ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「まずは、武力攻撃は中止しましょう」と。

2022-03-31 06:52:40 | 日記
午後からは雲も広がり始めましたが、朝干した洗濯物はパリッと全部乾きました。
洗濯物を取り込みながら、かすかに残る洗剤の香りをかぎますと、それだけで幸せ感とまでは行きませんが、充たされた気分になって来ます。
好きな食材を調理する匂いが、かすかに居間にまで広がりますと、このこともまた日々の暮らしの中では充たされた思いになるものの一つです。
日常って、そんなことの連続。
そんな日常が突然武力によって侵されてしまうなどとは、何とも理不尽な事。
失われてしまった、ウクライナの人々の「日常」、そして日々殺傷される人々のニュースには、胸が痛む思いです。

ここに来てようやく停戦協議に進展があったとされています。
でも、良かった、と胸を撫で下ろすわけにも参りません。
《ロシアとウクライナの停戦協議に進展があったとされるなか、ウクライナ南部のミコライウでロシア軍による攻撃が続き、州庁舎が崩れ、これまでに12人が死亡、33人が負傷》(3/30 11:53 テレビ朝日)
と報じられています。
これは、〈停戦協議を自国に有利に展開させるための戦略〉、などと解説されますとやり切れない思いです。
また、次の様な報道も。
《ロシアの調査報道専門メディア「インサイダー」によると、ロシア軍が26日に発射した52発のミサイルの総額は推計3億4000万ドル(約418億円)だった。
プーチン大統領は、ロシア軍が6日にウクライナ中部の空港に高価な長距離精密誘導弾8発を撃ち込んだことに激怒したとも報道された。
             (3/30 12:37 読売新聞オンライン)
人間は、愚かなことをしてしまうものです。
戦争によってもたらされるものは破壊と、憎しみの連鎖、増幅でしかありません。
人の死。
幼子であれ、成人であれ男であれ女であれ、人のいのちを数にしてしまってはいけないのだと思います。
堀田善衛は、
  著書『時間』(岩波現代文庫 2015・11・17刊)
     ――中国人の視点から描く南京事件―― 解説 辺見庸

の中で次の様に記しています。
《何百人という人が死んでいる。――しかし何という無意味な言葉だろう。
数は観念を消してしまうのかもしれない。
・・・・・・中略・・・・・・
死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは何万人ではない、一人一人が死んだのだ。
一人一人の死が何万にものぼったのだ。
何万と一人一人。
この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある・・・・・・》

私は訴え、祈ります。
「停戦交渉のテーブルに着いたのです。まずは、武力攻撃は中止しましょう」と。
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おいしいアンコができ上るのは、

2022-03-30 06:58:05 | 日記
連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
毎日観ています。
回転焼き屋をしている(るい)は、アンコを拵えるために小豆を煮ながら、幼い頃の記憶を頼りに呪文のようにいつも唱えるコトバがあります。
  小豆(あずき)の声をきけ。
  時計に頼るな。
  目を離すな。
  何をしてほしいか 小豆が教えてくれる。
  食べる人の 幸せそうな顔を思い浮かべ、
  おいしゅうなれ
  おいしゅうなれ
  おいしゅうなれ
  その気持ちが小豆に乗り移る。
  うんと おいしゅうなってくれる。
  あめぇ あんこが できあがる。

私は、この呪文?が大好きです。
アンコにするための小豆の煮方のみに限定されるものではなく、深い知恵と共感が含まれている様な気がするからです。

園芸をなさる方は、花木たち、それぞれが欲しているものを見ただけで知ることができます。
今、水がほしいのか、肥料がほしいのか、暑すぎるのか、寒すぎるのか・・・。
園芸に限らず、もの創り・造りをする方たちも同様かと。
若い頃出会った陶芸家の土に対する接し方、想いなどをみていますと、土は単なる素材としての無機的な土ではありませんでした。
そんな様子に接して、教えられることが多々あったことなどを思い出しています。
上記の呪文の中の
  時計に頼るな。/ 目を離すな。
から、「時」についても思いを巡らしました。
「時」
  〇 ギリシャ語で時計では計れない質的な「時」・「カイロス」
  〇 時計で計ることができる量的な「時」・「クロノス」
私たちの暮らしの中で意識される「時」の多くは、クロノスが支配的です。
でもね、おいしいアンコができ上るのは、きっとカイロスなのかも・・・
哲学の先生が聞いたら、「何言ってる。無知蒙昧な婆さんが。」と言われそうですが。

