ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

等しく地球の住人ですから。

2017-11-30 06:22:41 | 日記
いつも利用しているバス停の近くに「ブドウ園」があります。
今年も、何回か分けて頂いて自分たちが食べたり、長男の家や、甥のところへ送ったり
しました。
ブドウが熟れる頃になりますと、甘―い香りが辺りいっぱいに広がります。
そして、道路からも茶色の袋がかけられたブドウが沢山実っているのが見えるのです。

もうブドウの季節は過ぎました。
今日、気が付いたのですが、袋をかけられたブドウが、まだまだ、残されているのです。
取り残された、と言う量ではありません。
けっこうな数が、ぶら下がっているのです。
袋の中に実が入っているかどうかの見分けはつきませんが、
〈何だろう 何にするんだろう〉
と、しばし立ち止まって眺めていました。

葉っぱも、すっかり落ちてしまって、ブドウの木の根元にまで明るい日差しが届いている穏やかな
景色です。
ブドウの木の枝が、まるで幾つもの腕を広げ むつみ合っている様にも見えました。

『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である』
新約聖書、「ヨハネによる福音書」に示されている「みことば」です。

日々を自分が生きていると思っていても、「生かされているのだ」ということを、
ブドウ園の明るい日差しの中の佇まいが、私に思い起こさせてくれました。

今日も参院予算委員会の中継がありました。
観ていて疲れました。
しっかりした質問に、しっかり応えてくれません。
この回答の文言、どう解釈すればいいものか 等々、首をひねることもしばしばでした。

北朝鮮が、またミサイルを飛ばしました。
困ったことです。
不安と憤りも覚えます。
本日の予算委員会でも、関連する質疑応答がなされました。
「どうしょうもない国」
と、決めつけてしまっては解決にはならないと思います。
「義憤」ということばで括ってしまってはいけないのではないでしょうか。

国・政治の体制に問題があったとしても、あの国に魑魅魍魎が暮らしているわけではありません。
赤ちゃんも、子どもも、じいちゃん ばあちゃんも、父も母も、泣き 笑い 怒り 喜ぶ人間が住んで
いることを忘れてはいけないと。

そして、「核」を保有している国も、その傘の下にある国も、
『核は、絶対に使用しない』
と、言うところで手を組めないものでしょうか。

政治体制は異なっても、等しく地球の住人です。
水も、空気も 自然から頂いて生きている私たちです。
ブドウの木の枝の様に、腕を組み、手をつなげないものでしょうか。
                              〈ゴマメのばーば〉
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これ、詭弁の類ではありませんか。

2017-11-29 06:35:33 | 日記
特別の日程もなかったので、衆院予算委員会を観ようか、と思いました。
が、真っ青な空が西の山まで広がっています。
家の中、それもテレビの前に居るような お天気ではありません。

「衆院予算委員会」は、録画することにしてバスに乗って出かけました。
散歩です。
ブラブラ散歩は、私にとって心の「余白」です。
「余白」が無いと日々の暮らしがギスギスに。

公園に寄って、ティルームへ。そして ちょっとばかり買い物。
しばらく身に付けるものを買っていませんでしたので、あちこち眺め歩くのは楽しい
ひと時でした。
和服調のコートとマフラーなどを買い求めましたので、「着ぶくれ」ならぬ「荷物ぶくれ」の
様相になりました。

公園近くの小学校の桜は すっかり葉を落とし、梢の先々に小さな可愛らしい花芽を
プツプツさせています。
みんな、来年の春を待っている桜の子供たちなのでしょう。
耳を澄ませましたが、声は まだ聞こえませんでした。

葉を落とした樹木を目にしますと、カレル・チャペックの「ことば」を、季節の挨拶の様に
思い出します。
以前、このブログにもアップしたことがありますが、今日も 私に囁きかけてくれました。

  『・・・・・・木や灌木が秋に裸になるのは、視覚上のイリュージョンにすぎない。
   木も灌木も、翌春ひろげて伸ばすものを、枝という枝に ぎっしりばらまいているからだ。
   ・・・・・・自然は、店をしめて鎧戸をおろしただけなのだ。
   しかし、そのなかでは、新たに仕入れた商品の荷をほどいて、抽斗は はちきれそうに
   いっぱいになっている。
   これこそほんとうの春だ。
   ・・・・・・・未来はわたしたちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。
   未来は芽の姿で、わたしたちといっしょにいる。・・・・・・
   芽がわたしたちに見えないのは、土の下にあるからだ。・・・・・・
   わたしたちが現在とよぶ古い作り土のなかに、どんなにたくさんの太った白い芽が
   ぐんぐん伸びているか、どんなにたくさんの種がこっそり芽を吹き、
   どんなにたくさんの古い挿木苗が、
   いつかはかがやかしい生命に燃え上がる一つの芽となって、生きているか・・・・・・』
            (カレル・チャッペク著『園芸家の12か月』 小松太郎 訳 より)

