ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「そのシナリオ、乗ってもいいかも」

2013-10-31 00:09:40 | 日記
安倍首相は、トルコへ。
トルコ建国記念日とあわせ、海底トンネル地下鉄の開通式典と、トルコの原子力発電所建設計画について、意見交換をしてくるとのことです。
海底トンネル地下鉄は、大成建設が工事を手がけています。
首相のトルコ訪問は5月以来で、半年以内に同じ国を再訪するのは異例とのこと。

「原発売らんかな」の、商魂のたくましさ。
商魂というより、「アベノミクス」の戦略でしょう。

日本の原発という商品、事故を起こしてから、まだ、完全な検証すら出来ていないではありませんか。
福島に、ちょっと来て、お魚や、おにぎりを食べてみせ、
「福島は安全」
などと言わないで下さい。

欠陥商品を売りつけるのは悪徳商人のすることです。
福島県民の一人としては、非常に不快です。
いや、国民の一人としても、憤りを覚えます。

もっとも、《完全》という字句の、国語辞書的意味すら無視して、自説を押し通す方です。
やりたいことを いくらやったとしても、恐れ知らず、政権は安泰でしょう。
《完全》にガードしてくれる閣僚はいっぱいいるようです。
なんといっても、国会は衆・参院ともに、多数ですから。

ところで、小泉進次郎復興政務官の発言ですが、
     「やっぱり今の日本というのは、高齢者も元気がありますね」
     「父が誰と会うか、そういうことは、私はコントロールできませんから」
「コントロール」ということばが、とっさに出てくる進次郎さんのタレント性は お見事。
第二回目「小泉劇場」の主役かな。
そして、
     「今までも言っている通り父は父、私は私です」
と、現復興政務官の立場で、発言を しめてみせました。

12日には日本記者クラブで記者会見をするという お父様の小泉純一郎さん、
     『核のゴミをどう処理するか見通しのないままでの
                  原発推進路線は必ず行き詰る』
と、明快です。
真っ当な主張です。
「トイレの無いマンション」には住めないのです。
福島の原発事故で汚染されたゴミの処分場が決まらない……これだけでも、ゴミ処理は破たんしているではありませんか。

「郵政民営化」の時は、小泉さんに反対でしたが、
「原発」に関しては、大いに賛成です。

いろいろと、政治姿勢は異なっても、地球環境と、「いのち」を守るために、『脱原発』では、手をつなぎたいと思います。

今日、ふるさとの山・磐梯山は秋晴れ。
すっきりとした佇まいでした。

   (PS)  小泉(お父様)さんって、政治家より、シナリオライターか、
        舞台演出家が向いていそう。
        多分。

                        〈ゴマメのばーば〉
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「希望」へ、と 〔Ⅱ〕

2013-10-30 08:46:56 | 日記
【「希望」へ、と 〔Ⅰ〕】に続いて、昔の職場の思い出などを、もうひとつ。

とにかく、良くても悪くても、人と人とのつながりが濃密でした。
大ざっぱで、雑だったのかもしれません。
個人のプライバシーなどは あまり守られない、というより、お互いが さほど気づかいをしなかったのです。
嫌な面もありましたが、気楽でもありました。
休憩時には、他人の噂で花も咲きましたが、全体としての陰湿ないじめなどには なりませんでした。
噂ばなしが、一線を越えそうになると、年配の方、良識的な人などから、
『もう、やめろ!』の一喝が入ったのです。
個人的なことがらへは、こちらが、煩わしくなる程に心配されたりして、《あまちゃん》でいえば、『おがまいねぐ』と言いたいことも多々あったことは確かです。

昼休み、事務室の真ん中に置いてある石炭ストーブを囲んで、先輩や上司の よもやま話を聞くのは、ひとつの娯楽でもありました。

     軍隊に召集され、戦地での経験を、
     面白おかしく話してきかせてくれた人、
     苦虫を噛み潰したような顔つきで、黙って聞いている人、
     上官への恨み・つらみを、訴え続ける人、
兵役経験者の一人ひとり、それぞれの、戦場体験の話でした。

私が、とても印象に残っている話の ひとつです。
戦争に関しての、青臭い「平戦運動」の話などを、私が力説した時のことです、
     「あのな」
と、Mさんが、めがねの縁を持ちあげて語りだしました。
     「初年兵」が初めて戦地に出るとな、
     ほとんどの兵は、小便をチビッてしまうんだ。
     隠れるモノが、なーんも無え平原で敵襲になるとな、
     草の陰、蔽いにもならねぇ数本の草むらに、頭を突っ込んで、
     敵弾から身を守ろうとするんだ。

     わかるか?
     わかんねぇよな
     空から狙い撃ちされる恐さ……
     戦争の、戦場のことなど何も知らねぇくせに、
     何が戦争反対、何が再軍備反対だ、と。

