ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「灯火親しむの候」が訪れますが。

2022-09-30 06:43:45 | 日記
昨夕散歩へ出た帰り道、我が家への曲がり角まで来ましたら、風に乗って懐かしい匂いが・・・
金木犀です。
いつもの年ですと、9月の半ばにはこの香りを辺りに漂わせてくれます。
歩いていて、ふっとこの香りに気づいて見渡しますと、視界のどこかに金木犀が。
秋が来たなぁと。

今年は、我が家のプランターの草花も鉢植えの花木も、いつもの年とは異なって早咲きになったり、咲かず終いだったり、ちょっとした異変続きです。
やっぱり、温暖化の影響なのかしら、と不安を覚えることもしばしばです。
2年前に買い求めたシクラメン。
出窓に置くべく190円で、小さな鉢ものを買ったのでした。
花が終わってから、夏は北側の軒端に置いて、他の鉢の花木と共に水遣りをしていましたら、去年咲いてくれました。
今年は何ともう咲き出したのです。
ビックリ!
昨年は、11月半ばから咲き始めた様に記憶しています。
花たちも、今年の様な気温変動には戸惑っているのでしょうか。

めっきり、日暮れが早くなりました。
夜が長くなる季節、「灯火親しむの候」が訪れます、と言いたいところですが、私には訪れません。
以前は、この季節になりますと、少し内容が硬めの本などを買い求めたものでした。
でも、このところの私の目は書籍を熟読することに耐えられなくなっています。
読みたい本は、あるのですが・・・
加齢とは言え、「弱くなった自分」を、ひしひしと感じながら過ごしています。

私の好きな批評家で、詩人・随筆家の若松英輔氏の著書『弱さの力』に掲載されていた詩、『言葉のともしび』です。

   『言葉のともしび』

   危機を
   生き抜くための
   灯のような言葉
   多くのではなく
   暴風でも消えない
   幾つかの 強靭な言葉

   試練のとき
   行くべき道を
   照らしてくれる言葉
   あたまを刺激する
   言葉ではなく
   いのちに届く言葉

   困難のときも
   悲嘆にくれるときも
   ほのかに行く先を
   指し示してくれる
   古くからある
   叡智の言葉

   不安や戸惑いに
   飲み込まれそうになるとき
   苦しみと悲しみを
   生きる力に
   変えてくれる
   祈りのような言葉
     (若松英輔著『弱さのちから』 亜紀書房より)

無い物ねだりをしても始まりません。
あまり目は使わずにすむ「詩集」をアマゾンで注文しました。
谷川俊太郎著『となりの谷川俊太郎』
〈秋の入り口、詩はいかが?〉のキャッチフレーズに惹かされて。
明日届きます。

      
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柿の実が色づき始めて、

2022-09-29 06:42:38 | 日記
「曇り時々晴」の予報でしたが、青空も広がり気持ちのいい秋の日でした。
庭の柿の木に実った柿が、急に色づき始めました。
ここ数年、柿の葉っぱが異常なほどに繁茂して、実がなっていても、その存在が定かには確認されなかったのです。
緑がかった橙色の実が幾つも幾つも、「ここに在るよ」と。

父が植えてくれた木です。
樹齢は、60歳以上。
父は、子ども達が食べられる様にと植えてくれたのです。
この地域に引っ越してきたとき、柿の木も一緒に連れて来ました。
今は、ひ孫が、と言いたいのですが、ひ孫たちは、あまり好んでは食べたがりません。
でも、柿を捥ぐのは楽しいらしく、キャッキャッと声を立てながら去年も捥ぎました。
また、その季節が巡って来ました。

連れ合いは、午後から近所に住む長女宅の庭の木の剪定に。
剪定と言うより伸びすぎて道路にまで張り出してしまった枝を落としてくることです。
多分、疲れて戻って来ることでしょう。
その分、晩酌の量が増えるかも知れません。

昨日は、「国葬」をテレビ中継で観ました。
今回の「国葬」を決定した内閣のあり方には疑問を抱いている私です。
内閣がこうした事まで決めてはいけないのではないかと。
あってはならない事件で命を落とされた方です。
社会的に、どのようなポジションに在った方であれ、遺族の方々にとっての肉親の情は同じです。
悲しみと痛みを味わっていらっしゃることでしょう。
こうした事件が起こらない社会であってほしいと願っております。
でも、「国葬」決定のあり方については、今後、国会で十分に討議してほしいと思います。
「国葬」「国葬儀」と言われても、納得は行きませんから。

