ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「あちら側」と「こちら側」の境界線が、薄れてしまった一日でした。

2016-11-30 06:34:08 | 日記
母の命日だったので、墓参りに行ってきました。
穏やかな日でした。
バスを乗り継いで市の郊外にある墓地へ。
いつもの様に お花 線香 そして母の好きだった固焼きのお煎餅持参。
今年は、お饅頭も。

いつも お供えする花は、いわゆる 仏さん用の菊がメインで、
花の形、色などを取り合わせて お供えしています。
でも、もう逝ってから55年になります。
「仏さま用」の切り花でなくともいいような気がして、
今年のお花は、菊にこだわらず、明るく きれいな色のものにしました。

紅いバラ、とも思いましたが それは止めておきました。
〈「仏さまに供える花」には トゲがあってはいけないよ〉
そんな生前の母の声が聞こえてきましたから。

線香をくゆらせ、お墓に入っている祖父を始め一人ずつ、
顔や声を思い出しながら合掌。
そして、
ひ孫が 寝返りができるようになったこと、
オナラが たくさんでること、
その度に、周囲の者が、
「それ!」とか、「くさい!」とか言って笑うことなどを報告。

〈そう、良かったね〉
母の声が また聞こえたような。

バスの本数が少ないので、お墓に居る時間は30分しかありません。
次のバスは4時間後の夕方5時になってしまいます。
急がなければなりません。
お墓の前で、私も お饅頭一個を食べ、「じゃあね」と言っての戻り支度でした。

高台で、見晴らしのいい お墓です。
人影はなく、カラスの姿もありません。
西の山々も穏やかな佇まいです。
だから、けっこう大きな声で、母や姉に語りかけることができました。
お昼を回った お日様の日差しが まろやかで暖か。

遠く眼下に、新幹線が走り去っていきました。
あれは『はやて』
真っすぐに伸びている線路の先は北国。
青森、雪は降っただろうか、などと知人の顔を思い浮かべながら、
本堂までの階段をゆっくり降りてきました。

時々、梵鐘を突いてみたくなるのですが、一人の時は突きません。
ちょっと、力不足です。

『ゴーン・・・・・ンンン』
と、オノマトペで。

薄れゆく余韻に交じって、
〈気をつけて お帰り〉
と、母の声が、また聞こえたような。
「うん、お母ちゃんも 元気でね」
と言って山門を出ました。

「あちら側」と「こちら側」の境界線が薄れてしまった初冬の一日でした。
                               〈ゴマメのばーば〉
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「健康ゴールド免許」?

2016-11-29 06:38:41 | 日記
自民党の「2020年以降の経済財政構想小委員会」で、
小泉進次郎衆院議員が、「健康ゴールド免許」とか言う新たな制度の導入を
提言したそうです。
  《頑張った人の負担を下げることは、
   そうでない人にペナルティーを科す意味でもありません。
   自助努力が難しい方には配慮が必要だと考えています。》
と述べていますが、この発想そのものが、全く頂けない思いです。

病気は自己責任でしょうか。
《ペナルティーを科す意味ではない》
と言われても、ペナルティーの対義語は「褒賞」、つまり、「ゴールド免許」でしょう。
《頑張った》とは、どのような範疇を指すものなのでしょうか。
などと言いますと、健康志向で、自らも日々健康保持に努力なさっている方などから、
『自己責任です』
という声も返って来そうです。
もちろん、暴飲暴食、ヘビースモーカー、等々、
責任を問われる方が皆無だとは言えませんが、
圧倒的多数の方々は、好んで罹病したわけではないのです。

人間 この世に生を受けた時に受け継いだ体質・身体的機能の強弱を
背負って生きています。
一体、〈健康管理に努力した、しなかった〉を、何を基準に判断するのでしょうか。
あまり医者にかからない人、つまり、医療費をあまり使わない人選びに
堕してしまわないでしょうか。

人は社会的に責任を持って生きるべきです。
でも、罹病に関しての自己責任という発想については、恐ろしさを覚えるのです。

かつて、ナチスは、
『健康は義務である』
と反タバコ運動や食生活改善運動を協力に推し進めました。
ドイツ国民の身体的完全性を目指す考え方は、
「民族純化」思想に繋がっていきました。

『「健康志向」、悪くないでしょう』
自堕落な暮らし方をしていて、健康保険で医者にかかるなんてもっての外、
との意見も、聞こえてきます。

いつの時代、どこの国であっても、ちょっと〈外れた人間〉は存在します。
生活保護の不正受給者なども、いないわけではありません。
でも、受給者の殆どは受給されることへの負い目を抱き、
目を伏せ、「落伍者」と自らを評価してしまうことも多いのです。

少数の〈外れ者〉を引き合いに出して、選別し、
ペナルティを課すことなどもっての外です。
なんだか、日本と言う国、何かが ガタガタ崩れてしまいそうな不安を覚えます。
                              〈ゴマメのばーば〉
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〈碧い海という空を 自在に飛翔する深海魚〉

2016-11-28 06:18:01 | 日記
羽生結弦さん。
美しかった の、ひと言です。
昨年のNHK杯の時は、
『阿修羅を秘めた「挑戦者」の舞い』
と、ブログに記しました。

今回のフリー、
〈碧い海という空を 自在に飛翔する深海魚〉
とでも。
エキシビションは、〈白鳥というより湖沼の精〉

とにかく、4回転ループだとか、3回転のコンビネーションジャンプとかの
技能的評価は分かりませんが、とにかく「美しい」それだけ。

日曜日でしたので教会へ行きました。
今日からアドベント(待降節)に入ります。
イエス様の降誕を待ち望む期間で、今日からロウソクが一本ずつ灯され、
クリスマスには4本が灯されます。