この論理展開、かなり屈折していたことは確かです。
青臭い正義感しか持ち合わせず、心身共に幼稚な当時の私です。
あぁ その場景こそが戦争なんだ、と理解したのは、想像できるようになったのは、ずっと後のことでした。

だからこそ、今、思うのです。
     「人」は、どんな時にでも「生きたい」のです。
     人は誰でも、切れば血が出る“生身(なまみ)”なのです。
     「戦争」という手段で、国際紛争に決着をつけることは、間違いです。
     先の戦争では、310万人もの日本人が死にました。
     傷ついて、飢えて、死にました。

     「希望」とは、
     私たちの国の人も、
     よその国の人も、
     「生きられる」ということでしょう。
まだ青臭い〈ゴマメのばーば〉の言です。
                        〈ゴマメのばーば〉
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「希望」へ、と 〔Ⅰ〕

2013-10-29 08:13:26 | 日記
私が所属していた労組支部の、退職者組合総会へ行ってきました。
何十年も お付き合いのあった方たちばかりです。
毎年、その年度に亡くなられた方の お名前が報告され、議事と懇親会に先立ち、参加者一同、黙とうをいたします。
老いを迎えて彼岸へ旅立たれることは、世の常とは申せ、いつも さびしい思いになります。

私が入社したのは、昭和27年。
60年以上前になります。
戦後の、食物が圧倒的に不足していたというような状況ではありませんが、物は、まだ豊かとはいえず、事務用の机、椅子、書類棚等も実にお粗末な物でした。

「昔は良かった」という言葉で、職場環境や人間関係を総括したくはありません。
でも、そこには、暖かい人間関係が息づいていたのです。
意地の悪い先輩だって無いとはいえませんでした。
どんな社会、どんな職場であっても、百点満点の世の中など、ある筈はないのです。

そして、何と言っても、忘れられないのは、「労働組合」の存在でした。
職場でのトラブル、差別、労働条件などの細部に渡って、見守り、不当な管理には、組織として取り上げ、交渉してくれたのでした。

そんな先輩や、仲間にも高齢化が進みました。
議事の質疑討論といっても、かっての様に舌鋒鋭い応答などは、見うけられません。
耳が遠くなって、質問の趣旨が伝わらなかったりもします。

でも、余興には
「どじょうすくい」あり
「飛天の舞 花架拳」あり
いろいろ、いろいろ と。
かっての青年部長は、孫の写真をケイタイの待ちうけ画面に入れていたりして、
何かしら、心が和んで、ゆったりしました。

     かって、
     安保闘争もしました。
     非常勤職員の本務化闘争もやりました。
     裏庭で、
     下手なアコーディオンの伴奏で、
     労働歌も歌いました。
     ポストの数ほど託児所を、とがんばりました。
     原水爆禁止の運動も。

会が終わり、参加者が送迎バスに乗り込みました。
まだ、お酒の気が残っている人、うとうとする人、おしゃべりに花を咲かせている人。

バスの窓外は、紅葉の山々です。
小さな声で、独り、「若者たち」の歌を口ずさみました。

          [若者たち]
                    作詞 藤田敏雄
                    作曲 佐藤 勝
       君の行く道は はてしなく遠い
       だのに なぜ
       歯をくいしばり
       君は行くのか そんなにしてまで

       君のあの人は 今はもういない
       だのに なぜ
       なにを探して
       君は行くのか あてもないのに

       君の行く道は 希望へとつづく
       空に また
       陽が昇るとき
       若者はまた 歩きはじめる

今、非正規労働者が、2000万人を超えているそうです。
もう「若者」ではありませんが、
「声」も小さく、
歩幅も、狭くなっていますが、
歩き続けたいと思います。
「希望」へ続く道であってほしいと願って。
                      〈ゴマメのばーば〉
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おしゃべり、「こちら、と、あちら」

2013-10-28 07:54:16 | 日記
墓参りに行って来ました。
母が逝ってから、五十二年です。
バスを乗り継いでお墓まで。
手桶に水を汲み、墓までの階段をゆっくりと登り、
持参した花と、饅頭一個を供え、線香を手向けました。

合掌し、母に語りかけました。
     母ちゃんより ずっと長生きしているよ
     お金持ちじゃないけど、食うに事欠いてはいない
     元気です
     ときどき、腰が痛くなったりするけどね
     先だって、孫が修学旅行で、ロサンゼルスに行ってきました
     飛行機が嫌いな子だから 少し心配したけど、
     無事帰って来て一安心というところ

     そういえば、むかし私が修学旅行へ行く時、
     ボストンバック買って貰ったよね
     覚えてる?
     あの時、母ちゃんたら 店の人に、
     〈オストンバックありますか? オストンバック〉って、
     何回も何回も尋ねたので、私、とっても恥ずかしくって
     帰り道、ずっと ツンツンしていたこと

