ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

その時は また お付き合い下さいませ。

2017-12-31 06:21:40 | 日記
本年も残すところ今日一日となりました。
来年1月いっぱい、ブログを お休みいたします。
一服と言うか 充電期間というか、強いて言えば わがままな心の放浪
とでも。

訪問して下さった方々、また嬉しいコメントを下さった方々、
本当にありがとうございました。

2月1日には また開始したいと思っています。
その時は また お付き合い下さいませ。
皆さま、風邪など召されませんように。
良い年を お迎え下さい。

いつもの年の いつもの祈りを、「ニーバーの祈り」に合わせて、
お祈りいたします。
     主よ、変えられないものを
     受け入れる心の静けさと
     変えられるものを
     変える勇気と
     その両者を見分ける
     英知を与えたまえ
           (ラインホールド・ニーバー)

そして、次の祈りも 併せ祈ります。
     神さまの愛とは異なり
     他者に向けられた人間の愛が 明日もある保証はありません
     絶えずあなたによって 愛を更新していただかなくてはなりません
     その更新にあずかることを 信仰と あなたは名付けられました

     主よ 今日も私たちの信仰を新たにしてください
            (『信徒の友』2018年1月号 巻頭の祈り から。)

                      〈ゴマメのばーば〉
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ご自分を「インスタ映え」させたかったのでは?

2017-12-30 06:26:46 | 日記
相撲が嫌いではありません。
「若・貴」全盛のころは、両国国技館まで観に行ったこともあります。
でも、特別ひいきにしている力士がいるわけでもなく、相撲放送を しっかり観ると
言うわけでもありません。
せいぜい、誰が優勝したか程度の興味をもっているだけ。

そんなわけで、このところの相撲関係のニュースには食傷気味です。
暴力行為は、法に照らし合わせて罰するべきものは罰されねばなりませんし、相撲界の
内部のゴタゴタは、連日NHKまで、多くの時間を割いて処分が重いの軽いの・・・・・と、
報じることもない様な気がします。
たとえ、国技であったとしても。

  《 気になるのは、この問題をめぐり、元横綱の暴力や貴乃花親方の態度とは無関係な
    排外的な議論が目に付くようになったことだ。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    貴乃花親方を擁護する意見とともに、ナショナリズムをあおるような声がインターネットを
    中心に広がっている。
    「相撲は日本の国技で、外国人は国技、神事が何たるかを理解していない」といったものだ。
    また、白鵬関に限らず、モンゴル人力士全体を否定する意見も見受けられるようになった。》
                           (毎日新聞2017.12.29. 社説)
との指摘もされていますが、私も そう思います。
〈なんか ヘン !〉
そんな感じです。

〈なんか ヘン(変)!〉
と言えば、安倍首相の、「インスタ映え」奨励発言も、なんか変な感じがします。
『地域活性化の鍵はインスタ映え』
『どんな地方にも宝が眠る。インスタ映えする風景を増やそう』
と、東京都内での講演で力説なされたそうです。
観光での町おこしを推奨されたのかもしれませんが、安倍首相は、ご自分を「インスタ映え」
させたかったのではないでしょうか。
アベノミクス効果も、下々まで行き渡ったわけでもなく、
「モリカケ問題」も、くすぶったまま。

そこで、地域活性化に対するしっかりした戦略があるわけでも無いまま、流行語大賞を
受賞した「インスタ映え」という言葉を使って、「かっこつけ」したかっただけの様な気がします。
新商品(新政策)のコマーシャルよろしく。
でも、こんな使い方、私の様な〈ばーば〉から見ても、ダサいですよ。

今年も、「ひと言 ふたこと」、みことも よことも、言いたいことを言った〈ばーば〉でした。
コメント (6)
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やっぱりねぇ、と悔しい思いに。

2017-12-29 06:29:18 | 日記
当地の寒波到来にかかる各種警報・注意報等は、すべて解除になりました。
昨夜から晴れていますので、朝はキンキンするような冷たさです。
大雪に見舞われている地方は、まだまだ大変な様です。

