ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「不便さ」の許容も、また、

2016-10-31 06:20:47 | 日記
近畿地方では、すでに「木枯らし1号」が吹いたとか。
冬がやって来ます。
どの季節も、それなりに楽しいことや ちょっと嫌かな、というものを携えてくるのですが、
冬は、寒さや冷たさが身に沁みるので、ちょっと苦手です。
最近減少の一途を辿っているスタミナや、活動力の低下が身に応える季節です。
まあ、冬眠するわけにもいかないので、精を出すしかありません。

横浜市で、87歳の男性の運転する軽トラックが、集団登校をしていた児童の列に突っ込み、
死亡事故を起こしてしまいました。
詳しい情報は、よく存じ上げませんが、走行していた状況からすれば、
やはり「高齢」が、原因の様に思われます。
亡くなってしまったり、重傷を負ったりした子供たちは、何とも可愛そうです。
家族の苦しみ、悲しみも如何ばかりかと。
合掌のみ。

私の連れ合いは80歳、子供たちの奨めもあって、
来春、長いこと足にしていた車の運転を止めることにしました。
特段、事故を起こしたりはしていませんが、
他人様を傷つけたりしてしまってはいけないからという理由です。
本人も それなりの対応策を考えてはいるようですが、
行動半径が、ぐっと狭まってしまいますので、淋しいというか、
複雑な思いもあるみたいです。

それに、私たちが住む地方都市は、公的な交通機関網も十分とは言えず、
差し当たり、通院などに支障をきたすことは必至です。
電動自転車を買おうかなどと話し合ってはいますが、
暮らし方に不便をきたすことは確かです。
あと、二、三年引き延ばそうかなどとも考えますが、今回の事故などを考えますと、
やっぱり、当初の決心で行こう ということに。

お世話になった神父さまから、
『老いるということは、神さまに一つずつ返していくことです』
と、教えられましたが、理解は出来ても、やっぱり現実的には困ったことも出てきます。

でも、加害者になってしまってからでは取り返しがつきません。
そんなわけで、
「クルマで紅葉を見に行けるのも今秋が最後だから なるべく出かけよう」
などと言い合ってはいるのですが、これが なかなか。

  『焚くほどは風がもてくる落葉かな』(良寛)

朝、落ち葉を掃くのが、日課となって来たこの頃です。
時代が移っても、〈焚くほどは〉与えられるのでしょう。
「不便さ」の許容もまた、老いの務めなのかもしれません。
                               〈ゴマメのばーば〉
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レクエイムは、まだ歌えていないのですから。

2016-10-30 06:25:07 | 日記
  『核兵器のない世界を必ず実現する。
   その道のりが いかに長く いかに困難なものであろうと
   必ずや その責任を果たしていく。
   日本と米国が力を合わせて 世界の人々に希望を生み出す灯火(ともしび)となる。』
   5か月ほど前の5月27日、オバマ大統領が広島を訪れた際の安倍首相の演説です。

唯一の戦争被爆国として「核なき世界」を主導すべき日本が、
その第一歩となる決議案に反対しました。
決議案に反対した理由は、
「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう助長し、亀裂を深めるもの」
だからだと、岸田外相が説明しています。

広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長は、唯一の被爆国である日本政府が、
《「つまらんことをしていると思う」
「バカ者」と言いたい。
何をしているのか》
と、憤っています。

「日本被団協」は、「被爆者であり同じ国の民として断腸の思い」とした非難声明を
内閣府と外務省に送りました。
「広島県原水協」も、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」も、
〈安倍首相は慰霊碑の前で核の被害者に何を誓ったのか〉
と、それぞれの抗議をしています。

と、いう私も、憤りを覚えております。
「原水爆禁止」の願いにかかる運動は、生物・化学兵器・クラスター爆弾のように
人道に反するとして、始められたものでした。
米国からの圧力があったにせよ、日本の政府の取った態度は、
何とも許せない気持ちです。