     歳をとってくると、横文字や、カタカナ文字が
     頭にインプットできないんだよね
     わかる、わかる、私もこの頃、そうなんです
     正しい地名は【los Angeles】って言うんだよ
     まあ、地名なんて覚えなくともね
     そちらは言語不要でしょうから

     おみやげに、ペンダント買って来てくれました
     次の日、さっそく付けていって友達に見せたりして

母は、一言だけ。
     ≪あぁ、良かった、ありがたいねー≫


父は何も語らないが、耳を傾けていることは確か。
     今日はお天気が良くて最高!
     新幹線が走ってるね、今は、青森まで新幹線で行けるんだよ

祖父は、聞いてるんだか、いないんだか、
それとも、耳が遠くて聞こえない?
何やら鼻うたまじりだ
     《他人(ひと)に言えない仏が出来て、秋の彼岸の回り道》
      だって。
結構ですこと。
周囲など気にかけず、都々逸や浄瑠璃を ブツブツと語っていたじいちゃんが好きでした。
明治の富国強兵の時代に、戦争にも行かず、好きなことに専念していた……じいちゃんが。
これって、すごいよねぇ。

姉ちゃんは、静かに微笑んでいました。
《いい人は早死にするんだ》

     さあ、バスに間に合わなくなるから、もう帰るね。

今も、昔も、おしゃべりは私の独壇場です。
供えた饅頭を、お下げして自分で食べました。
鳥害があるとのことなので、供えた食べ物は置き去りにできないのです。
これって、ちょっとさびしい。

カラスが、空を ゆっくりと旋回。
「ごめんね、何もあげられないよ」
「あんた達に 放射線被害は無いの?」

カラスは、ゆっくり、ゆったり、空を飛んでいました。
空は青く広がっていて、異物など、なーんにも見えないけれど。
                      〈ゴマメ〉のばーば

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「避難」できない怖さです

2013-10-27 00:18:55 | 日記
昨晩、長くて、大きい地震がありました。
最近、地震そのものの揺れには、あまり驚かなくなっています。
2年7カ月前の、あの、とてつもない揺れを経験してからでしょうか。
少しの揺れには、夜中に目覚めても、飛び起きたりしなくなってしまいました。
「慣れ」というものなのでしょう。
昨晩の地震は震度4、けっこう大きいなとは感じました。
床の中に入ったまま、もう終るか、もう収まるかと思っていたのですが、
治まりません。
起き出して ベランダ側の戸を開け、逃げ出せる体制をとりました。

揺れも治まり、物が落ちたりもしなかったので、テレビをつけました。
震源地は福島県沖とのこと。
さあ、心配なのは原発です。
台風の接近で、汚染水タンクの堰からの、水漏れが心配でしたが、
「電源」は?
真っ先に気になりました。

地震後、原発の状況が発表されるまでは、なかなか寝付けないのです。
いつになったら、こうした不安から解放されるのでしょうか。

朝、テレビで 地震関連のニュースを見ました。
ひとまずは 安心。
東電の発表するデータの類は、ストレートに信じることができなくなっていますので、暫くは、様子を見ています。

ひとまずの安心のあとで、新聞をみました。
政府は、25日の閣議で、「特定秘密保護法案」を決定し、国会に提出、との記事が目に入りました。

『見まい・聞くまい・話すまい』
という「三猿の教え」というものがあります。
〈子どものうちは、悪いことは、見ない・聞かない・話さない、という教えとのことです〉

私が子どもの頃ですが、大人たちは、この「教え」を、
「お上」(政府)にとって、都合の悪い事がらに対しては、
『見まい・聞くまい・話すまい』
で、いた方が、我が身を守る生き方だ……という風に使っていたような気がします。

映画「少年H」では、
《少年Hの父親が、スパイ容疑で連行されて取り調べを受けたり、近所の青年が
特高に逮捕されたり、……厳しい軍事統制下で誰もが口をつぐんでしまう……》
という当時の世情が、画かれていました。
私が子どもの頃、こうしたことがらを、大人たちが、ひそひそと語っていたことを、目にしていました。
だから、
『見まい・聞くまい・話すまい』は、
幼いながら、生きるための護身のすべのように、ばくぜんと思っていたのです。

原発事故現場の電源や、汚染水なども、気になって、不安なのですが、
「特定秘密保護法案」や、
「日本版NSC」設置法案は、
じんわりと包囲されて来る怖さを覚えます。
とにかく、衆院も参院も政府与党が多数なのですから。

怖い。
そうした懸念は、時代錯誤だと言う向きもありますが、原発も怖いけれど、
「ものの言えない社会」は、
避難することができない、もっと、もっと怖い社会です。
                     〈ゴマメのばーば〉
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