ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『数えきれないほど沢山の/平凡なことがあった』

2021-05-31 06:17:11 | 日記
思わずの苦笑い、となりました。
昨日のブログに、「退屈な日常」などと記した私です。
全てではありませんが、ホンネであることも確かです。
今日は、日曜日でしたので先週に倣って一人での家庭礼拝を致しました。
いつもの様に、牧師先生から送信される「週報」に依って聖書の箇所を拝読し、讃美歌も歌います。
そして、やっぱり送られて来る「牧師説教要旨」を、しっかり読ませて頂きます。
本日の「要旨」には星野富弘さんの、詩が載せられておりました。

    『日々草』  
                 星野富弘
    今日も一つ 悲しいことがあった
    今日もまた一つ うれしいことがあった

    笑ったり 泣いたり 望んだり あきらめたり
    にくんだり 愛したり

    そしてこれらの一つ一つを
    柔らかく包んでくれた
    数えきれないほど沢山の
    平凡なことがあった
          (花の詩画集 “鈴の鳴る道”より)


日常の平凡なことが、「できる」ということは恵みのはず。
痛かった足が治って、普通の歩行ができて日常的な事がらが楽に出来た時などは、「日常は退屈」などとはクチにしませんでした。
動けることが嬉しくて、感謝したはずでした。
それなのに、ちょっと忙しくなって自分の時間が無くなったりしようものなら、まるで大損でもしたように騒ぎ過ぎるのは如何なものかと。
反省、そして苦笑いの反省です。

このところの気温の変化に体がついていけません。
不調とまでは言えませんが快調とは言えない体の具合です。
ぼんやりと、満開になっている庭にツツジを眺めて過ごしながら、星野富弘さんの次の詩も思い起こしました。

    風は 見えない 
    だけど 木に吹けば 
    緑の風になり 
    花に吹けば 
    花の風になる 
    今 私を
    過ぎていった
    風は 
    どんな風に 
    なったのだろう   
           (詩画集「風の詩」より)
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〈日常って 退屈〉

2021-05-30 06:20:36 | 日記
近隣にあったJA直売所が無くなって3か月ほど経ちました。
東北自動車道のインター近くに、大型の「道の駅」風な店舗が開店しましたが、買い物に徒歩で行くのには遠すぎます。
公共の交通機関のバスも休日限定で一日4往復程度ですから、今までの様に、朝取りの新鮮な野菜を手に入れにくくなってしまいました。
近くにいる長女が、たまに買い物をして来てくれるのですが、自分が見立てて買うようなわけにはいきません。
数日前に、フキとワラビを買ってきてもらいましたが、残念ながら新鮮さに欠けていました。
フキは、筋は取ったものの、いつもの様な食感からは程遠く、ワラビは、少々臭気が出ていました。
一度だけ食しましたが、残りは捨てることに。
何だか、とても残念と言うより不快な気分に陥りました。
どちらかというと、野菜を豊富に食べる生活をしていますので、力が抜けそうになりそうです。
でも、食生活は健康の基です。
コロナ禍が治まったら、長女のクルマに乗せて貰って、自分が吟味した素材を買う事にいたします。

今まで、取り外さなかったコタツを片付けました。
コタツカバーは朝早く洗って干しましたので、さっぱりと乾きました。
「秋の終わりまで、お休み」
と、言って押し入れに収納。

日常って、こうした事の連続です。
今のところ老夫婦二人で、日々を過ごせることは感謝以外の何ものでもありません。
でも、〈日常って 退屈〉、そう思う事もしばしばです。
どこか、遠くへ行きたいとか・・・
何か、やりたいとか・・・
家事、抛りだしたいとか・・・

   『ぎらりと光るダイヤのような日』
                  茨木のり子
    短い生涯
    とてもとても短い生涯
    六十年か七十年の

    お百姓はどれだけ田植えをするのだろう
    コックはパイをどれくらい焼くのだろう
    教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

    子供達は地球の住人になるために
    文法や算数や魚の生態なんかを
    しこたまつめこまれる

    それから品種の改良や
    りふじんな権力との闘いや
    不正な裁判の攻撃や
    泣きたいような雑用や
    ばかな戦争の後始末をして
    研究や精進や結婚などがあって
    小さな赤ん坊が生まれたりすると
    考えたりもっと違った自分になりたい
    欲望などはもはや贅沢品となってしまう。

    世界に別れを告げる日
    人は一生をふりかえって
    自分が本当に生きた日が
    あまりにも少なかったことに驚くであろう

    指折り数えるほどしかない
    その日々のなかの一つには
    恋人との最初の一瞥の
    するどい閃光などもまじっているだろう

    <本当に生きた日>は人によって
    たしかに違う
    ぎらりと光るダイヤのような日は
    銃殺の朝であったり
    アトリエの夜であったり
    果樹園のまひるであったり
    未明のスクラムであったりするのだ。
           (「茨木のり子詩集」谷川俊太郎選 より)

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『密ですよ』

2021-05-29 06:20:19 | 日記
雲が広がることもありましたが、晴の明るい天候の一日でした。
市営の公園のバラが咲いたとのことですので、観に行こうかと思いましたが、今日は止めました。
冷蔵庫内に残っている野菜が傷んで捨てることなどしないように点検をしたり、手入れをしたりしているうちに時間が過ぎてしまったからです。