    『呼びかけ』
                             峠三吉
    いまでもおそくはない
    あなたのほんとうの力をふるい起すのはおそくはない
    あの日、網膜を灼く閃光につらぬかれた心の痛手から
    したたりやまぬ涙をあなたがもつなら
    いまもその裂目から、どくどくと戦争を呪う血膿をしたたらせる
    ひろしまの体臭をあなたがもつなら
    焔の迫ったおも屋の下から
    両手を出してもがく妹を捨て
    焦げた衣服のきれはしで恥部をおおうこともなく
    赤むけの両腕をむねにたらし
    火をふくんだ裸足でよろよろと
    照り返す瓦礫の沙漠を
    なぐさめられることのない旅にさまよい出た
    ほんとうのあなたが
    その異形の腕をたかくさしのべ
    おなじ多くの腕とともに
    また墜ちかかろうとする
    呪いの太陽を支えるのは
    いまからでもおそくはない
    戦争を厭いながらたたずむ
    すべての優しい人々の涙腺を
    死の烙印をせおうあなたの背中で塞ぎ
    おずおずとたれたその手を
    あなたの赤むけの両掌で
    しっかりと握りあわせるのは
    さあ
    いまでもおそくはない

〈いまからでも おそくはない〉のです。
広島・長崎で無残に殺された多くの人たちへのレクエイムを、
私たちは、まだ 本当には 歌えていないのですから。
                              〈ゴマメのばーば〉
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手をあわせると 種のかたち

2016-10-29 06:18:01 | 日記
親バカ
孫バカ
ひ孫バカ
「バカ」もいろいろあって、こうしたバカは、他人さまから見ると、
何となく笑ってしまうものです。
時に、バカが過ぎますと顰蹙ものですが。

自分が幼かった頃は、孫自慢をする お年寄りが、何か鬱陶しく感じられました。
心の中で「バカみたい」と非難めいた気持さえ抱いていたのです。

長じて、自分が親になってみると、「親バカ」を地で行くようになり…………、
やがて「孫バカ」へ。
「目に入れれば痛い孫」でも、そこは「孫バカ」、
他人さまのことなど、どうでもいいや、とばかりの「バカ」ぶりを発揮させるに及ぶのです。

そして、「ひ孫バカ」へと、バカが進級しました。
今風に言えば、バカが進化。
送られてくる動画を、日に何度も眺めては、語りかけている始末です。
果ては、まだ着せることもできない洋服の類を、売り場で手に取ったり、と。

ひ孫の父親、つまり孫にも「バカ」が継承されました。
〈やれ、目鼻立ちがはっきりしている、
月数の割には、動きが活発、
首の座り方も平均以上…………〉
とか、あれや これや、「バカ」ぶりを発揮しています。

胸元で、指を絡めるポーズを見て「五郎丸ポーズ」などと命名し、
‟サッカーの選手にでも すんのかよ“
と、〈ばーば〉は、心の中で笑っちゃっています。

    『手をあわせると』
      手をあわせると 種のかたち
      これから芽を出すんだけど
      いまはじっと
      ひかりをあびているんだ

      手をあわせると 種のかたち
      めをつむって
      ひかりのなかで
      かみさまといっしょにいるんだよ
                (詩集『風に吹かれて 第五集』奈菜より)

上記の詩は、井上洋治神父創設「風の家」の機関誌『プネウマ・風』第101号から
掲載させていただきました。

眠った ひ孫が、胸の辺りで指を絡めている姿を見ますと、
私は、祈ります。
〈目をつぶって、神さまと いっしょにいるんだね〉
「安らかに おおきくなーれ」と。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『足を踏んだ者は』

2016-10-28 06:28:56 | 日記
毎日新聞10月25日の記事『火論』(ka−ron)からの引用です。
  《足を踏んだ者は、踏まれた者の痛みがわからないという。
   よく用いられる警句だが、沖縄と本土のこれまでの関係史に、
   それはかなしいほどあてはまる。
   米軍用ヘリコプター離着陸帯の工事の警備で、大阪府警から沖縄に派遣された警察官が
   「土人」などと反対派の人々を侮蔑する発言をした。  
   これが呼び起こす怒りや屈辱感、失意は、歴史に無縁ではない。
   忘れたような本土の「無神経」が問われている》
玉木研二氏の論評です。

