この時期、行楽地へは行かないことにしていましたが、孫・ひ孫・夫、そして私の4人で、
裏磐梯方面へ行って来ました。
孫が誘ってくれました。
孫がまだ三歳の頃、何度か連れて行った裏磐梯高原ホテルのロビーです。
あれから26年経ちました。
今、孫の子ども・私にとってはひ孫を伴って、同じロビーの窓から磐梯山と庭と沼を眺める
ことができることは嬉しい限りです。
ひ孫のUちゃんは、レアチーズケーキとリンゴジュース。
連れ合いは、アメリカンコーヒ、のみ。
私と、孫はブルーベリータルトとのコーヒーセット。
味わい、眺めたものは、来し方の様々な想いの映像だったかもしれません。
平成の終わり、今与えられている健康に感謝です。
そして、孫と ひ孫のUちゃんに ありがとう を。
27日の教会礼拝は、「復活節第2主日礼拝」でした。
世界には戦火や略奪、暴虐が数々存在しています。
でも私たちの間に立ったイエス様が、
【あなたがたに平和があるように】と言って下さっていますから、現実は厳しくとも、
「主に委ねて」生きて行こうと思っています。
僅かな働きであっても、平和のために何かをし続けようかと。
教会員のAさんが、「令和」の焼き印が押された大きなドラ焼きを沢山届けて下さった
ので私も頂きました。
梅の入った甘くて、ちょっと酸っぱいおいしいドラ焼きでした。
そして、心の中で「令和」の文字を「平和」に書き換えてみました。
【シャローム】※と。
平成は、本日で終わります。
明日へ続けて行きたいものは「平和」への思いと、小さなそのための働きです。
讃美歌「やすかれ、わがこころよ」を歌いながら、私の「平成」は幕を閉じます。
やすかれ、わがこころよ
なみかぜ猛るときも、
恐れも悲しみをも
みむねにすべて委ねん。
み手もてみちびきたもう
のぞみの岸はちかし
と。
※ ヘブライ語で「平和」を意味する言葉。ヘブライ語の挨拶のひとつでも。
フィンランディア賛歌 = シベリウス
裏磐梯方面へ行って来ました。
孫が誘ってくれました。
孫がまだ三歳の頃、何度か連れて行った裏磐梯高原ホテルのロビーです。
あれから26年経ちました。
今、孫の子ども・私にとってはひ孫を伴って、同じロビーの窓から磐梯山と庭と沼を眺める
ことができることは嬉しい限りです。
ひ孫のUちゃんは、レアチーズケーキとリンゴジュース。
連れ合いは、アメリカンコーヒ、のみ。
私と、孫はブルーベリータルトとのコーヒーセット。
味わい、眺めたものは、来し方の様々な想いの映像だったかもしれません。
平成の終わり、今与えられている健康に感謝です。
そして、孫と ひ孫のUちゃんに ありがとう を。
27日の教会礼拝は、「復活節第2主日礼拝」でした。
世界には戦火や略奪、暴虐が数々存在しています。
でも私たちの間に立ったイエス様が、
【あなたがたに平和があるように】と言って下さっていますから、現実は厳しくとも、
「主に委ねて」生きて行こうと思っています。
僅かな働きであっても、平和のために何かをし続けようかと。
教会員のAさんが、「令和」の焼き印が押された大きなドラ焼きを沢山届けて下さった
ので私も頂きました。
梅の入った甘くて、ちょっと酸っぱいおいしいドラ焼きでした。
そして、心の中で「令和」の文字を「平和」に書き換えてみました。
【シャローム】※と。
平成は、本日で終わります。
明日へ続けて行きたいものは「平和」への思いと、小さなそのための働きです。
讃美歌「やすかれ、わがこころよ」を歌いながら、私の「平成」は幕を閉じます。
やすかれ、わがこころよ
なみかぜ猛るときも、
恐れも悲しみをも
みむねにすべて委ねん。
み手もてみちびきたもう
のぞみの岸はちかし
と。
※ ヘブライ語で「平和」を意味する言葉。ヘブライ語の挨拶のひとつでも。
フィンランディア賛歌 = シベリウス