ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

秋?

2024-04-18 16:45:47 | 日記
我が家の小さな庭ですが、日々、緑の領域が広がっています。
春と言うより初夏の天候。
黄砂の飛来が多いと言うことで、今日は洗濯は取りやめ、家の中の掃除などを少し丁寧にいたしました。
肺に病巣を抱えておりますので、定期的な検査を受けています。
今回もCT、MRI、血液検査等を受けてきました。
病巣の形状ついては変化なし。
その他の検査については特段の異常は見受けられないと言うことでした。
身体的な自覚症状はありません。
ありがたいことです。
朝の気温が低いので、着る物を調整したり、体調も管理しなければなりませんが良い季節です。
すべてが生き生きと感じられます。
〈明日もまた生きていけそう〉
そんな気がして・・・
柿の木の新芽を眺めながらコーヒーを淹れていただきました。
初夏とも言えるこの季節の中ですが、ヘルマン・ホイヴェルス著『人生の秋に』で語られている言葉を・・・

  『最上のわざ』

  この世の最上のわざは何?
  楽しい心で年をとり、
  働きたいけれども休み、
  しゃべりたいけれども黙り、
  失望しそうなときに希望し、
  従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

  若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
  人々のために働くよりも、
  謙虚に人の世話になり、
  弱って、もはや人のために役だたずとも、
  親切で柔和であること。

  老いの重荷は神の賜物
  古びた心に、これで最後のみがきをかける。
  まことのふるさとへ行くために。
  おのれをこの世につなぐくさりを少しづつはずしていくのは、
  真にえらい仕事。
  こうして何もできなくなれば、
  それを謙虚に承諾するのだ。

  神は最後にいちばんよい仕事を残して下さる。
  それは祈りだ。
  手は何もできない。
  けれども最後まで合掌できる。
  愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

  すべてをなし終えたら、
  臨終の床に神の声をきくだろう。
  「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。
     (ヘルマン・ホイヴェルス随想選集「人生の秋に」から)

   ※ ヘルマン・ホイヴェルス(1890~1977)
   ドイツ人宣教師、哲学者、教育者、作家、劇作家。

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主イエスが共にいてくださるから・・・

2024-04-15 09:28:41 | 日記
明るい青空が広がっています。
今年はイースターが3月末に済んでしまいましたので、早く春が来た気分になっていました。
ところがもう夏日。熱中症に気をつけなければいけないような陽気です。
昨日は教会の礼拝に出席しました。
コロナもおさまってきましたので、このところ毎週礼拝に出ています。
礼拝説教で、牧師先生は、
『キリスト者にとって一番大切な原点は、〈主イエスと共に生きる〉と言うより〈主イエスが共にいてくださる〉ということ。」
と教えてくださいました。
天に召されて、この春10年になる敬愛する井上洋治神父の言葉を思い出しています。

『祈りができないのならそれでもよい、
悲愛の心がないのならそれでもよい、
泥まみれの生活から抜け出られないのならそれでも良い、
ただ手を合わせて私の方を向きなさい、
私はアッバからいただいた私のすべてをこめて、
私の方からあなたの方に飛び込んでいってあげる――それがイエスの思いでした。』     
(『日本とイエスの顔』 井上洋治著作選集 日本キリスト教団出版局から)
そう教えて下さった井上洋治神父さまが懐かしく思い出されます。
     
  ※アッバ  アラム語で「父」の意味。
        幼児の神さまへの呼びかけ“お父ちゃん”の意。
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79年前、私の4月12日

2024-04-12 14:29:33 | 日記
79年前の今日、1945年4月12日。
この日、私が住んでいるこの町はアメリカのB 29による空爆を受けました。
母に連れられて郊外の農村に食べ物の買い出しに行っていた先で空襲を知りました。
住んでいる町の方面には、黒い煙があちこちに乱れ昇っていました。
不安にさいなまれながら敵機が去るのを待って帰路についたのです。
家は大丈夫?
家族の安否は?
空腹も忘れ、泣きながら2里半の距離でした。
幸い住んでいた住居は無事でしたが、多くの人が亡くなりました。
近くの病院には多くの負傷した方たちが運ばれてきました。
学徒動員で工場で働いていた女子学生、そして男子学生もたくさん亡くなりました。
私が8歳の春のことです。
今でもこの光景は、まざまざと思い出すことができます。
以前ブログにも書きましたが、女子挺身隊に動員され病を得た姉は家で伏せっておりましたが、この日、泥水が溜まっている防空壕に避難し、その後病状が悪化、5月には帰らぬ人になったのです。
今、日本の置かれている安全環境は複雑になっていることは知っています。
岸田総理はアメリカへ来賓として招かれ、打ち上げ花火に近い声明なども出されました。
外交は大切です。
でも本当に日本の平和につながるものかどうか、私には生理的な懸念があります。
300万人を超える人もの犠牲者を出した世界大戦の後にできた日本国憲法、そこには「国際間の紛争を武力で解決はしない」そう謳われています。
また国際信義により立って憲法を保持するとも。
この事は容易には行かないことは確かです。
でも自衛力といえども武力を強化すれば、相手国もまた武力を強化するのは必然。
何とか平和にやっていけないものか、アメリカだけではなくロシアとも中国とも、そして北朝鮮とも私は仲良くやっていきたいな考えています。
「お花畑の頭だね」、そう言われても。
この春、2年生になったひ孫のUちゃんは毎朝元気に登校しています。
朝、ゴミを出すふりをして登校する姿をそっと眺めていたりする私。
Uちゃんは8歳。
私が空爆の恐ろしさを知ったあの時と同じ年齢です。
平和であって欲しい、爆弾に怯え、飢えに苦しむ世界であって欲しくない、
考えながら少しだけ散歩をしました。
蒼い空が広がって、桜の花びらがどこからか飛んできました。

昨晩読んだ本です。





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