あぁ、今年もクリスマスが迎えられそうだ、と感謝を持ってロウソクの灯を眺めました。
高齢者がクルマでの事故を起こして、問題視されたり、
医療費がかかり過ぎる、とかの話題になりますと、
「長生きしていて いいのでしょうか」
などと呟きたくもなりますが、今年も 後ひと月程で終わります。
一日 一日、大切に生きたいと願っています。

リックを買ってきました。
先日、孫が携帯用の折りたたみ杖を買ってきてくれました。
福祉機器関係の仕事をしている孫が、「ライン」で、杖のカタログを見せてくれたので、
程よさそうなものを選びました。

杖が無ければ歩けないという事ではありません。
日常は、階段の昇降を始め、交通機関の利用にも買い物にも、
支障なく自分の二本足で歩いています。
ただ、先だって、JRの『小さな旅ホリデーパス』を使って、一日行程の旅をした際、
無人駅に降り立つのに少々ためらいを覚えたのでした。
街中とは違い、凹凸のある小道を歩くことへの足の不安でした。

そんなわけで、孫が買ってくれたのです。
「ばあちゃん、ここで折りたたんでみて」
と、言われ、孫が見ている前で、練習させられました。
こそばゆさと、有難さが入り混じって 涙がこぼれそうに。

「出かける時はリックに入れて行きな」と、孫が言いました。
それで、今日 リュックを買ってきたのです。
ちょっと、おしゃれなリュックです。

第一のアドベント。
讃美歌『久しく待ちにし』を歌いました。
いろいろあっても、いい日でした。

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《増長して恥知らずになり………》

2016-11-27 06:22:38 | 日記
トランプ氏は、TPP離脱の方針を表明。
就任初日に離脱の意思を参加国に通知するとのこと。
「TPP」賛成していたわけでもないのですが、TPPの発効は絶望的になったようです。

また、過去にはトランプ氏を批判している2人の女性を閣僚級人事に指名。
この方、日本的な表現で言えば、〈懐が深いのか〉〈大物なのか〉
見当がつきかねます。
それにしても、世界中が注視するのは、
大国アメリカの次期大統領というせいなのでしょう。

選挙期間中の「差別発言」にとどまらず、
あれほど言いたい放題をして見せたトランプ氏を、個人的には好きになれません。
演じたのであったとしても、選挙戦術だったとしても、敬遠したくなります。

それに、
「ハイル・トランプ」
と、ナチス式の敬礼をし、トランプ政権の誕生に沸いている極右運動の集会映像が
インターネットで拡散しているそうです。
聴衆の一部も、ナチス式の敬礼で応じる様子が撮影されているとか、
何とも、おぞましさを覚えてしまいます。

大国の指導者ともなるべき方の発言ではありますが、
我が国の安倍首相も、〈何か振り回されているようにも見える〉
などと言ったら失礼でしょうか。

国際政治学者の三浦瑠麗氏が、毎日新聞社主催による福岡市内での講演会で、
  《「ビジネスマンとして短期的に国益を定義している」と指摘。
   「長く取引関係がある仕入れ先より一番安いところを探すように、
   合理主義的な同盟国の見直しは十分ありうる」
   と語った。》(毎日新聞2016年11月25日 20時17分)

あぁ そうかもしれないと思いました。
「損か得か」での思考は、迷いがありませんから。

こんな「ことば」を思い出します。
     《増長して恥知らずになり
      悪だくみをしているなら、手で口を覆え。
      乳脂を絞るとバターが出てくる。
      怒りを絞ると争いが出てくる。
                 (箴言30章32~33節)

世界に「怒り」が蔓延して、戦争という「争い」が起こらないように、
冷静に、見て・視て、診なければと、
〈ばーば〉は、ゴマメの小さなアタマで考えています。
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『どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか』

2016-11-26 06:12:54 | 日記
寒い朝でした。
気温は昨日より上昇する、と言う予報ですが、外に出て雨戸を開ますと、
「うっ さむー」

連れ合いが、松の枝に張り広げられたクモの巣の写真を撮ってきました。
濡れたクモの巣の糸が、透明な等高線の様です。
こんなところにクモの巣があったなどとは気づきもしませんでした。
朝日を受けて 美しい存在感を示しています。

連れ合いにしては、珍しいことです。
撮った写真をパソコンに取り入れ、「ほら こんなクモの巣 初めて見た」
と、痛く心に触れた模様でした。

素直に「あぁ きれいね」
と、共鳴板を 打ち鳴らせば良かったものを、
「どこか 具合が悪い?」
と訊ねてしまいましたが、聞こえない様子。
こんなことは、初めてだったので、ちょっとビックリした私でした。

    『うつくしいもの』
                         八木重吉
     わたしみづからのなかでもいい
     わたしの外の せかいでも いい
     どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
     それが 敵であつても かまわない
     及びがたくても よい
     ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
     ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
                   (詩集 『秋の瞳』 から)

八木重吉の詩などを思い起こしながら、私も、初冬の自身の「こころ」を
見つめています。
そして 再び、八木重吉の詩を お借りして、

    『心よ』
       こころよ
       では いつておいで

       しかし
       また もどつておいでね

       やつぱり
       ここが いいのだに

       こころよ
       では 行つておいで

日差しが暖かく 明るく 窓辺から、
『こんにちは ごきげんよう』
と、言ってくれました。
平成28年11月25日の、午前10時。

コーヒー 入れようかなぁ。
                   〈ゴマメのばーば〉
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