道路に残っている雪は少なくなりましたが、日陰の雪を踏みますと、
カリカリ シャリシャリと音を立てます。
〈あぁ これって 冬の音だなぁ〉
と、わざわざ雪を踏んで歩いてみました。
賢治の『雪渡り』の様に、
〈かた雪かんこ しみ雪しんこ〉
〈キックキックキックキック トントントン〉
と、口ずさみながら。

日中は、やや強い冷たい風が吹いているものの、窓ガラスを通して差し込んでくる日光は、
明るく 暖かく、ストーブをつけなくとも過ごせます。

新聞を広げました。
  《厚生労働省は27日、有期契約の従業員が通算5年を超えて働くと無期契約への
   切り替えを求められる「無期転換ルール」について、大手自動車メーカー10社を対象に
   制度の運用状況を調査した結果を公表した。
   無期転換が可能なのは2社のみで、7社は契約の通算期間が5年に満たないうちに
   リセットするルールを設け、無期契約への切り替えができないようにしていた。》
                         (毎日新聞2017年12月28日)
やっぱりねぇ、と悔しい思いに。

すべての企業とは言えませんが、制度は、このようにして「骨抜き」にされていくようです。
「賃上げ」も官製になって来た昨今ですから、労働組合に「監視」を お願いするわけにも
いきません。
まして有期契約の従業員は、組織内労働組合に組織化されてはいないでしょうから、
何とも情けない思いに駆られます。

もう一つ、同新聞の広告欄の記事が気にかかりました。(8面全部)
『北朝鮮人権侵害問題啓発週間・作文コンクール』の入賞者発表の一覧表です。
入賞者8名の作品が掲載されています。
主催:政府・拉致問題対策本部
後援:文部科学省、法務省
  〈政府・拉致問題対策本部では、中高生のみなさんを対象として、アニメ「めぐみ」を
   視聴し、さらに自分自身で拉致問題について学習し、理解を深めてもらうため、
   作文コンクールを実施しました〉
との、コメントが付してありました。

拉致問題。
私は、被害者の親族が、テレビに写るたびに胸が痛みます。
我が子だったら・・・・・・と 考えますと、「何とか 連れ戻してあげたい」との思いと、
無力さに苛まれる思いです。
公式であれ非公式であれ、あらゆる知恵を総動員して、何とか被害者を連れ戻したいと
願っています。

入選した子どもたちの作文は、しっかりした文章で綴られていました。
立派な文章でした。

でも、気にかかります。
「人権侵害」は、あってはいけない「悪」であることに相違ありません。
拉致問題を、日本国民の人権問題として広く関心を喚起させるということも大切です。
しかし、中高生に対する「作文コンクール」という形を用いた〈取り組み〉は、解決への
道筋に連なるのでしょうか。

杞憂かもしれませんが、私が幼かった頃、国策として書かせられた作文、
〈鬼畜米英 撃ちてし止まん〉
のテーマと、同質のものを感じてしまうのです。
  子どもたちの、拉致への素直な憤り、
  被害家族への思いやり、
  拉致問題の共有化意識と、拡散の訴え
等々が、「かの国 撃つべし」などの感情へと、強化・移行されないことを強く祈りたく
思います。
恣意的に過ぎるかもしれませんが、気にかかる記事でした。
                            〈ゴマメのばーば〉
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人は、「鬼や蛇」にも、

2017-12-28 06:25:19 | 日記
年の瀬 になりました。
この一年に起こった様々なことが思い返されます。
それは、政治に関することも多々ありますが、やっぱり身近な事柄に関するものが、
実感を伴って思い起こされます。
嬉しかったこと、残念だったこと、口惜しかったこと、悲しかったこと・・・・・・
それでも、無事に今年の年の瀬を迎えられたのは ありがたいことだと思っています。

この時期に、何ともやり切れない悲しい事件も報じられています。
精神疾患がある長女をプレハブで仕切られた小さな部屋におよそ16年間も監禁し、
死に至らしめた、と言うニュースが報じられました。
おぞましく かつ切ない事件です。

家族、それも自分を育み愛おしんでくれるべき親から、死に至らしめられる・・・・・。
「鬼か蛇か」か、と言ってしまえば それまでですが、そこまで追い込まされた「親の痛み」の
存在も、また悲しく切なく感じられるのです。
幾つもの監視カメラで、周囲の目を伺っていたのは、親自身の心の「闇」の包囲網だったの
かもしれません。

事件を起こした両親を非難・糾弾し、
〈自分は そんな親でなくて 良かった〉
と、考えてみても、どこかに収まり切れない暗さが自身の心に残ります。

もし、自分に精神疾患に因って家族へも暴力を振るう子が居たら、思い余って非人間的な
行為に絶対に走らない・・・・・と、言い切れるものかどうか。
認知障害のある家族の面倒を見、自分が疲労困憊してしまった時、人は、「鬼や蛇」に
陥るキケン性を誰しも抱えているかも・・・・・・。

あっては、いけない事件ですが、切ない事件です。
亡くなられた娘さんに 合掌いたします。

     『人を偏(かたよ)り見るのはよくない。
        だれでも一片のパンのために罪を犯しうる』
                    (旧約聖書 「箴言」から)
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堆肥と、美しい花の間に差をつけているのは、

2017-12-27 06:29:42 | 日記
義兄の お墓参りへ行って来ました。
まだ、二、三年しかたっていないような気がするのですが、逝ってから五年になったのです。
姉が逝ったのは、その二年前。
その後 義兄は一人暮らしでしたが、しっかりしていましたし、身ぎれいに過ごしていたのです。

クリスマスイブを、一人で祝いたかったのでしょう。
夕食のテーブルには、葡萄酒も飲むばかりに調えられたまま、お風呂場で倒れ、帰らぬ人と
なりました。
いつもの年の様に、年末・年始を在京の息子の家で過ごすべく、出かける準備も、しっかり整え
られてありました。
まだ昨日のことの様に思い出されます。

お墓には、いつもの様に葡萄酒を供えました。
「飲んでね」
と、語りかけましたら、〈あぁ ありがとう〉と言う言葉が聞こえたような・・・・・。
悲しさと 懐かしさが ないまぜになって、線香の香りが辺りに漂いました。

クリスマスも終わりましたので、新しい年を迎えるべく心も整えなければ、と、夜は静かに
過ごしました。
こころが落ち着かなければ想いも整いませんから。

我が家の狭い庭もすっかり冬景色です。
来年の春、また緑や花に彩られるのでしょう。
  《大自然のなかには何一つ不要なものはない。
   臭い堆肥があって、はじめて、おいしい食物ができるのである。
   堆肥と、美しい花の間に差をつけているのは、小さな人間のさかしらであって、
   大自然の営みのあらわれという点では何の違いもないのである。》
                     (『井上洋治著作選集』 9より)

私の敬愛する井上洋治神父さまは、そう語られています。
そして、
  《私たち一人一人の人生にはあたえられた役割があるのであって、
   その役割を一生懸命に生きぬことによってのみ、・・・・・・》
とも。
神父さまの声が伝わって来る思いがします。

来年、また 更なる「老」の一歩を歩みます。
他人に迷惑をかけることも多くなるはず。
私の「役割」って何だろう、と自身に問いかけてみます。
はっきりとは 分かりません。

でも 神さまは、『アッバ』(幼児語で おとうちゃん の意味)と呼ばれる方です。
私の笑顔を喜んで下さるはずです。
今日と言う日、今という時を、感謝をもって「いただく」ことを心掛け、
喜びをもって日を過ごしたい、と願うばかりです。

あとは、『主にまかせて』
それだけ。
                       〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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