ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈永田町版 木枯らし1号〉でしょうか。

2017-10-31 06:30:55 | 日記
うっ さむ!
思わず、そんな言葉が。
台風のせいで夜じゅう強い風が「ゴーゴー ヒュル ヒュル」と騒ぎまくっていて、
朝になったら、少し静かに・・・・。
でも、時折 思い出したように「ゴーッ」と吹いていました。
夕方近くになって風は治まりましたが、
うっ さむ!

東京や近畿地方では 「木枯らし1号」が吹いたとか。
いよいよ冬がやって来るようです。

選挙の後、永田町周辺から聞こえて来た「けんきょ けんきょ」の鳴き声も聞こえなく
なってきたと思いきや、来月1日に召集される特別国会で、自民党は、
《野党側との協議で、議席数に応じた時間配分に改めるよう求めていく方針》
とか。

これって、謙虚さに欠けませんか。
小選挙区制と言う制度の中で獲得した多数の与党議席数です。
こんなことを冒頭から言い出すのは、野党党首が述べているように、
「言語道断」
「全くの論外」
だと思います。
またまた、永田町近辺からは、お寒い風が吹いてくるようです。
〈永田町版 木枯らし1号〉でしょうか。

先だって、こおりやま文学の森資料館の特別企画展『中原中也 祈りの詩』を観てきましたが、
関連企画としての
【文学講演会 生誕110年・中原中也の可能性】
に、行ってきました。
いろいろと得るところの多い講演会でした。

さむい季節を迎えます。
街路のプラタナスやハナミズキの葉っぱがアスファルトの上を飛び回わり、吹き溜まり、
どこへ・・・・・・
私は、コートの襟を立て、中也の詩を声の無い声で呟きながら歩いていました。
歩いていました。

   『汚れっちまった悲しみに・・・・・・』
                    
     汚れっちまった悲しみに
     今日も小雪の降りかかる
     汚れっちまった悲しみに
     今日も風さへ吹きすぎる

     汚れっちまった悲しみは
     たとへば狐の革裘(かわごろも)
     汚れっちまった悲しみは
     小雪のかかってちぢこまる

     汚れっちまった悲しみは
     なにのぞむなくねがふなく
     汚れっちまった悲しみは
     倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

     汚れっちまった悲しみに
     いたいたしくも怖気(おじけ)づき
     汚れっちまった悲しみに
     なすところもなく日は暮れる・・・・・・
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〈でも その傷のところから〉

2017-10-30 06:21:52 | 日記
悲しい思い出や、忘れてしまいたいこと、口惜しいこと。
思ってもせんないこと、考えても仕方のないこと。
そうした事柄を、気持ちの持ち方一つで霧散させることができるなら、
心は、もっと もっと穏やかになれるのに。
そんな心のサプリなどは、売られてはいません。

でも、そうした「あること」への暗い思いが、時々マグマの様に噴き出してくるのです。
そうした気持ちを なだめすかし・・・・・やがて治まってはくれるものの、加齢と共に、
「決着」をつけなければ、という焦りもまた、強くなってきたりします。

日曜日でした。
土砂降りではなかったので、教会へ行きました。
台風は太平洋沖を通るとの予測ですが油断はできません。
交通機関の乱れもありませんし、風も強くはなかったのでバスで行きました。
でも、バスの到着が かなりの遅れでしたので、待っているうちに、イライラが
つのってきたのです。

こんな時は、面白からぬことなどを思い出したり、考えたりするものです。
低気圧が近づいてくるからと言って、心まで「低気圧」になることもあるまいに と、
そんな自分にも腹立たしさを覚えたりしながら教会へ向かいました。

牧師先生の説教内容は「使徒パウロ ローマへ向かう」でした。
私たちも困難に遭遇した時は、自分の願望を まずは抑え、神さまの み旨を求めることの
大切さを解き明かして下さいました。

〈まったく、くだらないことを思い出してしまって・・・〉と、自己嫌悪に陥りそうな私でしたが、
帰りのバスに揺られながら、次の「ことば」を思い出したのです。
   『何事にも時があり
    天の下の出来事にはすべて定められた時がある。』
                (コヘレトの言葉2章1節)