日暮れが早くなりましたので、4時ごろ散歩に出ました。
雲は多めでしたが、西空は茜色に。
高田敏子さんの詩『夕焼け』を思い出しました。
夕焼けが「火の色」や「血の色」に見える時代を来たらせてはいけない、と心に思いながら。

  『夕焼け』
    夕焼けは 
    ばら色 
    世界が平和なら  
    何処の国から見ても
    何処の町から見ても
    夕焼けは
    ばら色

    夕焼けが
    火の色に
    血の色に
    見えることなど
    ありませんように


ウクライナに、早く平和が戻ります様に。
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今日も穏やかな秋晴れの日

2022-09-28 06:41:57 | 日記
今日も穏やかな秋晴れの日でした。
朝から、少し丁寧に家の内外を掃除。
掃除を済ませますと心もさっぱりするのは、長いこと家事の一環として掃除をし続けた者の性でしょうか。
最近は家事を億劫に思う事も多くなりました。
でも、掃除や片付けを済ませてからのお茶の一服や、コーヒーのひと時は穏やかで、心身がリフレッシュされます。
近所に住む長女が、私の好きな和菓子(幾つかの種類を選んで)を届けてくれましたので、
コーヒーを味わいながら美味しく頂きました。

日々の暮らし。
鬱陶しくなることも多々ありますが、こうした時間を過ごせるのは「平和」であるからなのでしょう。
戦争の最中に合ったり、また近親者に病むものがあったりすれば、穏やかな時間を持つことなど出来なくなってしまいます。
齢を重ねて、出来ないことが多くなって来ています。
でも、それも自然な貌かと。
まずは今を受領して、日々を味わいながら生きたいと願っています。

日中は、26度ほどになり、この節としては高すぎますが、湿度が低いので過ごしにくいことはありませんでした。
朝晩は涼しく、今朝は16度。
日中から虫の音が繁く届いてきます。
夕方になってから草むらで鳴きだす秋の虫ですが、最近(と言っても大分以前からですが)は日中から、草むらなどでは無く木々の高い部分から虫の音が聞えてきます。
詳しいことは存じませんが、こうした秋の虫たちは外来種だとか。
生命力が強いのか、アピール力が強いものか・・・。

近くのブドウ園で買い求めたブドウが美味しかったので、知人にも届けたくて、買いに行ったところ、もう少し熟させた方がいいので、お待ちくださいとのこと。
少しくらい、酸っぱくとも一向に差し支えないのですが。
数日経ったら、また行ってみることに。

八木重吉さんの詩を二つ。

  『果物』
   秋になると
   果物はなにもかも忘れてしまって
   うっとりと実(み)のってゆくらしい

  『虫』
   虫が鳴いてる
   いま ないておかなければ
   もう駄目だというふうに鳴いてる
   しぜんと
   涙がさそわれる

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一人でのブラリ旅を、

2022-09-27 06:41:29 | 日記
快晴。
湿度、52度。
気持ちのいい一日でした。

夏の季節に着るべく、何枚かの夏物を取り出しやすいロッカーに移して置いたのですが、殆ど袖は通しませんでした。
コロナ旋風以来、外出は自粛していた私です。
日々必要な食料などを買いにスーパーなどへは行きますが、以前に比して回数も少なく、店内滞留の時間もかなり短くなっています。
特に、ハウジングセンターなどへ行った時には、店内を見て歩き、便利なモノが発売されていたりしますと、眺めすがめつ、の品定めを結構楽しんでいたものでした。
若い頃から通っている教会の礼拝は、よほどのことが無い限り出席していました。
その帰りの時間帯は、気に入りの茶店で軽い昼食を取り、その後、デパートや書店を覗いたりして、心も自由な時間を味わっているのが日常だったのです。
コロナ以来、高齢で持病のある私は教会礼拝も、自宅での家庭礼拝に切り替えさせて頂いておりますから、外出回数は半分どころか1/5程度に減少してしまったでしょうか。

