ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

いさかい

2024-08-30 13:52:29 | 日記
招からざる客。
台風10号は、ゆっくりゆっくり進んでいます。
早く過ぎ去ってほしい。
こちら側の願いなどを無視しているように見えますが、これもまた地球自身の自浄作用なのかもしれません。
でも、とにかく早く去ってほしいと願っています。
テレビは、どの局も台風関連の情報がメインに流されています。
当然なこととは言え、ガザやウクライナの戦火のニュースなどは少々影が薄れてしまっていて。
自民党の総裁選挙のことなども・・・
居住地周辺は、このところ雨模様(にわか雨)の日が続いていますので、外出もままならず、昼食を済ませテレビから流れる災害のニュースなどを目にしながらぼんやり過ごしている私です。
こうした日は、私ども老夫婦の心情も、いささか不安定となり諍いも生じやすく。

谷川俊太郎さんの詩集などを開いています。
台風からは、かなり離れれていますのに、時折、激しい雨が通り過ぎて、開けて置いた窓のカーテンを濡らしたりしています。

  『せんそうしない』
   
   ちょうちょと ちょうちょは せんそうしない
   きんぎょと きんぎょも せんそうしない
   くじらと くじらは せんそうしない
   すずめと かもめは せんそうしない
   すみれと ひまわり せんそうしない
   まつの き かしの き せんそうしない
   こどもと こどもは せんそうしない
   けんかは するけど せんそうしない
   せんそうするのは おとなと おとな
   じぶんの くにを まもる ため
   じぶんの こども まもる ため
   でも せんそうすれば ころされる
   てきの こどもが ころされる
   みかたの こどもも ころされる
   ひとが ひとに ころされる
   しぬより さきに ころされる
   ごはんと ぱんは せんそうしない
   わいんと にほんしゅ せんそうしない
   うみと かわは せんそうしない
   つきと ほしも せんそうしない
       『そんなとき 隣に詩がいます』 
         鴻上尚史が選ぶ谷川俊太郎の詩より

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「私は自民党員ではありませんから・・・」

2024-08-21 11:28:57 | 日記
暑い。
とにかく暑い。
この暑さ、いつまで続くのでしょうか。
お盆も終わり、日暮れが日を数えるごとに早くなってきています。
それなのに秋は来ないのでしょうか。
台風7号は予想されたほどの被害はありませんでした(私の居住する地域に限ったことですが)。
ニュースでも、さほどの被害は報じられませんでした。
ありがたいことです。
気象庁の長期予報によれば、9月も10月も気温が高いとか。
私が87年間過ごしてきた春夏秋冬の違いはなくなってしまうのでしょうか、怖い気がします。
暑い日はクーラーを昼も夜もつけて(エアコンはあまり好きではありませんが)過ごしています。
とてもとてもクーラーなしでは過ごされる気温では無いからです。
雨の降り方も線状降雨帯などと言う言葉が頻繁に出てきて地域的な豪雨をもたらす・・・
自然が凶暴性を帯びてきたのかしら、そんな不安にさえさいなまれそうです。
街を歩きますと、襟元に防暑具をつけた人がたくさんいます。
こうした状況が常態化することになるのでしょうか。
話は変わりますが、東京地方でスーパーの米売り場に品物がなくなっている、そんなことが報じられました。
南海トラフに係る注意報の発信等があって、お米などを水と共に買い求めたと言う人も多いようですが、昨年の猛暑による米の不作が影響しているとも言われています。
すぐにはお米が無くなったりはしないでしょうが、こうした天候が続けば心配な話です。
自民党の総裁選が華々しくイベント化されています。
もし街頭で「あなたはどう思いますか」と尋ねられたら、「私は自民党員ではありません。どなたがなったにせよ、自民党としての政策をしっかり打ち出していただきたいものです。私が関わるのは国政選挙でしかありませんから」そう述べたいと思っています。
冬、防寒着を着たり、暖房を入れて暮らすように、夏も「防暑着』や冷房が生きていくのに欠かせないことになってしまうのでしょうか。そしてもっともっと心配な事は食べ物です。
世界的な飢饉がやってくるのではないか、そんな不安です。
ここ数年で、と言うことではないでしょうが、まずは経済的に弱い国が犠牲になっていくのかもしれません。
政治家はこの辺をしっかりと捉えて、100年の計を建てて欲しいものです。
音声入力ですと変換ミスが多発。
システムのミス?
いいや、発音の訛りです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人はパンのみに・・・』

