ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『なだそうそう』

2015-03-08 06:32:39 | 日記
NHK朝の連ドラ「マッサン」のことなどです。

出征する一馬は遺書をしたためました。
弟、一馬の靴を磨きながら、密かに涙する姉のハナ。
独り、炉端で酒を飲んでいる父親の熊さんに、一馬は、「出征した後に読んでくれ」と言って
遺書を手渡します。

しかし、すぐに読んでしまう熊さん。
遺書には、簡潔ではありますが、幼い頃から父親へ抱いていた想いと共に、生きて帰って
来ることができたら、父親の故郷・会津へ行ってみたい、と綴られていました。
そして、「お元気で お過ごし下さい。皇国の必勝を信じつつ」と結ばれていたのです。

出征当日の朝、
一馬の頭髪をバリカンで刈る熊さん。
“俺の生まれた会津に連れていってやる、生きて帰って来い。
鉄砲のタマが飛んできたら、逃げ回ってもいい、臆病者、卑怯者と言われてもいい。
生きて帰って来い、わかったか”と。
抱き合う父と子。

「Auld Lang Syne」(蛍の光)の日本語歌詞を入れた お守り袋に思いを託して、
一馬に手渡すエマ。
「帰ったら、言いたいことがある」と、エマに言う一馬の愛情のかたち。

「言って参ります」と敬礼する一馬。
「いってらっしゃい」と見送る顔・顔・顔、涙・なみだ・涙。

一馬の横顔に、私は1943年10月21日、明治神宮外苑競技場で開かれた〔出陣学徒壮行会〕を
思い起こしました。
凛々しくはあっても、切ない光景です。

一馬のような多くの若者が、再び故国の土を踏むことなく、戦死しました。
私は幼いながら、日の丸の旗を振って、
『ばんざい』『ばんざい』
の声で出征兵士を、もよりの駅まで見送ったのです。
軍歌 ♪「勝って来るぞと勇ましく……」を歌って。

7日の毎日新聞「仲畑流万能川柳」に
〈朝ドラが 済み動き出す 老い二人〉(定年誤さん)
と、載っていました。

我が家も同じでした。
同年齢の私たちは、同じ時代を経験しています。
それぞれに、みっともないほどの涙・なみだ、涙でした。
照れ隠しでしょうか、連れ合いは、
『なだそうそう』などと、口にしながら出かけました。

あの頃の記憶で言えば、家族は他人の前で出征兵士との別れを惜しんで
涙は見せられなかったのです。
≪死して護国の鬼と成れ≫
いさぎよく、国に奉じなければならない………が建前でしたから。

再び、兵士を戦場に送り出したくありません。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント (5)
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