そうです。
何事にも、「時」があるのです。
その「時」を待つしかありません。
ゆだねる以外に無いのです。

そして、星野富弘さんの、こんな言葉も。
   『わたしは傷をもっている
    でも その傷のところから
    あなたのやさしさがしみてくる』

傷を持たない人間などいないのではないでしょうか。
でも、その傷から〈あなたのやさしさがしみてくる〉のでしょう。
私の傷にも、きっと。
                       〈ゴマメのばーば〉
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“〈おにぎり〉を土足で踏めない 何のリクツでもなく 踏めない”

2017-10-29 06:24:16 | 日記
  《国連総会第1委員会(軍縮)は27日、日本政府が提案した核廃絶決議案を144カ国の
   賛成を得て採択した。昨年の賛成票167から支持を23カ国減らした。》
                       (毎日新聞2017年10月28日 11時44分)
と、報じられました。
今年7月に採択された「核兵器禁止条約」を、日本は支持しなかったのですから、
当然の成り行きかと思います。
唯一の被爆国の国民の一人としては、情けない思いに駆られます。

また、
  《政府・与党は27日、来月1日召集の特別国会で、安倍晋三首相による所信表明演説と
   各党による代表質問を行う調整に入った。》
とも。
こちら、当然と言えば当然のこと。
「森友・加計(かけ)学園をめぐる疑惑」には、しっかり対応してもらわなければなりません。

いろいろ失言の多い麻生副総理、またまた自民党議員のパーティーで、衆院選の自民大勝に
関して、
「明らかに北朝鮮のおかげもありましょうし、・・・・・」
などと述べ、「おかげ」という言葉が問題視されているようです。
でも これ、ホンネではないでしょうか。
安倍首相は、最大限に「北の脅威」を演出してみせたではありませんか。

何となく気ぜわしい日々が多かったのですが、昨日は鬱陶しい曇り空の一日でしたので、
録画して置いた、【 NHK Eテレ (10月放送)100分de名著 『歎異抄』 】
を、じっくり見ました。
講師は、如来寺住職・相愛大学教授、釈 徹宗氏です。

『歎異抄』、過去何回か読んだり講座を受けたりはしましたが、釈 徹宗氏の解説に、
あらためて開眼させられる思いの「言葉」を頂きました。
  『弥陀の五劫思惟(ごごうしゆい)の願を よくよく案ずれば ひとへに親鸞一人
   (いちにん)が為なり』(歎異抄後序より)
の、解き明かしとして、
  《「この物語は 私の為にこそあった」と、そういう物語と出会ったときに人は救われる。》
と。
そして、「物語」と「情報」の違いについては、
  《「物語」は、出会ってしまうと出会う以前に戻ることができない・・・という力を持っている。》
とも。

また、
  《現代人は宗教という情報を扱っているに過ぎない。
   自分が今、抱えている苦しみに都合のいい宗教情報を求めている。
   宗教情報の〈つまみ食い〉は、リミッターがきかない、狂気に陥りやすい》
と。

私は、キリスト教徒ですが、いろいろ得ることの多い講座でした。
そして司会の伊集院光氏の次の言葉が、素朴なだけに心に残りました。
  『じぶんは、無宗教だと思っているが、
   “〈おにぎり〉を土足で踏めない 何のリクツでもなく 踏めない”』
この方、この番組で、時々、講師に勝るほどの はっとさせられる〈ことば〉を発します。
                             〈ゴマメのばーば〉
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ただ、秋の金色の日差しの中に、私が、今 いるだけ。

2017-10-28 06:43:07 | 日記
私は「秋」になっていました」
染まっていたのではありません。
「秋」になっていたのです。
深紅の楓の葉の上に広がる青い空
天へ伸びるカラマツの黄色 
松の緑
〈クマ出没注意!〉と、柵に掛けられている注意書き。
沼に映る錦秋の森
どれもこれも 秋 秋 秋
私も「秋」の点に。

連れ合いが、クルマを運転していた頃は、自分たちのお気に入りの場所へ、
よく季節を観に行きました。
会いに行きました。
今年の6月に免許証を返納してからは、それができなくなってしまいました。
淋しいというより抑え込まれた願望が、ストレスにさえなってきます・・・・・

ツァーという手もありますが、やっぱりそれではだめなのです。
空や湖や山並みから “おーい”と呼びかける声が響いてきて、
お天気も良く、
時間も取れ、
体調もOKと言う時に、出かけなくては。
それに観光バスでは行けないお気に入りの場所へ行きたいのです。
そんな思いが鬱積。

これは心身に良くない、そう思って一人で裏磐梯方面へ行ってきました。
朝、近所に住む長女にJRの駅まで送って貰い、電車に乗車、「猪苗代」駅で降車。
裏磐梯方面へのバスは1時間待ち。
40分程度乗って目的地の裏磐梯へ到着。
ホテルのロビーで、ケーキとコーヒー、いつもの(今までの)コースです。
それから帰りのバスまでのほぼ2時間、ホテル周辺で、
私は「秋」になっていました。
一日がかりの行程になってしまいましたが、でも、満足して帰って来ました。

カメラは持ちません。
もちろんシャッターは切りません。
ただただ、「秋」になっていたかったから。

     『私のカメラ』
                 茨木のり子

     眼
     それは レンズ

     まばたき
     それは わたしの シャッター

     髪でかこまれた
     小さな 小さな 暗室もあって

     だから わたし
     カメラなんかぶらさげない

     ごぞんじ? わたしのなかに
     あなたのフィルムが沢山しまってあるのを

     木洩れ陽のしたで笑うあなた
     波を切る栗色の眩しいからだ

     煙草に火をつける 子供のように眠る
     蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ

     世界にたったひとつ だあれも知らない
     わたしのフィルム・ライブラリイ

私のフイルム・ライブラリイには、何が収まっているのでしょう。
私の眼が捉えた「80年分の歳月」でしょうか。
何にシャッターを切り、何を忘却の淵に投げ込んでしまったのでしょう。
おぼろげ です。
ただ、秋の金色の日差しの中に私が、今 います。
それは 確かかもしれなくて・・・・・
                        〈ゴマメのばーば〉
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呼びかけることしか・・・・・

2017-10-27 06:15:47 | 日記
台風が去りましたら一挙に秋が深まりました。
柿の葉っぱは、かなり落葉、ドウダンも紅色を濃くしました。
アリから見上げれば赤い樹木の様な〈ほうきぐさ〉は、まるで、雨に紅色が流されて
しまった様に、茶っぽい色に一晩で変身。
でも小さな種をびっしり付けています。
こぼれた種から、来年また緑色の目を出し、紅色の小さな樹木になるのでしょう。

葉から葉、梢の細い先端から隣の木の葉へ、クモ達もせっせと網を張っています。
強い雨や風をどこで凌いでいたものか、いのちの営みは、すぐに 絶え間なく・・・・・。
そうした姿に いとおしさを覚え、思わず、
「台風、たいへんだったねぇ」
と、クモ達に言葉をかけてみました。

礼拝の説教で、牧師先生がワルケンホースト神父さまの話しをして下さいました。
牧師先生は、神父さまが帰天されて一年目の追悼集会に参列なさったそうです。
神父さまの生前語られた言葉、
『自分の選びではなく、神さまの選びであるならば、どんなことでも耐えられます』
との言葉は、ともすると自分の弱さに負けてしまいがちな自分の心に強く響いて
きたとのことでした。

そうした お話を伺って、私も自身の現在の在りようを見つめてみました。
グチを始めとして・・・・・傲慢さ 等々。
数え上げればきりがありません
それに、ワルケンホースト神父さまのような、召命感や使命感も希薄です。

でも、そんな自分の弱さに傷ついたり 落ち込んだりした時に、私は逃げ込む先が
あるのです。
弱い自分のままでアッバ(お父ちゃんの意)の懐に入れさせて頂くのです。
そして、
『しょうがないねぇ、まぁ悪いようにはしないから 安心して お休み』
そう、言われている様な安らぎを得ることができるのです。
そう、それだけ。

そして 時々、
「神さま、ちょっと 目をつぶって いらっしゃって下さい」
などと言って、ちゃっかり やりたいことをしてしまったり・・・・・と。
適当な人間です。
だから、「父なる神さま」と、呼びかけることしかできないのです。


    『あなたたちは生まれた時から負われ
     胎を出た時から担われてきた。
     同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
     白髪になるまで、背負って行こう。
     わたしはあなたたちを造った。
     わたしが担い、背負い、救い出す。』
                   (イザヤ書 46章から)
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