2024-08-17 08:31:59 | 日記
近隣に住む孫のSがやってきて、子供たち(私のひ孫)と一緒に田んぼアートを見に連れて行ってくれました。
田んぼアートを見るのは久しぶり。
それに、賑やかなひ孫達と一緒に行くのはとてもとても楽しいものでした。
私の家に戻ってきて昼食をし、それから3時間ほどひ孫達を私と連れ合いとで預かったのです。
私にとって8月は平和を考える月です。
この幼いひ孫達になにがしかの平和に関するメッセージを伝えたくて、米倉斉加年さんの『おとなになれなかった弟たちに・・・・』と言う絵本を読み聞かせました。
小学校二年生のUちゃんには、少々難しいかなと思いながら。
本の内容ですが、少年は、戦時中、食糧難の時代、弟が可愛くて可愛くて仕方がなかったにもかかわらず、お腹が空いて弟のミルクを、それもたった一つの弟の生きる命の綱であるミルクを空腹に耐えきれず盗みのみしていたのでした。
その味はきっと、後ろめたく苦かったことでしょう。
後悔と一緒に涙ながらにお兄ちゃんは飲んだはず。
食べ物がないと言うことについて、今、豊富な食べ物に囲まれているひ孫のUちゃんには、そうしたひもじさは理解できなかったと思います。
でも、かわいい、かわいい大事な弟であるにもかかわらず、お腹が空いて弟の食べ物のミルクを飲んでしまった切なさは、多分、いやきっと伝わったのだと思います。
うるうるした瞳になって聞いていましたから。
Uちゃんの3歳違いの妹は 、お姉ちゃんに甘えるのが大好き。
でも、わがままをお姉ちゃんに言うことが多いのです。
Uちゃんは、お姉ちゃんだからと言って我慢をしているのですが、時々、堪忍袋の緒が切れて喧嘩になります。
でも、泣きながらUちゃんにすがりついてくる妹を抱きしめるUちゃんです。
きっと、泣きながら弟のミルクを飲んでしまう切なさはわかったのではないでしょうか。
難しい話はわからなくとも。
人間の持つこうした悲しさや愛おしさ、これを知ってほしいと私は願っています。
『人はパンのみに生きるにあらず』と聖書には書いてあります。
それはパンが必要でないと言うことではありません。
でも、切ないまでに人間にとってパンは必要なものです。
これから大きくなっていくUちゃん、平和を願う人間になってほしいと、ひい婆ちゃんは心から願っています。
お盆も終わりました。
秋の気配はまだでしょうか。


        

        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敗戦記念日

2024-08-15 21:34:07 | 日記
敗戦記念日でした。
終戦記念日とは言いたくない私です。
毎年行われる地域の盆踊りを観に行ってきました。
34歳になった孫が櫓の上で太鼓を叩いています。
ひ孫のUちゃんたちは出店で何かを買ったりしていて・・・
平和な光景です。
世界中が、平和になってほしいと強く願い求めます。
7年前の8月15日にアップした記事の一部を再掲いたします。

『戦争とは そういうものです。』
NHKスペシャル「本土空襲 全記録」(2017.8.12)を観ました。
題名通り本土空襲の回数・犠牲者数等を可視化した全記録です。
もちろん、「全記録」とはいっても、犠牲者や、家族の痛み・苦しみは、当然ですが可視化できはしません。
でも、この時期に相応しい いい番組だったと思います。
NHKさんには、時々 もの言いしたいことも多々あるのですが、こうした番組を見ますと、「ありがとうございます」と、言いたくなるのです。

番組中、心に留まった或る兵士の言葉を一部紹介させていただきます。
「B-29」護衛部隊 第7戦闘機集団戦闘員パイロットだった方です。
『日本人が焼け死んだところで 彼らは所詮人間ではなく敵。それが戦争なんです』
『硫黄島では7000人近い仲間のアメリカ兵が殺されました。私は仲間の死体のにおいを毎日嗅いでいたんです』
『敵陣の真っただ中につっこんで、日本人を殺すんだ、という殺意が、私の胸にあったことは確かです』

