球を守る
    眠る前のひととき耳をすますと
    どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
    それはあなたの送った朝を
    誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

この詩を朗読した私自身が、明るい明日を思い浮かべられるような気がしたことを覚えています。
現在という「時」に靄がかかって、明日が見えなくなっていても、
《この地球で いつもどこかで朝がはじまっている》
というフレーズが、心に響いてきたのでした。

テレビを観ていると、暗い気分になります。
イスラム国の兵士も、
イスラム国に拘束されているヨルダン軍パイロットも、
人質となっている後藤さんも、
みんな若者たちです。

情勢は厳しく予断はゆるせません。
《眠る前のひととき耳をすませても》
《どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる》はずの、
ベルの音が聞こえないのです。

でも、
《この地球で いつもどこかで朝がはじまっている》
はず。
そう祈り、信じたいのです。
                                   〈ゴマメのばーば〉

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驚きました。

2015-01-28 08:42:10 | 日記
驚きました。
『ぞっと』しました。
このところの「人質」に関するニュース映像は、見たくない映像ばかりです。
新たな最後通告とも受け取れる映像に、緊迫感と共に嫌悪感が増幅するばかりです。
〈何たる蛮行〉
〈何たる卑劣さ〉
と思っても、溜飲すら下がりません。
本人はもちろん、家族友人の「痛み」は、私の想像の及ぶところではないでしょう。
言葉を失い、沈黙するのみです。

毎日新聞(28日)【水説:「十人十色」=中村秀明】の論説が、心に響きました。
   ≪………70年前のきのう、アウシュビッツ強制収容所が解放された。
    強制収容所は「ナチス・ドイツの蛮行の象徴」と言われる。
    しかし、ナチスに限らず、流れにおされ、小さな積み重ねの末、人は蛮行に手を染め、
    あるいは加担せざるを得なくなるのかもしれない。
    そんな象徴と受け止めるべきではないだろうか。………≫

昨日の国会中継。
安倍首相への質問演説中、首相は、手元の原稿をブツブツと唇を動かしながら読んでいました。
その様子が、何回も映っていました。
「人質」関連の対応に追われ、回答書に目を通すヒマがなかったのかもしれません。
まるで、アナウンス前の「滑舌」の感です。
質問者の発言を、聞いている様には見受けられません。
それは、その姿は、質問者へ失礼ではないでしょうか。
まるで無視しているようにしか見受けられませんでした。
何だか、国民の私たちまでバカにされたような気分になって不快です。

朝7時前後にブログを書くのが私の通常です。
前日書いたもの、あるいは書き止めて置いたものなどをアップします。
今日は、いつものパターンを踏襲できぬほどに、心が動揺し おののきました。

今も、落ちつきません。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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“アーダ コーダ”と

2015-01-27 06:43:03 | 日記
『人質』に絡む映像とニュースに心が沈んでいた私でした。
でも、ある方の『老人談義』というタイトルのブログに、心が「ほっ」と和んだのです。
一部を(無断ですが、お許し下さい)紹介させていただきます。

   ≪風もなくポカポカの陽気だったので、
   後少し残っているジネンジョを掘っていたら、
   時々一杯やっている近所の飲み仲間が通りかかりに「どう?」と声がかかる。
   今すぐ終えなければいけない作業でもないのでOK、
   この時午前11時です≫

ここで、私の心が やわらかーく なってきたのです。
何人かは分かりませんが、「一杯やる話」が成立。
買い物をして、肉や野菜を買って………。

   ≪焼肉屋さんでキャベツを無償ゲットしてスーパーで価格を
   見たら250円もした。ラッキー!!≫
と、いいですねぇ、いいですねぇ。
私もトクをした感じになりました。

   ≪政治から町内の話まで話題はつきない。
   夕方にもう一人も加わって、
   昼食時間帯から夕食時間帯まで老人談義はつづく。
   世間的には「老人」なのだがアーダ、コーダと気持ちは「若者」の気分です。
   各家から「いつまだやってるの」との電話が相次ぎ、やっとお開きに。
   6時間に及ぶ会費2000円の「大宴会」はこうして過ぎていきました≫
とのことでした。

アップされている焼き肉・野菜などの写真からは、においと一緒に、「アーダ、コーダ」の 
話し声が聞こえてきました。
そして、「いつまでやってるの」
と、それぞれの家からかかってきた、言葉のあとに、
「ったく もう!」
なんていう ことばも聞こえた様な。

これは、「平和」な光景です。
とても とても「平和」で「幸せ」な。

だから、私は
「いいね!」「いいね!」「いいね!」
と、私の心のボタンを押しました。
きっと、私たちの「平和」「幸せ」とは、こうした小さな日常のことなのでしょう。

『人質』をとって、おぞましい映像を流し続ける側も、
怒りと悲しみに打ち震えさせられているこちら側も、
本当は、
〈食べものがあって、声をかけてくれる友人・家族がいて、ささやかな宴会ができて………〉
そんなことを望んでいるのではないでしょうか。
生まれおちた時からの「極悪非道」な人間などいないはずですから。

チヤールズ・チャップリンの名言を お借りして、
私なりの
【平和を、世界中に平和を】
と祈ります。
    〈人生に必要なものは、
     勇気と想像力。
     それと、ほんの少しのお金です。〉
              (チャールズ・チャップリン)
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