その通りです。
改めて、自身を含めた沖縄に対する無関心・無神経さに、恥じ入るばかりです。
確かに、
〈足を踏んだものは、踏まれた者の痛み〉は、分かりません。
だからこそ、踏んだ者は、少なくとも、踏まれた者の痛みを思いやり 
想像することが求められるのだと思います。

フィリピンのドゥテルテ大統領が来日しました。
この方の様々な暴言から考えますと、タイプではありません。
〈タイプではない〉などと、失礼なもの言いかもしれませんが、
政治家としての、やり方 処し方にも好感が持てません。
ご都合主義とも言えますし、それはまた、氏特有の戦略的発言だとすれば、
「ハァ、なるほど」と言えなくはありませんが、どちらかと言えば嫌いです。

日比首脳会談後の共同記者発表で、ドゥテルテ大統領が、
  《………大型巡視船の供与決定と、海上自衛隊の練習機の移転取り決めが
   署名されたことをうれしく思う》
との発言で、〈あぁ、なるほど〉と、私なりに氏の目的が分かったような気がしました。
誤認識かもしれませんが。

それにしても、氏の発言の中の〈海上自衛隊の練習機の移転取り決め〉という文言に触れて、
改めて、安倍政権が2014年4月に閣議決定した新たな方針『防衛装備移転三原則』
を思い起こしました。
「武器」を「装備品」と、「輸出」を、「移転」とした言葉のまやかしを。

〈足を踏んだものは、踏まれた者の痛みは分からない〉
と記しましたが、この言葉、安倍内閣が解釈すれば、
『足を踏んだのではありません。他の人の足の重力が かかっただけです』
とでも。

ドゥテルテ大統領のことは、よく存じ上げません。
でも、安倍内閣の政治姿勢には、「異議あり」です。
                               〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その磁力に吸い付けられて、

2016-10-27 06:20:50 | 日記
《自民党は、党総裁任期を現行の連続2期6年から、
 連続3期9年に延長する方針を固めた》
と報じられました。

現行の党則は、総裁任期を1期3年と定め、連続3選を禁止しています。
安倍晋三総裁に限定せず、総務会などを経て、来念3月の党大会で、
正式決定する運びとなるそうです。

党員でもない私が、自民党党則の変更について異議を申し述べることでもありません。
でも、傍から見るからこそ「見える」という事もあるのです。
アメリカ大統領の任期は、1期4年 2期8年以上に任期を延ばせません。
世界の国々では、為政者の任期も それぞれです。

長く権力を掌中にすると、腐敗が生じます。
それは歴史が証明している所です。
10月7日のブログにも記しましたが、
      権力は人を酔わせる。
       酒に酔った者はいつかさめるが、
       権力に酔った者は、さめることを知らない
                         (ジェームズ・バーンズ)
権力の暴走を止めるためには、〈チェンジ〉は大切な社会システムの知恵だと思うのです。

そんなことは、百も承知の自民党員の方々は数多く存在するはず。
でも 人間、自身の利に関することとなれば、議員に拘わらず誰しもが身の保全に
動いてしまうものです
〈強者に付いて 身の安全を図る〉
責められることでもありませんが、残念です。
「もの言う党員」は、鳴りを潜めたものでしょうか、次期の座を得るための方策として。

小池百合子都知事が開校する政治塾「希望の塾」の応募者は、4千人を超えたとか。
勢い上昇中の「力」には、その磁力に吸い付けられてしまうのでしょうか。
《支援 処分 離党勧告 処分軽減》
等々の言葉が躍っています。
政治の世界は、いつでも戦国時代のようです。

そうした世界で生きていく一般庶民と言われる私たちです。
黙って、殺傷与奪の権力をキケンな政治家に託するわけには参りません。

選挙風が吹いています。
風を、人ごとにしてしまうわけにもいかないのです。
やっぱり、一票の重さを、しっかり感じ取らないと。
                             〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする