ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈三十六計逃げるに如かず〉

2014-03-31 07:47:24 | 日記
原発の再稼働は「一にも 二にも」防災の視点で考えてほしいのです。
防災とは、
「災害から いのちを守る」
それが目的の手立てだと思うのです。

政府は28日、
「南海トラフ巨大地震の「津波避難対策特別強化地域」と「防災対策推進地域」、
首都直下地震の「緊急対策区域」のいずれか、または複数に指定した自治体は、
計1000区市町村近くに上った。」
との発表をしました。
防災・減災対策の成否が「国の存亡に関わる」ということで、国や指定自治体には
何が求められるのかとの概要がまとめられたということです。

人間にとっては、あってほしくない自然災害です。
でも、地球も生きもの、時には、背伸びや あくびもすることでしょう。
自然は人間の想定をはるかに超えた『想定外』をもたらすものです。
私たちは、地球に住まわせていただいている生きものとしての人間にすぎません。
生きて行くためには、減災対策と、備えは、十分しなければいけないと思います。

でも、完璧に自然を淘汰するなどと考えるのはごう慢と言うものでしょう。
『逃げる』ということも、常に考えて置かねばならないのではないでしょうか。
それは「知恵」と言えるものかもしれません。

さて「原発」の災禍についてです。
「原発」は、人間が未だ制御する力を持っていない「消せない火」なのです。

NHKの『軍師官兵衛』を観て、ふと考えました。
官兵衛が、事に臨んで用いる「孫子」についてです。

たとえば、原子力の持つマイナス要因を、「打ち負かすべき敵」だと想定した場合、
『彼を知り己を知れば、百戦して殆からず』とした「孫子」ですから、
まずは「敵」たる「原発」についての分析を、冷徹に行うことでしょう。
そして、
     【「高レベル廃棄物」の処分すら目途が立っていない現実
      廃棄物の「10万年間地下保管」
      具体的には、これからの研究を待つ。】
などという方策しかもっていないことを知ったら、
「孫子」は、ただちに言うでしょう。
『走るを上と為す』と。
(勝算が立たない時は、逃げるのが上策)

『孫子』を中心とする中国兵法『三十六計』には、勝てなかった場合の方策として、
その三十六番目に『走るを上と為す』と書かれているそうです。
〈三十六計逃げるに如かず〉です。

「消せない火」は、使わないことが上策。
〈ゴマメの一尾〉にしか過ぎない私も そう考えます。

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終わりました。『ごちそうさん』

2014-03-30 07:30:31 | 日記
楽しんで観ていたNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」が29日で終わりました。
夫の悠太郎が、帰って来ました。

悠太郎は、持ち帰った 子ブタに逃げられてしまい、め以子に ブタの丸焼を食べさせられませんでしたが、
おみやげのチョコレートを、め以子は涙ながらに食べたのです。
『ごちそうさんです』
と、め以子が言いました。
家族や周囲の人たちから「ごちそうさん」と言われてきため以子の言った、『ごちそうさんです』。
とても、ほっとしました。

幼なじみの源ちゃんは、ちょっと かわいそう。
〈ゆず〉の主題歌「雨のち晴レルヤ」も楽しく聞きましたし、週のテーマの ことば遊びも、
思わず「ふっ ふっ ふっ」で。
私も、「ごちそうさん」と言いましょう。

私の母も戦時中、私たちを飢え死にさせないように、それこそ必死に食べさせてくれたのです。
他界して50数年になりますが、今でも、墓前で、
「母ちゃん、食べ物に困っていないよ」
と、私は掌を合わせるのです。

今日の新聞紙面(29日・毎日)に、ダマスカス郊外、避難民向けの居住施設で暮らしている子どもたちの姿が
載せられていました。
内戦が泥沼化しているシリアです。
また、インド・ムザファルナガル、劣悪な環境のキャンプで暮らす子どもの姿も掲載されていました。