戦後38年経って、兵士が日本を訪れた時の「言葉」です。
『街で 子どもがピースサインをしてきたとき、戦争とは全く違う気持ちになりました。自分が攻撃した場所には人間がいたということを。そのとき初めて理解したんです“
『ビルの谷間から空を見上げてみると、B-29が 私に爆弾を落とすのが見えるような気がしました。なんだか打ちのめされるように心が痛みました』と。

昭和20年8月14~15日。
アメリカ軍「B-29」出撃は779機。
秋田市への爆撃は14日午後11時48分。
250人が死亡しています。
これは、連合軍にポツダム宣言受諾を日本が通告した後でした。
この晩、疎開先で私たち子どもは眠ってしまいましたが、母は、凄まじい飛行機の爆音を聞いたそうです。
秋田方面へ向かうB-29の爆音だったのでしょう。
翌朝、8月15日。朝食にウドンが沢山出され、私たちは久々に腹いっぱい食べたのです。後日、母が語ったのですが、
〈この敵飛行機の飛び様では、戦争には負ける。日本が どうなるのか先は見えない。せめて、手持ちの食料を、今 子どもたちに腹いっぱい食べさせよう〉
との決意だったとのこと。

本土空襲による犠牲者は 459564人に及んでいます。
私の姉の様に、直接的な爆死でなくとも、防空壕への避難によって、病気が悪化し、死に至った者たちなどを入れれば、もっと犠牲者数は増えるはずです。

証言したアメリカ人パイロットでなくとも、
『それが戦争なんです』
と、今 私も、あらためて訴えたいと思います。
殺し・殺されるという行為は、憎しみの連鎖をもたらし、限りなく残虐に陥ってしまうものですから。

戦争を知っている世代も数少なくなり、語り伝えることも困難になって来た敗戦から79年目のこの日、国際紛争を戦争という愚かな手段に訴えることの無いよう、こうした映像の形で、戦争を知らない世代に伝えたいと、強く強く願っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月6日です。

2024-08-06 09:23:13 | 日記
庭に雀が数羽来て囀っています。
小鳥を眺めていましたら、画家の平山郁夫さんを思い出しました。
8月6日です。
核廃絶を願い祈って、10年前に当ブログにアップした記事を再掲いたします。

【八月六日。「私も小鳥のパーツを」】
広島に原爆が投下された日です。
犠牲になられた方々へのご冥福を 心からお祈りいたします。
二度と核兵器が使われることのない様にとの決意を込めて『合掌』いたします。

画家の平山郁夫さんは、学徒勤労動員の作業中に、広島市陸軍兵器補給廠で被爆しました。
多くの学友を失い、自らも原爆の後遺症に苦しんだそうです。

平山画伯の作品に「広島生変図」という絵があります。
広島の街を焼き尽くす炎、罹災した街の様子、その惨状が平山郁夫という画家の心象と共に、燃え盛る強烈な赤い炎と共に描かれています。
画面上部に描かれている忿怒形の不動明王は、平山画伯の怒りと、悲劇を乗り越えようとする決意なのでしょうか。

私は平山郁夫さんの作品、特に仏教関連の絵が大好きです。
『仏教伝来』を画集で観た時、私は、今すぐに作品に会いたい気持に駆られ、所蔵する佐久市立近代美術館に電話をしました。
会って来ました。
安らぎと、「道」が感じられて、時の経つのを忘れたのは、30年近く前のことです。

JR小海線「甲斐小泉」の駅前にある「平山郁夫シルクロード美術館」には、画伯のアトリエが再現されています。
その部屋にある机の引き出しの中に、幾つもの、幾つものの形の小鳥のパーツが入っていました。

『仏教伝来』
『入涅槃幻想』
『出現』
その他の作品にも、この「小鳥」達が舞っているのです。
作品の中に登場する小鳥たちは、安らぎを希求するシンボルなのかもしれません。
広島で被ばくし、多くの学友を亡くし、ご自分は原爆症に苦しみはしたものの、生きることができた…………。
平山郁夫さんは、逝ってしまった者たちを小鳥の様に羽ばたかせたかったのでしょう、きっと。
そんな思いで、小鳥のパーツを眺め、誰もいない美術館で、一人ジーンとしていたのは、震災と原発事故に遭った三年前の八月でした。

今日、八月六日。
私も、平和を願って、核の廃絶を願って、身近なところ、出来るところから、「小鳥のパーツ」を飛び立たせなければなりません。
合掌。
            (2014年8月6日記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする