ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈春の便り二つ〉と、〈再びの3.11〉

2015-03-07 06:36:41 | 日記
もうすぐ4四回目の3.11を迎えます。
原発事故による避難地域ではありませんが、自宅の除染廃棄物を敷地内に保管している………
そうした地域に住んでいる高齢者の想いです。

    【2011年  
   いかが お過ごしですか。
   とんでもない地震・津波・そして原発。
   窓も、戸も閉め切り、外出も控え
   不安になったり 怒ったり 愚痴ったり
   でも 手入れもせず 眺めもしなかった庭に
   春がやって来ていました。
   花が 春を詩っていました。
   『たとえ明日 世界が滅亡しようとも
   今日 私は リンゴの木を植える』(ルター)
   開高 健の好きだった言葉など思い浮かべながら
   花を眺め 余震で 食欲も無いけれど
   今日 桜餅を食べました。

   【2012年 立春
    春が立ちます。
   地震・津波・原発 不安はまだまだあっても春が来ます。
   お元気でしょうか。
   V・E・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』
   を読み返してみました。
   強制収容所という運命の中にあっても“人生にイエス
   と言うことができた”ように 私も“人生にイエス”
   と言いたいと思います。
   ふきのとう 芽をだしました。
   やがて 梅・桃・さくらも咲くでしょう。
   いろいろあっても 福島(フクシマではなく)で生き
   ていきます。
    雪があっても 寒くても。
   春が立ちますから。

【そして、再びの、3・11】
各地で『3・11』への追悼行事が持たれます。
キャンドルが灯され、祈りが捧げられます。
沢山の悲しみや苦しみが、まだまだ そこかしこに溢れているのです。

中村哲氏は、著書『天、共に在り』の中で、「3・11」後の世情について、次の様に
語っています。
   《世の流れは相変わらず「経済成長」を語り、
   それが唯一の解決法であるかのような錯覚をすりこみ続けている。
    経済力さえつけば被災者が救われ、
   それを守るため国是たる平和の理想も見直すのだという。
   これは戦いを図上でしか知らぬ者の危険な空想だ。
   戦いはゲームではない。
   アフガニスタンの経験から、自身を持って証言しよう。
   物騒な電力に頼り、不安と動揺が行き交う日本の世情を思うとき、
   ……中略……
   今ほど切実に、自然と人間の関係が根底から問い直された時はなかった。
    決して希望なき時代ではない。
   大地を離れた人為の業に欺かれず、
    与えられた恵みを見出す努力が必要な時なのだ。
   それは、生存をかけた無限のフロンティアでもある。》
   と。

《戦いはゲームではない》。
私もそう思います。
悲しみも、痛みも、また ゲームではありません。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント
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