悲しいことです。
子ども達は、お腹を空かせていないでしょうか。
高価な、食材を用いた お料理でなくても、世界中の人たちが「ごちそうさん」と言える世の中で
あって欲しいと願っています。
人間が生きて行くためには、食べなくてはいけないのです。

旧約聖書『列王記』の中から、の引用です。
イザベルに追われ、疲れ果てて荒れ野に入った預言者エリアは、自分の命が絶えるのを願って
言いました。
《主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください………》
そして、彼は えにしだの木の下で眠ってしまいます。
そこへ御使いが彼に触れて言いました。
《起きて食べよ》
《起きて食べよ。この旅は長く、あなたに耐え難いからだ》
エリヤは起きて食べ、飲み、食べ物に力づけられ、再び歩み始めることができたと、
聖書には記されています。

3年前、私は、あの地震と原発事故による放射線禍に怯えて閉じこもっていた時、
この聖書の記事に勇気づけられました。
私は、桜餅を買って来て食べたのです。
あまい餡と桜のほのかな香りは、私を一歩前へ進ませてくれたのです。

世界中の人々が飢えませんように。
国と国とが、互いに、弱いものから 食べ物を かすめ取ったりしませんように。

そう祈ります。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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『おなじひとつのほしのうえで』

2014-03-29 00:58:11 | 日記
オランダ・ハーグで、安倍首相、オバマ大統領、朴大統領の3者が会談しました。
《慰安婦や歴史認識の問題への言及はなく、首相は冒頭、「お会いできてうれしい」と、
韓国語で朴大統領にあいさつし、両首脳は会談後には握手を交わした。》
と伝えられました。

安倍首相には、周辺国と友好的に付き合ってほしいと願っていますので、何はともあれ、
形だけであったにせよ、握手できたことは良かったと思いました。

首相が述べたように、
「未来志向の日韓関係に発展させていく第一歩にしたい」。
その様にあってほしいと願います。

同日、北朝鮮が「ノドン」とみられる中距離弾道ミサイル2発を発射させ、いずれも日本海上に
落下したと報じられました。

さまざまな思惑が交錯する政治の世界です。
まして、国際社会でのそれは、きれいごとでは済まされない状況が多発することもあるのでしょう。

こうした内容のテレビを観ながら、私は一つ ため息をもらしました。
そして、パウル・クレーの絵に谷川俊太郎氏が書いた詩を二つ思い出したのです。

      『黒い王様』
       おなかをすかせたこどもは
       おなかがすいているのでかなしかった
       おなかがいっぱいのおうさまは
       おなかがいっぱいなのでかなしかった

       こどもはかぜのおとをきいた
       おうさまはおんがくをきいた
       ふたりともめになみだをうかべて
       おなじひとつのほしのうえで

安倍首相も、オバマ大統領も、朴大統領も、そして金正恩氏も、身近な親しい人たちにとっては、
かけがえのない一人の人間なのでしょう。

もうひとつの「詩」も紹介させてください。

      『まじめな顔つき』
       まじめなひとが
       まじめにあるいてゆく
       かなしい

       まじめなひとが
       まじめにないている
       おかしい

       まじめなひとが
       まじめにあやまる
       はらがたつ

       まじめなひとが
       まじめにひとをころす
       おそろしい
   

「まじめなひとが、まじめにひとをころす、おそろしい」。

それが、戦争というものなのでしょう。
            (『黒い王様』『まじめな顔つき』)谷川俊太郎「クレーの絵本」より)

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「キック キック キック キック トン トン トン」と。

2014-03-28 07:46:35 | 日記
朝起きてみましたら、急に春が来ていました。
お彼岸を過ぎても、冷たい冬がいつまでも居残っていて、春よ来い、早く来い、
と思っていた矢先です。

この二、三日続いた陽気のせいでしょうか。
庭の梅は一気に紅色の蕾をふくらませ、除染のために数センチ盛り土した山砂に、
蔽いかぶさってしまっていた草花が、その芽をもたげ始めていたのです。
むくむくと 土を持ちあげ 割る様にして。

紫蘭・甘草・藤袴・水仙・茗荷まで。
このすばらしい生命力。
コーヒーで乾杯しました。

除染のために、土と一緒に、根までこそげ取られてしまったとばかり思っていたのに、
生きていたのです。
根っこは、しっかりと いのちを保っていたのでした。
春の陽気を覚えていて、頭をもたげたのです。
いのちのパワーでしょう。

植物は、長い長い地球という環境との 付き合いの中で、こうした しなやかな強さを
身につけてきたのでしょうか。
絵かきさんなら、さっと筆をとることでしょう。
写真を撮る方なら「カシャ」と音を立てるのでしょう。
どちらの才もない私は、ただただ見つめ、語らっているだけです。

でも、
こうして、眺めながら佇んでいると、自分も、花や草たちの いのちの世界に、
招待状をもらったような気がして心が弾んでくるのです。

まるで、『雪渡り』※のなかで、狐の幻燈会に招待された四郎と かん子のような気分に
なってくるのです。

『お日様が まっ白に燃えて 百合の花の匂いを撒きちらし………』
そんな世界に。
『凍み雪しんこ、堅雪かんこ。』
と、私も一緒にうたいながら、
「キック キック キック キック トン トン トン」
と、今日の始まりのステップを踏みました。
                               ※宮澤賢治『雪渡り』より

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老いての「初心」

2014-03-27 07:36:22 | 日記
「初心」とは、『初めに思い立った気持・習い始め』と辞書に書かれています。
昨年の9月半ばからブログを始めて、半年とちょっとになりました。

書き始めた動機は、
【あれから、2年半。子や孫たちに、ふるさとを取り戻し、「トイレの無いマンション」といわれる原発は、
いらないと言い続けよう。
そして、幼い頃に遭遇した戦争という 過酷で悲惨な歴史を繰り返さないために、
「憲法九条」を守って行こう。
いつまで余命があるかは判らなくとも、学び続けよう。
カウント出来ない程度の、「ゴマメの一尾」の力であっても、発信し続けよう。】
ということでした。
この「初心」は変わってはいないつもりです。

少々、「初心」とは異なるテーマ・内容のものもあったにせよ、書くことが嫌いでは
ありませんので、ここまで、といっても たかが6カ月ですが続けて参りました。
飽きっぽい性格の私にしては、ほぼ連日、けっこうコンスタントに書いてきたと思います。

原発の状況といえば、不安な事がらが次々と起こってきて目は離せません。
「憲法九条を守って行こう」ということに関しては、益々危険で、懸念すべき状況が 
そこここに存在しています。

というわけで、老いた「ゴマメの一尾」であっても、やはり「思い」は発信すべきなのですが、
迷いも生じています。
迷いと言うより、疲れでしょうか。

最近、長編小説の行間が読めなくなってきました。
悲しいことです。
深く「読む」力が弱って来たのかもしれません。
「ニュース」性のある記事などの方向へばかり 心が向かってしまっているからなのかもしれません。

世阿弥は『花鏡』のなかで、人生の中には いくつもの「初心」があると言っているそうです。
「最初の志」に限られたものではなく、若い時の初心、人生の時々の初心、老いての初心………
つまり いつでも「初心」・スタートだということの様です。

先だって、〈東日本大震災 鎮魂と復興の祈りを込めて『能と文楽』〉を観てきました。
演目は
    【『能』 聖パウロの回心】
    【ゴスペル・イン・文楽 イエスキリストの生涯】
でした。

今から四百数十年前、我が国では、宣教師や信者による「切支丹能」と呼ばれるものが
上演されていたそうです。
その後、長い禁教の歴史の中で、その足跡は消し去られてしまったとのことです。
台本創作は、林 望氏によるものでした。
観世能楽堂で演じられましたが、世阿弥の「初心」が受け継がれていることに、
感服しながら新作能を楽しんできました。

それにしても、
《初心忘るべからず》。
「老いての初心」、これもなかなか………。
息切れがしそうです。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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