ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

【巧言令色鮮し仁】

2015-04-30 07:59:33 | 日記
安倍首相の、米議会上下両院合同会議での演説。
率直に言って、【巧言令色鮮し仁】の一言です。
アメリカへの出発に先立って、「未来志向で、日米同盟の強化に取り組む」とは述べていましたが、
この演説、何とも誠意が感じられませんでした。
見た目は美しく染め上げられた粗悪な繊維で拵えた訪問着としか言いようがありません。

国会の論議も踏まえないままに、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制の整備を、
『この夏までに必ず実現する』
との約束。
アメリカにとっては、大きな 大きな「おみやげ」かもしれませんが、
日本国の議会制民主主義をも無視して仕立て上げた危険極まりない「おみやげ」でした。
アメリカ・オバマ氏にとっては、この「集団的自衛権の行使容認」というおみやげ、
異例なほどの歓待をして見せても充分すぎる価値ある「おみやげ」であったことでしょう。

まるで、浮かれた表情で、
お芝居の主役にでもなったつもりなのでしょうか、
アメリカ大統領と肩を並べる政治家になったとの自己撞着によるものでしょうか、
リンカーンの名演説や、オバマ氏の大統領就任演説と、肩を並べた名演説とでも
思っているのでしょうか、
あの、満面の笑み・はしゃぎ様。
品がありませんでした。

オバマ氏は、安倍首相の持参した おみやげが、国会の審議を経ていないことなど
百も承知での歓待であったでしょう。
この「舞いあがり はしゃぐ」安倍首相の姿。
私は恥ずかしいと感じました。
これが、「我が国の首相です」というのは、恥ずかしい限りです。
アメリカ国民の多くは、心中、安倍首相のこのハシャギぶりを冷笑していたのでは
ないでしょうか。
「おみやげ」は喜ぶとしても。

しかし、良くできた(よく、取り繕った)演説の文言でした。
真珠湾などの激戦地を挙げて
『歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものだ』
との表明。
対米開戦の過ちにも言及し、
『熾烈に戦い合った敵は心の紐帯が結ぶ友になった』
と述べました。
そして、
アジアに対する過去の植民地支配への「おわび」や慰安婦問題には直接触れず、
『紛争下、常に傷ついたのは女性だった。
 わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけない』
と述べたのです。

じつに、国語の作文なら「花まる」の文章でした。
おじい様・岸信介氏も、『良くできたねぇ』と、お喜びではないでしょうか。

沖縄では、「屈辱の日」と呼ばれているこの時期に、沖縄県民の民意を無視して、
よくもこうした演技をして見せられるものです。

でも、こうした安倍首相を、アメリカは、心底、どれだけ信頼しているのでしょうか。
まあ、「おみやげ」を持って来たのだから、アメリカ流の「おもてなし」をと、
俳句をつくっても見せ、演じてみせたのではないでしょうか。
演技力においては、オバマ大統領の足もとにも及ばないでしょう。

安倍首相の、この浮かれ様、とても、とても恥ずかしい限りです。
【巧言令色鮮し仁】のひと言です。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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〔驕り高ぶり〕です。

2015-04-29 06:37:32 | 日記
日米外務・防衛閣僚による日米安全保障協議委員会が、ニューヨークで開かれ、
日米防衛協力のガイドライン改定で正式合意しました。
しかし、安保法制関連法案の国会審議の前に、新たな日米ガイドラインの合意を先行させるのは、
まったくおかしな話です。

ケリー氏は、ガイドライン再改定について
『両国の防衛関係の転換期で、うれしく思う』
と述べ、
『尖閣諸島を含む日本の領土を守るわれわれのコミットメントを維持する』
と語りました。
岸田外相は、
「同盟を強化し、地域の平和と安定を確かなものにする」
と強調。

   ≪………ガイドラインは協力の枠組みを定めたもので、法的拘束力はないと政府はいうが、
    現実には対米約束となる。
    本来は憲法があり、日米安保条約があって、そのもとにガイドラインと、
    現実に自衛隊を動かすための安保法制が車の両輪として存在するはずだ。
    まるでガイドラインと安保法制が憲法や安保条約の上位にあるかのようだ。
    しかも安保法制の法案が国会で審議される前に、ガイドラインが日米で合意され、
    既成事実化するのは、順番が逆だ。
    これでは、際限なく自衛隊と米軍の一体化が進むことになる。
    国民を置き去りにした安保政策であってはならない。≫
毎日新聞28日の社説は、こう記しています。
まったく、同感です。