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人は食べなければ生きられません。

2022-03-29 06:48:11 | 日記
地元意識の強い私にとっては明るいニュースでした。
福島県民の多くの方々も多分喜んでいるのではないかと思います。
大相撲春場所で、福島県出身の関脇・若隆景が、優勝決定戦を制して初優勝。
福島県出身力士の優勝は50年ぶりとのこと。
特別の相撲ファンという事ではありませんが、暗いニュースが多く報じられていますので、ぱっと明るい気持ちになりました。
おめでとう。
ありがとう。

今日は洗濯を、と予定していたのですが天候が予想の割にはよくありませんでしたので明日に延期。
昨夜、鼻から少しですが出血しましたので、ちょっと不安になりました。
長女の推測ですが、「多分、花粉症でしょう」と。
25年前に副鼻腔に腫瘍が出来て摘出手術を受けています。
それだけに、「鼻」という事になりますと再発の不安に襲われる私です。
とは言っても、さほど落ち込んだわけではありません。
三回程、夜中にうがいをしたりしたために、やや睡眠不足と言うところです。
コロナが治まったら、もう一度「青春18きっぷ」を買い求めて、在来線での当てもない旅に出たい私です。
そのためには、足腰を弱らせてはいけないと、このところ散歩の距離をのばしていました。
そのことが、花粉を、より多く取り込むことなった原因なのでしょう。
〈ムリすんなっていうの・・・〉連れ合いの視線がそう語っていた様に見えました。
と言うわけで、今日は風も強く、時折雨がパラパラ降りつける天候でしたので散歩へは出かけませんでした。

ロシア軍に制されたウクライナの東部の町で、幼い子供がロシア側から供与された食事をしている映像をテレビで見ました。
側には、ロシア側の物資の印「Z」が印字された箱が重ねられていました。
この映像、様々な立場からのプロパガンダに用いられることでしょう。
どんな体制であれ、人は食べなければ生きられません。
政治的な主義主張など持たない幼い子供が、ただただ「食べている」姿に涙がこぼれました。
こうした幼い者たちを飢えさせてはなりません。
もちろん、命を奪ってはなりません。

太平洋戦争末期の食料不足のことなどが思い出されます。
「お芋を、少し分けて下さい」
と、何べんも何べんも、立ち寄った農家の人に頭を下げて頼みこむ母の姿なども思い起こされて・・・
人は、食べなければ生きられないのです。
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♫ 梅は咲いたか 桜はまだかいな

2022-03-28 06:52:01 | 日記
夜は結構強い風が吹いていましたが、朝は静かになっていました。
待っていた庭の紅梅が咲きました。
「おはよう」
と、挨拶を。
今年も咲いてくれたんだね、季節を教えてくれたんだね、ありがとう。
毎年のことですが、梅の初咲きを見ますと端唄の一節が口からこぼれ出る私です。
   梅は咲いたか 桜はまだかいな
   柳ャなよなよ風次第
   山吹や浮気で 色ばっかり
   しょんがいな

祖父が、梅を見るとこの端唄を口ずさみましたので、幼かった私ですが覚えてしまったのです。
祖父が亡くなって暫くしたある春の事、梅の花を見てふいに私が歌い出したので、「この子、どこで覚えたのかしら」と、母は怪訝に思ったそうです。
端唄だけではありません。
私は末っ子で生まれも小さく、お産婆さんに「育つかどうか?」と言われた児でしたから、家族の者たちは私を可愛がってはくれましたが、〈家族の員数外〉の様な存在でした。
邪魔にならなければいい、そんな立ち位置の存在。
そんなわけで、近所の大人たちが話している時など、兄などは「あちらへ行きなさい」と追いやられたものでしたが、私の事は〈ハナシを聞いても分かりはすまい〉という油断があったのでしょう。
側にいて大人のハナシを聞いていても、誰も気にすらしませんでした。
私は、クチこそはさみませんでしたが、いつも、興味津々、耳をそばだてていたのです。
難しいことは理解できませんでしたが、おおよその見当は、当たらずとも遠からじ、というところだったでしょう。
従って、近所の揉め事〈お妾さんと本妻とのいがみ合いの内容やら、縁切りの条件など、ぜーんぶ知っていたのです。
成長してから、そうしたハナシをしますと兄や姉も知らない事だけに、
「えっ、どうして、どうして知ってんのよ?」
と驚いたものでした。