チャッペクの言葉を味わいながら、ブラブラして戻りました。
夕飯を済ませ、「予算委員会」の録画を早送りで観終えましたら、日付は「明日」に
なっていました。

安倍首相は、「森友学園」への国有地売却が「適切」と答弁してきたことに関し、
「財務省が法令にのっとって適切な価格で売買していると信頼していると申し上げた」
と述べていました。
そして、
「私が調べて、私が『適切』と申し上げたことはない」
とも。

こんな回答があっていいものでしょうか。
これ、詭弁の類ではありませんか。
〈適切は部下が言ったから〉ですと、いやはや、「恐れ入り谷の鬼子母神」です。

「森友学園」関連については、本件のみの「特約」が、幾つもあるようです。
今後への対応だけでなく、「森友学園事案」についても、しっかり調査し、責任を明確に
すべきだと思います。
過去の答弁との整合性は問われなければなりません。
集中審議も するべきです。
                             〈ゴマメのばーば〉
コメント (8)
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「謙虚・誠実・実直」さを、しっかり見せて頂きたいものです。

2017-11-28 07:04:54 | 日記
長男が、宇都宮まで出張だったとかで、ちょっと足を延ばし、二泊して帰京。
近所に住む長女や、孫 ひ孫なども集まって楽しい時間を過ごすことができました。
連れ合いは、仙台へ行って留守中。
私が お酒をやりませんので、孫たちと飲むことを楽しみにしていただけに残念だった模様です。

夜更けまで長男と二人で、昔のことなどを あれこれ おしゃべりをしました。
子どもの頃は、扁桃腺を腫らしてよく熱を出し、心配もしましたが、今は、血糖値がらみで、
親としては少々気にかかる状態です。
54歳ですから、あれこれ出てきても不思議のない年齢です。
本人と家族に任せる以外はありません。

とは言うものの、やっぱり心配が高じてきて、助言のつもりが、ついつい嫌味になったりして
不快にさせてしまったりもしました。
まぁ、心配が全く無くなるなどということは、生きている限りあり得ないこと、と、自分に言い
聞かせました。

衆院予算委員会が始まりました。
与党と野党との質問時間の配分は5対9。
冒頭の自民党・田村憲久議員から始まって、ずいぶんと長く感じられました。

田村氏は26日のNHK『日曜討論』にも出演。
予算委員会でも、ソフトな語り口での質問でしたが、見ている私にしましては、上手な切り出しでの、
〈アベ褒め〉
〈内輪褒め〉
に聞こえたのです。
この方を質問者のトップに持ってきたことに対する戦略的意味合いを濃厚に感じました。
『無いことを証明するのは「悪魔の証明」とも言われ、難しいことですが ここは天使の様に
謙虚に誠実に、そして実直に お答えいただきたい』
と、述べました。
私は、
〈天使ねぇ〉〈これって質問?〉
と 思わず苦笑いを。

安倍首相に近いと言われる新藤義孝氏は、
「ヨイショしているわけじゃない」
と言いつつも、首相の外交実績等を褒めそやしました。

安倍首相は この委員会で、会計検査院から「値引き根拠が不十分」と指摘された「森友学園」への
国有地売却に関し、従来まで「適切」としてきた答弁を撤回はしませんでした。
『財務省や国土交通省から適切に処分していたと答弁があり、そう報告を受けていた。
そのような理解で申し上げたものだ』
と、立憲民主党・長妻昭氏へ答弁しました。
この、答弁内容はいただけません。

野党の質問が始められたのは、もう夕方です。
今までの予算委員会中継とは かなり雰囲気が異なっていました。
何やら、「自民党の〇〇委員会」に近い様な。
そんな違和感を覚えた中継でした。

本日は、野党の質問時間です。
安倍首相と大臣の方々の「謙虚・誠実・実直」さを、しっかり見せて頂きたいものです。
                             〈ゴマメのばーば〉

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国と国との憎しみを煽る「コマーシャル」になって行くのでは・・・・・

2017-11-27 06:27:52 | 日記
需要があれば、モノを作って売るのは当然の営利事業です。
〈鹿児島市の ある住宅メーカーが、今月から米国製の家庭向け地下型核シェルターの
販売を始めた。〉(朝日新聞デジタル 2017/11/24)
というニュースを見ました。

価格は本体と設置費込みで1500万円とか。
鉄製の箱形で、地下に埋設。
4畳半ほどの生活空間があって、
放射性物質を除去する空気清浄機、
2週間分の食料品、
ガスマスクや防護服などがセットされているそうです。

北朝鮮関連で、核に対する不安が増大していますから、需要があると言えばあるのでしょう。
可愛らしいAI搭載の介護用ロボットが発売される・・・・・・・などというニュースに接しますと、
心が和みますが、「核シェルター」の発売というハナシには、ウーン、と首を傾げたくなるような
違和感を覚えます。
人間、襲って来る危害に対しては防護本能が働きます。
家族の安全を確保するためには、キレイごとで済まされるわけでもありませんし。

〈1500万円〉
家電量販店で、少し値が張っても優れた機能を持つ新製品などを買い求めることと同じレベルで
買える金額ではありません。
我が家で、今買えるか、と尋ねられたま、「ノー」と応えます。
1500万円もありませんし、もうローンは組めない年齢です。

でも、北朝鮮が繰り返し、核実験やらミサイルなどを飛ばし続け、家族の安全を守るために
「買った 設置した」という家庭が、近隣に見受けられるようになったら、やっぱり、不安が
つのって来て、何とかしなくてはとの焦燥は出てくるかもしれません。

一般的には、新しい生活用品や、食物・趣味のための機材等が発売されますと、
  これ いいですよ! 
  みんな 買ってますよ!
との、コマーシャルや、キャッチフレーズが巷に流されます。
過大宣伝なども往々にして見受けられますが、買う 買わないにかかわらず、それもまた
楽しいことかもしれません。

でも、「核シェルター」を売り出す際、と言うより売り上げを伸ばすために必要なコマーシャルは、
〈某国のキケンを煽る〉という手段も出て来そうで、イヤーな感じがします。
何だか、これは、コワイハナシです。

シェルターを製造しているのは、米アトラス・サバイバル・シェルターズ社。
  《今月16日に報道機関向けの説明会があり、同社の担当者は、
   「ミサイルは飛来するまでの時間はかなり限られ、避難できる地下街は九州に多くはない」
   とシェルターの必要性を説明した。》(朝日新聞デジタル 2017.11.24)
と、報じられました。

「売らんかな」のコマーシャルが、国と国との憎しみを煽る文言になって行くのでは・・・・・
そんな危惧を強く覚えています。
トランプ氏による〈防衛装備のトップセールス〉に、私たちも一役買わせられるのは真っ平です。
                               〈ゴマメのばーば〉
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きっと、神さまのポケットに。

2017-11-26 06:37:08 | 日記
日が短いので、あっという間に一日が終わってしまいます。
辺りが暗くなってくると「気が急く」のは、生きものの帰巣本能からくるのでしょうか。
そして加齢は、体の内部に焦りにも似た「気ぜわしさ」を溜め込むような気がします。

先週の日曜日、教会で嬉しいことがありました。
お母さんも おばあちゃんも、ひいばあちゃんも教会員のY君が「幼児祝福」を受けたのです。
やや緊張した面持ちで、牧師先生を通して祝福を受ける可愛らしい顔を眺めましたら胸が
一杯になりました。
これから歩む道が祝福されますように、と心からの祈りを込めて讃美歌を歌いました。
Y君の後姿を見つめながら歌いました。

式が済んでから、
「おめでとう。神さまも、きっとY君のことが大好きだよ」
と言って、頭を撫でて上げました。
そしてまた、羨ましくなったのです。
私の ひ孫も「幼児祝福」に与ることができたら嬉しいのだが・・・・・・と。

でも、強要できるものではなく、「時が至る」まで「待つ」ほかはりません。
すべてのもには『時』がありますから。

    何事にも時があり 
    天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
    生まれる時、死ぬ時
    植える時、植えたものを抜く時
    殺す時、癒す時
    破壊する時、建てる時
    泣く時、笑う時
    嘆く時、踊る時
    石を放つ時、石を集める時
    抱擁の時、抱擁を遠ざける時
    求める時、失う時
    保つ時、放つ時
    裂く時、縫う時
    黙する時、語る時
    愛する時、憎む時
    戦いの時、平和の時。
         (旧約聖書 「コヘレトの言葉」3章 から)

でも、私が生きている間に、ひ孫の「幼児祝福」の姿がみたいなぁ、と。
私は、20日のブログにも記しました様に、ケイタイのメモ欄に収められている「とんぷく」の
ことばを取り出して服用しました。
  ☆ 戻ってこないものは 神さまのポケットに入っている
渡辺和子シスターの「ことば」です。
私の願い・祈りも、きっと神さまのポケットに入っているはずです。
                           〈ゴマメのばーば〉

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