ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

【僕(しもべ)は聞いております。】

2022-01-31 06:54:06 | 日記
1月30日(日)、NHK『日曜討論』を観ました。
与野党の政策責任者に問う、という内容でした
テーマは『コロナ対策は? 経済は?  与野党に問う』。
 ☆ オミクロン株感染急拡大への対応は?
 ☆ 感染抑止と社会経済活動両立は?
 ☆ 岸田首相が掲げる「新しい資本主義」は?
 ☆ “賃上げ”実現は?
等に関して討論がなされました。
とは言っても、1時間という制限時間内ですから、十分な討論をするには無理があります。
各党の政策責任者からの質問に与党の責任者が答える、という形にならざるを得ません。

「オミクロン」はパンデミックです。
どの政党、どの政治家であっても、国民が100%納得できる政策を打ち出すことにはムリがあると考える私です。
でも、やはり政策が後手に陥っているように思えてなりません。
第三回目のワクチン接種が重症化を防ぐための有効な施策として、野党からも提言されていたにもかかわらず、中々進んでいません。
27日現在2.7%の接種率とか。
地方自治体が手一杯で力不足の時は、国主導で大規模接種場等を都市部などで行ってはいかがでしょうか。
私は、昨年6月に2回目の接種が済んでいます。
市の接種計画によればば、私の場合は31日に「接種通知書」が発送される予定。
すでに、連日、感染者が増え続けています。
高齢者への接種が医療崩壊をもたらさないための有効手段であることは分かっていながら・・・何とももどかしさを覚えずにはいられません。

今日は日曜日でしたので、先週に倣って自室で一人での主日礼拝を行いました。
選ばれていた讃美歌の歌詞が心に響いて来ました。
  『讃美歌368番「新しい年を迎えて」から』
    新しい 年を迎えて
    新しい 歌をうたおう。
    ・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
    過ぎ去って 日々の悲しみ
    さまざまな うれいはすべて
    キリストの み手にゆだねて

  『讃美歌470番「やさしい目が」から』
    大きな手が、あたたかい手が
    きょうもわたしを 支えてくださる。
    ・・・・・・・・・・
    かぎりのない ひろい心が
    きょうもわたしを 守ってくださる。
    「やすらかに あるきなさい」と
    ・・・・・・・・・・


岸田首相は、他人の「言葉」をよく聞く方だと言われています。
私は政治家ではありませんが、「おしゃべり」が過ぎる人間ですから、他人の意見に耳を傾けることが大切だと自省することの多い人間です。

今日、『牧師説教要旨』で語られていた聖書の「ことば」が身に迫って来ました。
 【主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております。】
                   (サムエル記上3章より)

足りないもの、欠けた部分を祈り求めるだけではなく、「今」という時に、私は、どう耳を傾けることが大切であるかを。
自分は何を求められているかを、黙して聴くことを。
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誰もが「エッセンシャルワーカー」

2022-01-30 06:57:31 | 日記
コロナ感染者数が連日、過去最高の人数となっていますと、どこまで増えるのだろう、ピークアウトはいつ来るのだろうか、と焦りに似た感情に襲われます。
居住地でも、病院、学校、児童施設等でのクラスター発生が連日発表されています。
孫の一人が医療従事者、もう一人は病院勤務、そして近くに住んでいる長女は児童と接する仕事をしていますので、なおのこと強く感じてしまうのかもしれません。
昨年の3月には、コロナ対応の部所にいる孫は病院でのクラスター発生によって本人も罹患、療養いたしました。
現在は、体力保持に勤めながらも日々頑張っていますが、感染者の増加に伴い病床使用率も高まり、気の抜けない状態を過ごしている様子です。
どちらかと言うと気の強い性格の持ち主だけに、弱音を吐きませんので、ばぁちゃんの私としては尚のこと気がかりと言うものです。
早くコロナ禍が治まってほしいと願うことしきりです。
「エッセンシャルワーカー」と位置づけされエールも送っていただいてはいますが。
しかし、この世界、世の中の仕組みから言えば、全ての人が社会という共同体では生活の根幹を支えあう「エッセンシャルワーカー」ではないでしょうか。
山梨県知事の長崎幸太郎氏もその様な発言をなさっていました。
今、それぞれの職種の人が、それぞれに困難を抱えているのだと思います。

高齢で、年金生活者の私どもは、この時期、不注意でケガをしたりして救急車のお世話になどならないように心掛けねばなりません。
でも、注意していても高齢者にとってキケンは、そこここに存在しています。
先日降った雪の殆どは溶けましたが、東西にのびる道で家屋の蔭になっている場所には溶けない雪が凍っていて、ちょっと油断しますと足を滑らせてしまいます。
昨日も、危なく転倒しそうになりましたが、たたらを踏んだだけで転倒は免れました。

今朝、夜明け前にカーテンをちょっと開けましたらお月さまが出ていました。
月齢は26.4。
風も無く穏やかな日ではありましたが日差しが無かったので、薄ら寒さを覚える一日でした。
庭の椿、侘助がほころび始めました。
春が来ます。
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『貧しくもせず、金持ちにもせず』

2022-01-29 06:52:45 | 日記
《新型コロナウイルスの感染拡大を受け、雇用を守るため支給額が急増している「雇用調整助成金」について、自ら不正を労働局に申告し、自主返還する企業が相次いでいる。》
《大学入学共通テストの試験問題を撮影した画像が試験中に外部に流出した問題は27日、関与したとみられる19歳の少女が香川県警に出頭し、急展開を見せた。
今後は警視庁が捜査を進める・・・》

上記記事は毎日新聞(1/28)からのニュースです。
古今東西を問わず、いつの時代でも盗っ人に限らず不正行為は存在する様です。
石川五右衛門でなくとも、『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ』というところでしょうか。
世界も日本国内でも「コロナ禍」が溢れています。
世の中に不安がある場合は、不正と言われる行為も増加するのかもしれません。
仕事を失って収入の道が閉ざされてしまった方々も沢山存在するのでしょう。
困窮した方々が犯罪に走るというわけではありません。
でも、不安要素の多い社会は、住みにくい世の中であることは確かです。

こうした世情下にあっても、年金生活者の私たち夫婦は、古い家ではありますが持ち家に住んでいますし、決して高額とは言えませんが支給される年金額で飢えることは無く暮らせています。
このことは感謝以外の何ものでもありません。

私の祈りです。
 《二つのことをあなたに願います。
  わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。
  むなしいもの、偽りの言葉を、
  わたしから遠ざけてください。
  貧しくもせず、金持ちにもせず
  わたしのために定められたパンで
  わたしを養ってください。
  飽き足りれば、裏切り
  主など何者か、と言うおそれがあります。
  貧しければ、盗みを働き
  わたしの神の御名を汚しかねません」》
          (箴言 30章7~9節)

今日は、他界して56年になる父の命日に当たります。
昨年も墓参に行けませんでしたが、今年も家で父を偲んで合掌するだけ。
早くコロナが治まって、父母の墓参りができて、
「来ましたよ」
と、線香を焚き、父の好物のお酒を供えたいものです。
      〈ゴマメのばーば〉
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今晩は、ゆっくり眠れそうです。

2022-01-28 06:54:05 | 日記
連日、コロナ感染者が過去最多を記録している福島県です。
私の居住する市内でも、今日から『まん延防止等重点措置』が適用されました。
気にしないようにしてはいますが、やっぱり気にかかります。

でも、「食い気」の衰えはありません。
牡蠣が好きな私は、まずは生で食したり、鍋、フライ、その他でしょっちゅう食べています。
美味しい牡蠣ご飯を拵えました。
お米の美味しさと、ふっくらした牡蠣の甘さは、たとえようがありません。
今回は、三回続けて食しました。
でも、食欲があるという事はありがたいことです。
何と言っても、医食同源が私のモットーですから。

このところ、ひ孫のUちゃんたちは我が家にやって来ません。
コロナ感染が幼い者たちにも広がっていますので、お互いの接触は避けているからです。
でも、会えないことは淋しいことです。
時々、散歩の際に、通っている幼稚園脇を歩いたりして、もしかしたら園庭で遊んでいる姿でも目に止まらないかしらと期待はするのですが、期待は、いつもハズレ。

ところが、今日、Uちゃんのパパから幼稚園のお遊戯会の動画が幾つか送られて来ました。
この時期ですから、お遊戯会は中止になるのではないかと予測していただけに、動画が送られて来たことは嬉しい限りです。
ひい爺、ひい婆には、何よりの心身活性剤となります。
昨日病院で治療を受けて来た連れ合いは、お酒が飲めませんでしたが、本日は、ひ孫の動画をサカナに、お酒の量が弾んでいたようです。
傍から見れば実にバカバカしい高齢者の二人と映ることでしょう。
でも、感染者が出ないで欲しいと、一抹の不安と共に祈る心地です。

今晩は、ゆっくり眠れそうです。
みんなに、ありがとう。
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「大判焼き」に連なる記憶

2022-01-27 06:58:40 | 日記
福島県での26日、新型コロナ感染者は過去最多の352人。
県内の小中学校・幼稚園でのクラスターをはじめ、事業者や医療機関にもクラスターが発生。
居住する市の感染者数は全体のほぼ1/3、100人となっています。
この時期、中学校では3年生が高校受験を控えています。
学校側も受験生を持つ家庭でも、心労が高まるばかりの事でしょう。
私たち老夫婦二人暮らしとしましては、なるべく外出等を控えて過ごすほかありません。

朝方は厚い雲が広がっていましたが、次第に青空が広がって来ました。
連れ合いは、先月末に受けた検査の結果を聞くことと、定期的な注射を受けるために病院へ。
病院の帰りは、他所へ寄ったりせずに真っすぐ帰って来るようにと、言いましたら、「分かっている」と、少々不機嫌な声が返って来ました。

NHK朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
時代背景が、私の生きて来た時代と共通する部分が多いので、番組そのものも楽しんで観ていますが、ドラマの、とある場面に、ふっと心が立ち留まり、そこから自分史の生活背景に入ってしまうこともしばしばです。
京都で暮らし始めた主人公のるいは、錠一郎と一緒に回転焼き屋をオープンさせました。
小豆アンを拵える鍋の場面から、大判焼きに連なる記憶を、いろいろと思い出した私です。

夜間高校へ通っていた頃(67年も前のこと)、給料日でお金が入った同級生が、幾つもの大判焼き(ホカホカの)を買って来てくれて、休憩時間にみんなに振舞ってくれたりしたものです。
懐かしく、ほっこりとした思い出です。
職場から夕食など取らずに、真っすぐ学校へ直行した私たち学生は、みんな空腹を抱えていましたから、もう喜んでむしゃぶりついたものでした。
休憩時間が終わって授業開始のベルが鳴り、教師がクラスに入って来ます。
まだ、食べ終わらない生徒が居ますと、先生は黙って待っていてくれたりしたものです。
そんな懐かしい教師も、日本国有鉄道の機関士だった大判焼きの提供者も、すでにあちらへ逝ってしまいました。
懐かしくて、涙がジーンと。
           〈ゴマメのばーば〉
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