コロナの新規感染者は、減少傾向にはありますが、数値は高止まりですし死亡者数は増加しています。
死亡者の多くは高齢者の模様。
となると、またまた自粛となりそうな私です。
でも、ここに来て私なりのウイズコロナを生きようと意を固めました。
まずは、教会礼拝へ。
せめて、月一回でも。
わざわざ人混みの場所に出かけることはしなくとも、せめてコロナ以前の態様に戻そうと。
そうしないと、心身が劣化し「老人性コロナフレイルに陥ってしまうからです。

袖を通すことの中った、夏物(外出着)を、ベランダに出して日光と風に当ててロッカーへしまいました。
来年は 着るぞ!

近くに住む長女が、県民割を利用した一泊の温泉行を勧めてくれました。
自分達も、利用して来て、手頃感を覚えたので薦めてくれた模様です。
温泉地まではクルマで送迎してあげる、とのこと。
「なんだったら、抗体検査を受けるから・・・」
と。ありがとう、です。
でも、今一番行きたいのは、近場であっても一人でのブラリ旅。
長女には、〈考えてみる〉との返事はして置きました。

   『はじめての町』
              茨木のり子
   はじめての町に入ってゆくとき
   わたしの心はかすかにときめく
   そば屋があって
   寿司屋があって
   デニムのズボンがぶらさがり
   砂ぼこりがあって
   自転車がのりすてられてあって
   変りばえしない町
   それでもわたしは十分ときめく
   ・・・・・・中略・・・・・・

   そうしてわたしは好きになる
   日本のささやかな町たちを
   水のきれいな町 ちゃちな町
   とろろ汁のおいしい町 がんこな町
   雪深い町 菜の花にかこまれた街
   目をつりあげた町 海のみえる町
   男どものいばる町 女たちのはりきる町
         (谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』より)

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コスモスが咲いて、ブドウを食べて。

2022-09-26 06:49:30 | 日記
日曜日でしたので、先週に倣って一人での主日礼拝を自宅でいたしました。
ここに来て、朝晩はかなり涼しくなりましたので過ごしやすくなりました。
今日は朝から青空が広がっています。
秋の空。
天高く・・・の空。
朝、窓を開け、背伸びをして深呼吸を三回しました。
肺だけではなく全身がリフレッシュされました。

午後からは散歩へ。
日射しがまだ強いので日傘をさして、農道をテクテクと。
日傘と言えば、以前、ひ孫が通う幼稚園前の道路を歩いていた時、園庭で遊んでいた一人の女の児が近寄ってきて、
「おばちゃん、傘、買ってもらったの?」
と、私に訊ねたことを思い出しました。
とっさに、「そうよ」と私は答えました。
子どものアタマでは、雨も降っていないのに傘をさしているからには、きっと新しい傘を買ってもらったので、誰かに見てほしくてさしているのだろう、と推測したのでしょう。
幼い者の発想は新鮮で楽しくなります。
垢がついていない採れたての「思い」です。
詩を内包していますから。

そんなことを考えながら歩きました。
コスモスがあちこちに咲いています。
気取らない私の大好きな秋の花。
コスモスが咲けば、もう 秋です。
日中はまだ暑さが残っていても 秋。
秋が、そこここに ほらほら。
小流れの水音にも、風の気配にも。
花言葉は、その色によって異なりますが、「調和」とか「乙女の純潔」とか。
コスモス「cosmos」は、英語や古いギリシャ語(kosmos)で「宇宙」を意味しているとのこと。
様々な謂れはある様ですが、優しさの中に壮大な宇宙を秘めているのでしょう。
花であれ動物であれ、「いのち」は、宇宙の内に存在していますから。

近所にあるブドウ園から、今年初物のブドウを買ってきました。
先日、長男が送ってくれたシャインマスカットなどではありません。
品種名は、良く分かりませんが、多分「ナイヤガラ」と呼ばれている種類かと。
ひ孫たちは、こうした昔からある品種のブドウよりも、マスカットの方を好みますので、買い求めて届けたりは致しません。
連れ合いと二人、存分に食べて季節を味わいます。
味わいの中には幼い頃の懐かしい記憶も入っていますので、記憶も咀嚼いたします。

本日、晴でした。
コメント (2)
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