日曜日でしたので先週に倣って自室で一人での主日礼拝をいたしました。
教会会堂での礼拝も先週の日曜日(20日)から再開されましたが、私はもう暫く家庭での礼拝を守らせて頂くことにしています。

『県内の感染状況はリバウンドの入り口に入っている』
と、金光啓二氏・県感染アドバイザー・福島医大教授は警鐘を鳴らしています。
「まん延防止等重点措置」は解除となりましたが、県内では多くの新規感染者が連日出ています。
25日現在の病床使用率は28%ですが、感染不明割合は50%を超えています。
まだまだ、感染の不安は絶えない状況。
私ども老夫婦も感染対策を怠ってはいけないかと・・・。
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「聖化」は問答無用ですから。

2022-03-27 06:53:20 | 日記
グラグラッ、としますと、また来たかとの不安を覚えます。
〈この先一か月程度内に、震度6程度の地震が起きる可能性がある〉
そうした気象庁の発表もあるものですから、震度1程度でも不安になったりします。
それに地震だけではなく、コロナやウクライナの戦禍などが心にフレイルを引き起こしているのかもしれません。

ウクライナの惨状は不安を伴って迫って来ます。
様々な情報が飛び交っています。
「諜報活動」、昔も今もスキルは異なっても変わってはいないのでしょう。
相手の目を眩ませ、状況を誤認させることによって相手の士気を低下さたり誤った作戦に走らせたり・・・と。
田舎者のばーばが、世界情勢の分析など出来はしないのですが、まずは自身が立つ位置を確かめるためには、何が「真実」なのかを捉えて置きたいと考えています。
何を「真実・正義」と解釈するかという事ではなく、何が「現実」に起こっているかを知りたいと。
砲撃を受け街が焼かれ、人々が困窮し街を追われ、子ども達も犠牲となっていることは紛れもない現実ですが。

先日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、日本の国会でオンラインによる演説をしました。
私も翻訳された文章をしっかり読んでみました。
そして、私なりに自身の経験なども踏まえ、様々なことに思いを馳せています。
空爆被害の恐ろしさはかつて幼い頃に経験しました。
私も、早くウクライナの戦禍が終焉し、市民生活の日常が戻って来ることを心から願っている一人です。
ロシア兵も戦闘に関わることなどなくなって、家族の許へ戻ることができることも祈っています。
道のりは困難を極めるでしょうが。
j
今日は、全国的に荒れ模様です。
散歩へは出られません。
あれや、これや想起する思いに暫し留まったり、検証したりしながら、目はぼんやりと雨模様の空を眺めていました。

「愛国的」って何だろう。
昭和20年、敗戦間近なこの季節、学校の教師は私たちに、
「一億一心 火の玉だ」
「一億総玉砕」
などと、教えたものです。
愛国心の名の下に。
以下、2年半ほど前に記したブログからの抜粋です。

《「愛国的でないことを非難することは、『国』を聖なるものとして崇拝する行為の一環にほかならない(中略)。
現代において愛国的であることは、国民国家への自己同一化(中略)を
前提とし、国民国家が聖性を独占する以上、常に、自国を『聖なるもの』
として崇拝することへと転化する可能性を内蔵している」》

上記の記述は、『愛国の構造』 将基面貴巳 著、について、毎日新聞2019年9月9日 東京夕刊に紹介されていた記事です。
かなりの部分共鳴いたしました。
「自国」を、「自国のみ」を、聖化することはとても危険な気がします。
「聖化」は問答無用ですから。
議論が成り立たなくなってしまいますから。
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