「平家にあらずんば人にあらず」
平家一門が栄華の絶頂にあったときに言ったとされている平時忠の言葉です。
現在の自民党一族。
安倍首相を頭(かしら)にいただく自民党とは、一体いかなる団体なのでしょうか。
「日本国憲法」など全く無視し、
『自民党政策にあらざれば、政治にあらず』
を、地で行く様な驕り高ぶりです。

   ≪おごれる人も久しからず。
    ただ春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ≫

平家物語では、〈おごれる人も久しからず〉と世の道理を記していますが、第三次安倍内閣、
どうして、どうして、国会での多数を恃んで、憲法も議会政治のルールも無視した暴走ぶりです。

驕り高ぶりは、いついつまでも、末長く続くことなどありませんが、
反対は反対と言い続けなくてはいけないと思います。

安倍首相は、アメリカ訪問で歓待を受け、
「ガイドライン」の再改定を踏まえて、
「新時代の同盟関係」を掲げた共同声明を発表。
安倍首相の晴れがましい表情。
一国民である私には、何ともバカにされた気分でしかありません。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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『先々への不安』

2015-04-28 06:21:38 | 日記
統一地方選挙の後半戦、投票率が最低を更新した選挙が多かったようです。
残念なことです。
《投票は銃弾よりも強い》
と、リンカーンが言っています。
この武器を、大切にかつ有効に使うべきなのですが、低調のひとこと。
重ねて残念です。

〈有権者の地方政治への関心を高めよう〉
〈女性や若者が立候補しやすい仕組み作りが急務〉
などと言っても、選挙民の政治意識を変えて行くほかはないのでしょう。

≪統一地方選・市議選、自民当選者が大幅増、民主は退潮鮮明≫
などと、報じられていますが、自民党支持者が増えたわけでもなく、
民主党が退潮したということでもない様な気がしました。
地方では高齢化、そして政治への不信や無関心が目立ちます。

私の周囲を見渡す限りでは、政党で選んでいる人はあまり多くはない気がします。
国政選挙ではないので、人柄・地域行事への参加の頻度・祭り等で、
婦人会お手製のソバの食いっぷりがよかった。
…………こうしたことが、一票を投じる大きなウエイトを占めている様にも思えるのです。
そして、中央とのパイプの強さ等々。
かなり即物的だと思います。

大間原発の建設差し止め訴訟が争点となった北海道函館市長選は、
現職の工藤寿樹氏が、訴訟の取り下げを掲げた新人候補者を破り再選されました。
〈地方自治体が国を訴える〉という訴訟に対しての民意を問う初の選挙でしたが、
市民は〈訴訟による原発差し止め〉を選択しました。

当選した広田氏は、大間原発建設反対を掲げながらも、
訴訟で市が国と対立していることについて、
「国とコミュニケーションが取れなくなっている」
と批判、保守層の一部有権者からは
「補助金が減らされないか」
などの懸念も出ているとのこと。

『補助金が減らされないか』
地方にとっては、これが選択肢の大きな要件です。
『残念』ではありますが。

安倍政権は、
勝てば「政権が評価された」
負ければ「地方の選挙事情」
と、都合のいい言を弄しています。
ダブルスタンダードと評されて当然です。
それにしても、この投票率の低さ、残念というより先々への不安を覚えています。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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『泣きっ面に―――→』

2015-04-27 06:29:57 | 日記
NHK・Eテレ『にほんごであそぼ』。
大好きで、毎日見ています。
「ことわざかるた」と言うのがあって、たとえば、
『泣きっ面に蜂』の諺、
まず、一枚の「なきっつら」の文字のカルタがあります。
次に、下記のそれぞれの文字が書かれた6枚のカルタが並べられ、
正しいカルタを選ばせるという趣旨の遊びです。

『なきっつらに(泣きっ面に)………………→たびをさせよ(可愛い子には旅をさせよ
                ………………→ふくがある(残り物には福がある
                ………………→さんねん(石の上にも三年
                ………………→ひとのためならず(情けは人の為ならず
                ………………→ものをいう(目は口ほどにものを言う
                ………………→はち(泣きっ面に
もちろん、「はち」が正解です。

「諺」を言葉として覚えると言うこと。
諳んじる、ということ。
たとえ その意味が理解できなくても、言葉として覚え記憶すると言うことは、
長じてのち、豊かな言葉の表現に役立ちますから、とてもいいことだと私は思っています。

でも、この「ことわざ」遊び、正しい諺の文言を覚えさせるだけではなく、
あえて、別の諺の文言を結びつけて、その意外性や、バカバカしさや、
思わぬ展開を子どもたちに楽しませて見ればいいのに、などとも考えてしまうのです。

私が中学生の頃、ある男子生徒・K君のハナシです。
国語のテストの時でした。
「枕草子の次の文章のカッコ(  )内に適当な文字を入れなさい」
という、設問でした。
  ≪春は(  )。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、………。
   夏は(  )。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。 ………
   秋は(  )。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、………
   冬は(  )雪の降りたるは言ふべきにもあらず、………
という出題でした。
K君はカッコ内に「あ・い・う・え・お」と入れていったのです。

成績の良かったKくんです。
≪春は、あけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ・冬は つとめて≫
など知らない筈はありません。
K君は、先生に こっぴどく叱られました。
私は、そんなK君が好きになったのです。

むかし むかしの話しです。
でも、
『泣きっ面に旅をさせよ』とか
『泣きっ面に福がある』とか
そんな、言葉をくっつけてみたら、おもしろい物語が生まれて来るのではないでしょうか。

かわいくて、小うるさいガキどもに、
テストに〇は貰えなくとも、
成績には結びつかなくとも、
そんな言葉遊びを、させてみたいと、
密かな願望を、未だに持ち続けている私です。

本日、晴れ。
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被害者でもあり、加害者でもあり、

2015-04-26 06:16:49 | 日記
「えっ えっ えっ!」
と思いました。
「私、大丈夫?」とも。

姉の お墓参りへ行ったのです。
70年前、灯火管制の暗い夜、20歳で逝ってしまった姉でした。
兄弟姉妹の中では、一番早世でした。
美人で、もの言いが優しい人だったのです。
病死ではありますが、死に至るまでに病が悪化したのは、水の溜まっている防空壕へ避難し、
身体を冷やしてしまったからに他なりません。
そんな姉が、なんとも可哀そうで、ずっと毎年墓参りを続けてきたのです。

いつもの年ですと、お墓周りには雑草がランダムに伸びているのですが、
今年は、あまり草が生えていないのです。
「天候が不順だからかしらん」
などと、少々いぶかりながら、お花を挿し、線香を手向けました。
大好きだった草ダンゴも供えて。

草が茂らない筈です。
ひと月間違えての墓参りをしたのです。
命日月は5月だったのです。

「いよいよ 来たか」
と、苦笑しながら、
「お陰さまで、孫が結婚しました」
と、あちら側の父や母や姉に報告しました。

『戦後70年』
あれこれと、政情もあやしい雲行きになってきました。
振り返ることの多かったこの頃だったのです。
ひと月間違えて墓参りに行ってしまったのは、終戦の「灯り」を見ることもなく
逝ってしまった姉のことを思い出したりしていたせいかもしれません。
姉への思いは、戦争・空爆などを抜きにしては語れないからです。

でも、遠い山並みを眺めていましたら、先だって亡くなった松谷みよ子さんのことを
思い出したのです。
松谷さんは、『現代の民話』(中公新書)のなかで、次の様に語っています。
   ≪実は、私は長い間、被害者の戦争に心をとらわれていた。
    戦争の中で育った私は、語り伝えるとしたら自分の体験を語ればよいと
    思っていた。
        …………………中略…………………≫と。
だから、小学生だった娘さんの〈戦争の話を聞いてくる宿題〉に対して、
焼夷弾で家が焼かれたこと、逃げまどったことなどを話し聞かせたそうです。

ところが、話を聞いた娘さんが、
『みんな、同じ話しかしない。戦争の話ってそれだけ?』
と、不満げに言ったそうです。
   ≪このとき私は卒然として、被害者の戦争だけを語ってはいけないと悟った。
    しかし、女性である私が、加害者としての戦争を、どのように実感として
    とらえることができるか………≫
   ≪これは、「現代民話考」の仕事としてやるしか方法はないと思った≫
と結んでいました。

加害者としての戦争。
この視点は、大切なことだと私は思います。
「731部隊」のこと、
「八紘一宇」のもとに、隣国の「ことば」を奪い、「姓」まで変えさせたこと、
などなども。
国として忘れてはいけないことは、たくさんあるのです。

そして私自身、教育がそのようなものだったとしても、
朝鮮人より日本人の方が優秀だと思い込んでいたことなど。
「反省」は、まだまだしきれてはいないのです。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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