ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

鍋奉行は、とりあえず岸田様。

2021-11-30 06:52:15 | 日記
やっと、歯医者さんに行って来ました。
部分義歯の金具の部分が欠けてしまったのは10日ほど前のこと。
痛みが伴っていないので、ついつい歯科医院へ行くのが遅くなってしまったのです。
そのまま使用できない事もないのですが、やはり噛む時に違和感を覚えます。
幸い、欠けた部分を修復して下さるとのことでしたので、今週の木曜日にはでき上る予定。
まあ、この程度で済んでラッキーでした。

コロナの新規感染者は、全国的にかなり減少し続けています。
コロナ自粛で、社会的な活動が、かなり萎縮している私です。
2年以上顔を合わせていない長男夫婦に会いに東京へ行ってみようか、などと考えていましたが、ここに来て新種株オミクロンの出現です。
政府は、水際処置の強化策を打ち出してはいますが、日本に入って来るのも時間の問題なのではないでしょうか。
やっぱり、もう少し家に籠るほかないかも・・・と、弱気になってしまいました。

今朝の気温は今冬に入って一番の冷え込みで、マイナス3度でした。
例年と比べれば、とりたてての低温とは言えませんが、やっぱり水が冷たーい。
洗濯物は、日中雲が広がりはしましたが乾いてくれました。
早い日没です。
日ざしが残っているうちに洗濯物を取り込みました。

寒い日でしたので、夕食は鍋にと考えました。
先だっての月食の晩も鍋でしたが、月を観察したりしていて落ち着きませんでしたので、今日もまた牡蠣鍋に、と。
冬の日は鍋が最高です。
何と言っても心身が温まりますから。

ところで、鍋と言う字は「禍」に似ています。
ことばのバカバカしい連想の好きな私です。
「コロナ禍」ならぬ、「コロナ鍋」なら何を具材に?
お肉、シラタキ、ネギ、焼豆腐、エノキ、その他冷蔵庫に残っている野菜のアレコレ。
必ず入れなくてはならないものは、蕪(かぶら)ならぬ「株」=アルファ ガンマ ベータ デルタ オミクロン。
鍋奉行は、とりあえず岸田様。

バカなことを考えていますと、どこかに不都合が出て来ます。
鍋に入れる長ネギを切らしていました。
            〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アドヴェント。

2021-11-29 06:56:28 | 日記
日曜日でしたので、先週に倣って一人での家庭礼拝をいたしました。
教会暦で言いますと、今日からアドヴェント(待降節)に入ります。
主の降誕を待ち望むアドヴェントに入るための心の準備として、牧師は「牧師説教要旨」で、次の聖書のみ言葉を挙げて下さっていました。
  『慰めよ、わたしの民を慰めよと
   あなたたちの神は言われる。
   エルサレムの心に語りかけ
   彼女に呼びかけよ
   苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
   罪のすべてに倍する報いを
   主の御手から受けた、と。』
     (旧約聖書 イザヤ書40章1~2節 新共同訳)

そして、このみ言葉を、
《神さまの救いの壮大な交響曲の序曲の音色として聴いてみませんか》
と。

イザヤ書40章は、次のみ言葉で締めくくられています。
   『あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
   主は、とこしえにいます神
   地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
   倦むことなく、疲れることなく
   その英知は究めがたい。
   疲れた者に力を与え
   勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
   若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
   主に望みをおく人は新たな力を得
   鷲のように翼を張って上る。
   走っても弱ることなく、歩いても疲れない。』

           (イザヤ書40章28~31節)
と。
聖書は、「バビロン捕囚」という苦難に対しての救いの始りを伝えていますが、私は、現在の私自身に向けられた言葉だと受け取らせて頂きました。

暫くぶりで、ひ孫のUちゃんと、Tちゃんがパパと一緒にやって来ました。
Uちゃんは大分上手に自転車を乗りこなせるようになっていましたし、Tちゃんも、会話の語彙が多くなっていました。
幼い者たちの声を聞き、傍にいることを覚えられるのは、限りない幸せ感を与えてくれるものです。
眼科にも、歯医者さんへも行かなければならい状態ですが、まずは、今年もアドヴェントを迎え、クリスマスを臨む日々を与えられた事を感謝することが出来た今日の日でした。
      〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《あいている穴》から、

2021-11-28 06:41:37 | 日記
歳を重ねますと、個人差はありますが、昨日出来たことが今日は出来なかったり、物忘れや、うっかり失敗、と言うことが増えて来ることは確かです。
そして、そんな自分に、ふがいなさを覚えることも、しばしばです。
最近は、そうした失敗に居直ったりしている自分に気がついて、恥ずかしくなったりもしています。

私と同じ歳の連れ合いも、私同様、「うっかり」による失敗が増えている昨今です。
「今晩、6時から会議があるから、夕飯は帰ってからにする。」
と、昨日言っていましたので、それなりの対応を私もしていたのですが、午後3時半を回ったあたりで、
「大変だ、会議は16時からだった」
と、大慌てでタクシーを呼んで出かけて行きました。
「会議の資料、忘れないようにね」
との私の呼びかけも、聞こえたものかどうか、返事もせずにタクシーに行き先を告げて出て行きました。
「16時」を午後の6時と思い込むことなどは、ありがちな事ではありますが、困ったことです。
他人様に迷惑をかけることにもなりますし、新幹線の乗車時刻でしたら、これまた大変。

《齢が重なり、病にむしばまれることで「ふがいなさ」を増す自分自身。
 それだからこそ見えてくる世界がある・・・・・・》
(‶ふがいない自分‶と生きる 渡辺和子 NHK「こころの時代」 金の星社刊 より)

と、渡辺和子シスターは語られました。
《そこに穴があいているがゆえに、見えることがあるのです。》とも。

青空も広がりはしましたが、寒い一日でした。
西の山並み辺りに雲が重なっていて、時折、小雨を降らします。
初冬らしい風情です。
すっかり葉を落とした生け垣のドウダンツツジは、繊細な小枝の先々に小さなふっくらとした紅色の蕾を数えきれないほどに付けています。
新しい世代が春を待っているのでしょう。
でも、まだ「春よ来い」の声は聞こえません。

《あいている穴》から、何が見えるのか、老いへのグチなどにならずに、見えて来るものを探ってみなければならない私たちなのでしょう。
連れ合いは、
「夕食は、弁当を買って来る」
と言っていましたので夕食の準備はしませんが、温かい何かは拵えて置こうかと。
           〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『雑炊としてあたたかく』

2021-11-27 06:39:09 | 日記
私の住んでいる福島県では、コロナの新規感染者数が、7日連続でゼロとなっています。
嬉しいことですが、南アフリカで、新型コロナウイルスの新たな変異株が確認された、とのニュースも入っています。
既存のワクチンが効きにくい恐れがあるそうで、WHOや研究者が解析を急いでいるとのこと。
松野博一官房長官は26日午前の記者会見で、現時点で、日本国内で空港検疫を含めて確認されていないことを明らかにしています。その上で、
《「WHO(世界保健機関)や諸外国の動向等の情報を収集している」と述べた。
会見で松野氏は「新たに変異株が確認された場合は感染性や重篤度、ワクチン効果に与える影響等をあわせて評価していくことが重要で、緊張感をもって対応している」と話した。(11/26(金) 12:11配信  朝日新聞)

と、報じられています。
全国的な感染者数の減少で、何となく解放感と言うか出口の光が見えて来たような気分に水が注がれた様な気がします。
ウイルスも、そう簡単には消滅する様なことはしないのでしょう。
政府は、〈アフリカ6か国の水際対策を強化し、27日午前0時から実施する〉と、決めた模様ですが、しっかりした対策を早急に立ててほしいと願っています。
世界中の国々の中では、感染者が少ない我が国です。
「安堵」、その隙に乗じて新たな災難が襲って来ることはよくあることですから。

午後から、晴れ間が広がって来ましたので、散歩に行きました。
昨日、下校途中の小学生にコトバを掛けられて嬉しい気持ちになっていましたので、今日も・・・などと期待していましたが、そんなことがあるはずはありません。
でも、連れ立って下校する児童たちを眺めていますと、未来を眺めている様な気がして、私の気も弾んでくるのです。
子ども達の持っているパワーって、すごいなあ。

そういう私、今日は歯医者へ行くつもりでしたが、行かず終いとなってしまいました。
夕方になって広がって来た雲の間から差し込む夕日の光を眺めながら、
「あぁ、今日も 一日終わるなぁ」
と、呟きました。
カラスが数羽、ねぐらに帰って行きました。
我が家の柿の木に、「鳥」のために残して置いた最後の柿の一つが食いつくされて、梢の奥に暮れなずむ空が広がっていました。

胃の具合が思わしくありませんので、私の夕食は野菜を沢山いれた雑炊にします。
     何もかも雑炊としてあたたかく  山頭火

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おばちゃん 何歳?」

2021-11-26 06:47:04 | 日記
散歩で公園脇を通りましたら、ちょうど近くの小学校の下校時だったらしく、男の子が4人、何やらふざけながら歩いていました。
と、一人の子が手にしていたハガキ大の紙が風に飛ばされて私の足元に落ちて来たのです。
男の子が慌てて駆け寄って来て紙を拾い上げながら、
「おばちゃん 何歳?」
と私に訊ねたのです。
あれ、人懐っこい子だなと思いながら、
「84歳よ」
と答えました。
「えっ!」
と驚きの声をあげながら、さらに一言、訊ねてきたのでした。
「おばちゃん 戦争の頃 生きてたの?」と。
「あぁ、生きてたよ」
「へぇ、何していたの?」と再び。
「爆弾が落ちてね、逃げて歩いた。食べ物も無くてね、お腹、減らしてた。」
驚いた素振りで私を見つめていた元気そうな男の子でした。
12歳とのことです。
「みんな、元気でいいわね」
と言って、その場から離れた私ですが、あの子にしてみれば「84歳」ときいて、おそらく化石がかった人間だと思っての質問だったことでしょう。
なんだか、言葉を掛けてもらったことが嬉しくて足取りが軽くなった私でした。

『中3生徒が刺されて死亡』
こうしたニュースを聞きますと暗い気持ちに襲われます。
何があったんだろう。
相手を殺めてしまう他なかったのだろうか。
いずれ捜査が進むにつれて、様々な経過や事実が明らかにはなるでしょうが、加害者の真の心の裡は伺い知ることはできません。
被害者の家族の方の嘆きと悲しみ、加害者とその家族もまた苦しみを背負う事になるでしょう。
外部の者としては、ただただ祈るほかありません。
合掌。

世界中でコロナの新規感染者が増えていますのに、日本はかなり少なくなっています。
少なくなることはいいことではありますが、どうして? との疑問がのこります。
貧乏性、苦労性が、こんな時にも顔を出してきます。
素直に喜んでいればいいのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする