ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈落ちつきの悪さ〉から逃げ出さずに、

2015-03-26 06:38:04 | 日記
米軍普天間飛行場、辺野古への移設関連のニュースが流されますと、私は、
「申しわけありません」
と言うばかりです。
でも、「低頭」して済むわけではありません。

戦後70年。
『首相談話』等に関しては、あれこれと取り沙汰されています。
でも、「戦後70年」に亘る沖縄の基地問題に関して、私たちはあまりにも語ることが
少なかったとの反省をしなければいけないと思っています。
福島県に住み、原発事故への「関心の風化」を訴え、「脱原発」を訴えている者の一人としては、
とても心苦しく思うばかりです。

移設を巡り、
翁長知事は、水産資源保護法に基づき、『現場海域でのすべての作業停止』を指示。
それを不服とした沖縄防衛局は、行政不服審査法に基づき農水省に『審査請求』。

菅義偉官房長官は、
「この期に及んで はなはだ遺憾だ。法律に基づいて粛々と工事を進める」
と、県の対応を批判。

毎日新聞(3月24日)の社説(一部抜粋)によれば、
  ≪政府が手続き上の問題はないというのは、一つ一つの行為だけを取り上げれば
   そういう理屈も成り立つのかもしれない。
   だが、問題がここに至ったのは、政府が沖縄との対話の扉を閉ざしたまま、一方的に
   移設作業を進めてきたことが背景にある。
   政府が今のやり方を進めていっても、その先には何の展望も見いだせない。
   沖縄の理解と納得がないまま、将来、仮に辺野古に代替施設が完成したとしても、
   それは日米安保体制の強化につながるだろうか。
   むしろ、いつ暴発するともわからない県民感情を抱えて、同盟は不安定化しかねない。
   これ以上、沖縄を追い詰め、感情的な対立を深めれば、問題解決は遠のくばかりだ≫

私は、この「説」に同感の意を示すことで、
また、政府のやり口を罵ることで溜飲を下げ、
「はい お終い」
とはならないのです。
前述しましたように、私自身の「申しわけなさ」が解消されません。

≪日本国土の0.6%の沖縄県に、在日米軍の74%の基地があり、陸上の基地よりも 
はるかに広い海と空が米軍に提供されている≫
という、この現実に日本国民の一人として、どう対峙しているのかという反省が、
あまりにも希薄でしかないのです。

そんなわけで、何とも落ち着きの悪い日々を過ごしています。
〈さて、どうしたものか〉
〈私に、何が出来るのか〉
〈私は、何を、しなければいけないのか〉
と。

まずは この〈落ちつきの悪さ〉から逃げ出さずに、考えてみる………。
それぐらいしか出来ない私が、ここにいます。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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桜が。

2015-03-25 06:24:34 | 日記
23日、東京・靖国神社の桜が開花したとのこと。
「靖国」と言えば、反射的に「桜」が浮かんでくる世代の人間です。

【散る桜 残る桜も 散る桜】
戦時中だった幼い頃、この歌が良寛さまの歌だとは知りませんでした。
兄たちが、よく口にしていましたので、どこか悲しみを湛えていますが、
特攻隊の いさぎよさを讃えた歌のように思っていました。
今でも、特攻隊員のマフラーが目に浮かび、何か胸がしめつけられる思いになるのです。

【敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花】   本居宣長
や、軍歌などをも思い起こすことが多くなったのは、「集団的自衛権」が
取りざたされるようになってからのことなのです。

『海行かば』の歌。
その旋律も甦ります。
   海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
   山行かば 草生(くさむ)す屍
   大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
   かへり見はせじ

心の奥ふかく眠っていたものが呼び起こされるのです。
歌に、ある懐かしさが無いといったらウソになるでしょう。
でも、悲しい思い出です。
こうした歌を歌わせられる時代・社会を、再び繰り返してはいけないのです。

サイパンや、硫黄島などの「玉砕」が伝えられると、『海行かば』を唱和し、
近くの護国神社や、忠魂碑へ詣でさせられていた兄も姉も、向こうに逝ってしまいました。

戦後70年。
桜の花だよりを聞いて、梶井基次郎の、
【桜の木の下には屍体(したい)が埋まっている!】
そうした ことばをも思い起こしてしまうのは、やっぱり、「集団的自衛権」とか、
5月に国会に提出予定の「安全保障関連法案」などが、心の内に暗い影を
落としているせいなのでしょう。

20日の参院予算委員会。
安倍首相は、自衛隊と他国との訓練について説明する中で、自衛隊を「我が軍」と述べたとのこと。
言葉尻を捉えるわけではありません。
でも人間は、ひょんな時に その人の持っているホンネが顔を出すものです。
『我が軍』
安倍首相にとっては、すでに『日本国軍隊』なのでしょうね。
何やら、きな臭さが臭って来るのです。

    ※ 政府の公式見解では、自衛隊を、「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」
      としています。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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「不戦の誓い」って何ですか。

2015-03-24 06:33:27 | 日記
国会答弁その他で いつも感じるのですが、安倍首相の「もの言い」の「起承転結」が
解りにくいのです。
聞いていて、自身の理解力を疑うことが しばしばあるのです。

国会答弁の際は、質問趣旨に応えていないこともけっこう多く、質問者も指摘しますので、
あっ、私の認知力のせいではなかったと安堵したりで。
とにかく、判りにくいのです。

不戦の誓いを現実のものとするには、決然と行動しなければならない』
安倍首相は22日、防衛大卒業式で、こう述べました。
5月に国会に提出予定の安全保障関連法案については、
『いわゆるグレーゾーンから集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能と
するための準備を進めていく』
と述べており、自衛官が海外で命を失ったり、外国人の命を奪ったりする可能性も
強くなったわけですから、『不戦の誓い』の『不戦』とは、どのようなことを意味して
いるのでしょうか。
良く解りません。

また、
集団的自衛権の行使容認で、日本が戦争に巻き込まれるとの批判に対し、首相は、
『ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されたが、そうした批判が荒唐無稽だったことは、
この70年の歴史が証明している』
と反論しています。
〈ただ不安をあおろうとする無責任な言説〉とは、どの様な発言をさしているのでしょう。
そして、
〈そうした批判が荒唐無稽だったこと〉と、〈この70年の歴史が証明している〉
とは、具体的に、どのように結びついていくのでしょうか。

そして、
『軍事力は戦うためだけのものという発想はもはや時代遅れだ。
災害救援、紛争予防、復興・人道支援など、あらゆる機能を備えた軍事力の役割は国際社会で
大きく広がりつつある』
と指摘。
さらに「自衛隊にはより一層の役割を担ってほしい」と述べています。

安倍首相。
はっきりと、わかりやすく訓示した方がいいのではありませんか。
『災害救援、紛争予防、復興・人道支援などのために、あらゆる機能を備え、軍事力を備えた自衛隊が、
その役割を担ってほしい』と。
歯に衣を着せず、明確に。

今年度の卒業生は472人。
任官辞退は前年比15人増の25人で、過去10年間で3番目に多かった、とのことです。
内訳は民間会社への就職が15人、
大学院などへの進学が10人とのことです。
安倍首相の訓示にはありませんでしたが
『任官辞退などせず、役割を担ってほしい』
と、訓示したかったのが首相のホンネではないでしょうか。
                                   〈ゴマメのばーば〉

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悲しみを想いながら、庭の水仙を、

2015-03-23 21:18:25 | 日記
『船越保武 彫刻展』―――まなざしの向こうに――――
へ、行って来ました。
2回目、いや、同企画展でいえば3回目です。
昨年11月 岩手県立美術館で、そして郡山市立美術館へは、2回足を運びました。

いくら船越保武の作品とエッセーが好きだからと言って、同じ企画展を3回というのは、
度を越すようですが、何かに呼ばれるように行って来たのです。

新しい発見に驚いたり、
今まで好きだった作品が、どこか色あせて見えてきたり、
「ダミアン神父」像と視線が合う場所に、暫し佇んで耳を澄ませて見たり………。
ゆったり時間が流れ、気持も凪いでいました。
美術館の庭を一人散歩し、春の空を見上げ、バスに乗って帰って来たのです。

と、我が家の庭に水仙が咲いていました。
半月ほど前から咲いていたのに、あまり気にかけもしなかったのです。
“あぁ、咲いたね”
そんな、接し方でした。

でも、水仙が、私を見たのです。
それは、美術館で見て来たパステル画『一馬と水仙』の中の水仙が私の内に残存していて、
庭の水仙と呼応したのかもしれません。

船越保武氏は、生まれて八カ月の長男を肺炎で失った時、街はずれの従兄弟の家へ走りました。
従兄弟の庭には、花が、いつも いっぱい咲いていたからです。
“花を下さい、花をください”と。
“赤ん坊が死にました。花を下さい。なるべくたくさん下さい”
と。

船越保武のエッセーは、続きます。
≪…………
従兄弟はたくさん咲いている黄色い水仙を、ほとんどみんな伐ってくれた。
その花を、自転車の前と後ろにつけて、いそいで帰った。
花を、いっぱいに棺の中にうめた。
黄色い花いちめんの中に、一馬の顔だけが見えた。
花の中から、小さな顔と、合掌した小さな手だけが見えた。
「こんなにきれいなのに。こんなにきれいなのに」
と妻は水仙の花を一輪ずつ、ていねいに一馬のまわりに置きながら、同じことを
繰り返していた。
……………………中略………………
たった八カ月しか生きることの出来なかった幼児との訣別だから、黄色い水仙の花だけ
しか見えて来ないのかと、私は自分の鈍感さにあきれることがある。
ながい間、私の中には、いちめんの黄色い花が充ちていた。
それでも眼を閉じて、じっとしていると、黄色の花の中に埋もれた幼い顔が
かすかに見えて来る。
それはただ美しく、笑いも泣きもしない。
静かな顔で、眼をやさしく閉じている。
……………………中略………………
花に埋まった幼児を描いた、あの時のパステル画を出して見ると、郷里の春の、
うららかな空気まで、よみがえって来る。
三十年を過ぎてもパステルの色は、褪せてはいない。
…………≫
(エッセー・水仙の花 より)

私は、美しく静謐な船越保武氏の悲しみに思いを馳せながら、庭の水仙を しばし眺めました。
≪うららかな≫春の夕暮れです。
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『国民の命と暮らしを守り抜く』と言えば、何でも出来る。

2015-03-22 06:48:08 | 日記
△自衛隊が、「軍隊」になるということ。
△自衛官が海外で命を失ったり、外国人の命を奪ったりする可能性もあること。
安保法制の与党合意、手っ取り早く言えば、そう言うことでしょう。
そして、
△どんな事態にも対応できる「切れ目のない法整備」をするということ。

安全保障法制を今国会で成立させることに対しては、反対52%で、賛成の34%を
大きく上回っています。(毎日新聞 世論調査)

安倍政権は、国会での、野党議員からの質問に対して、
『いかなる事態でも国民の命と暮らしを守り抜く』
『積極的平和主義のもと国際社会に積極的に貢献する』
と、くり返し述べるだけで、真っ向から答えることは、あまりなかった様に見受けられました。
『いかなる事態でも国民の命と暮らしを守り抜く』
とさえ言えば、すべてが解決するわけではありますまい。
この文言、安倍首相は政権をとってから、何回繰り返したことでしょう。
まるで、呪文のように。
繰り返し、繰り返し、壊れかけたレコードのように。

共産党の志位委員長が記者会見で、
「米国の戦争に集団的自衛権で参戦する戦争立法」
と批判しましたが、私も そう思います。
政府は両党の合意文書案を受け、法案作成に入るもようようです。
そして、与党は4月12日の統一地方選前半戦が終わった後、協議を再開する方針とのことです。

〈4月末に予定される日米防衛協力の指針(ガイドライン)の見直しより前に国内法整備に
 道筋をつけたい政府・自民党〉
〈今月26日から始まる統一地方選への影響をできるだけ小さくしたい公明党の思惑〉
が合致したと報じられています。
国民を無視した実に、不誠実なやり口だと思います。
公明党さんも、ブレーキ役をしっかり果たしたとは言えません。

このところ、春が 日めくり暦のように 訪れていますのに、これからの暮らし、
憲法に謳われている「平和」の理念は遠ざかって行くみたいです。
                                    〈ゴマメのばーば〉

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