バラの季節です。
リルケは、
   ただ一輪の薔薇 それはすべての薔薇
   そしてまたひとつの薔薇
   この花なしにどうして語れよう
   私たちの希望であったものを
            (リルケ『薔薇』より)

と、詩っています。
『ただ一輪の薔薇 それはすべての薔薇』
のフレーズに出合って、感動と言うより驚きを覚えた若い日のことなどが思い出されます。
沢山の薔薇が競う様に咲き誇っているバラ園へ行っても、このフレーズはいつも脳裏から離れません。
「バラ一輪」が内包する存在そのものの豊潤さ。

来週になれば、コロナワクチンの第一回目の接種が受けられます。
ワクチン接種が100%感染予防になるわけではありませんが、感染や重症化のリスクを緩和してくれることは確かですから、接種を受けたら、まずは少しずつ行動半径を広げていきたいと思っています。
今は、「自粛」どころか「萎縮」ですから。

数日前、ひ孫のUちゃんが、玄関先だけでしたが顔を見せてくれました。
フィジカルディスタンスは保ちながら、幼稚園の模様などを話してくれました。
年中組に進級したUちゃんのクラスは「バラ組」とのこと。
会うたびに語彙が豊富になり、表現力にも広がりが出て来た様です。
形容詞、形容動詞なども交じり、時系列もかなりしっかりしてきました。
幼い者の成長には目を見張るばかりです。
ありがたいことです。
再来年は、近くの小学校へ入学します。
Uちゃんのパパやママが通った学校です。
20数年前、パパ(私の孫)のポスター(交通安全)が貼ってある電柱を何回も何回も見に行ったものでした。

Uちゃんは、帰りしなに、私に右手の肘を突き出しました。
掌は触れずに、お互いに肘を突き合わせてのご挨拶でした。
本当は、髪を撫でて、頬っぺたにも触れて、バイ バイしたいところです。

今朝の毎日新聞に「サラリーマン川柳の主な優秀句」10句が載っていました。
その中の1句です。
   ☆ 抱き上げた 孫が一言 密ですよ
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私自身への「訓」を書かねばならないかも。

2021-05-28 06:12:10 | 日記
NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』、毎日楽しみに観ています。
ヒロイン、百音(モネ)役の清原果耶さんはあまり存じ上げませんが、夏木マリ・内野聖陽・西島秀俊・・・等々、私の好きな方たちが沢山出演しています。
それに、舞台は東北地方の宮城県。
私の住む県ではありませんが、なりふり構わぬ地元意識が出て来て、ついつい応援に力がこもりがちです。
特に夏木マリさんは私にとってファンに近い方。
ドラマの中とは言いながら、モネが子ども達を引率して山中を案内している時に思わぬ雷雨に遭遇し、子ども達の安全を確保するために奔走しますが、事務所内でサヤカ(夏木マリ)は差し迫って必要な連絡を過不足なく電話で指示、依頼するのです。
そうした姿を、私を惚れ惚れと眺めていました。
あんな高齢者になれたらなぁー、と、ため息ひとつ。

森林事務所の壁に貼ってある「伊達家の家訓」
  仁に過ぐれば弱くなる
  義に過ぐれば固くなる。
  礼に過ぐればへつらいとなる。 
  智に過ぐればうそをつく。
  信に過ぐれば損をする。

私も、仙台は松島のお土産屋さんで求めた毛筆で書かれたこの「家訓」を持っていますので懐かしく思い出しました。
この「家訓」、人の世を生きていくための知恵かも知れません。
 ☆ 思いやりが過ぎれば、自分の意見などクチに出せなくなったり、
 ☆ 「正しい」ことばかり強調すれば、にっちもさっちも行かない壁に
   ぶち当たったり、
 ☆ 人を立てすぎるのは、へつらいにもなったり、
 ☆ 利口な者は、巧みなウソをついたり、
 ☆ 人や世間様を信用し過ぎると、だまされたり、・・・等々。

一日中雨模様でしたので散歩へは出られませんでした。
低気圧が近づきますと「喘息」を持っているわけではないのですが、鼻が詰まったり、息苦しさを覚えたりします。
こんな日は怒りっぽい私になっています。
自覚はしているのですが、連れ合いに、「皮肉を込めたコトバ」などぶつけてしまうのも、こうした天候の日が多いのです。
私自身への「訓」を書かねばならないかも。
                〈ゴマメのばーば〉
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オリンピック・パラリンピック出来るの?

2021-05-27 06:15:19 | 日記
スーパームーン、皆既月食が見たくて夕食の後片付けを大急ぎで済ませました。
そして待機していましたが残念、雲が広がっていてダメでした。
何か損をしたような気分に。
YouTubeで実況が写されていましたが、空を見上げて見たかったので、映像は観ませんでした。

今日は、6週間に一度の割で通院している病院へ行き投薬を受けてきました。
「何か変わったこと等はありますか」
との医師の問いに、
「いいえ、何もありません」
と、いつもの様に応えた私です。
「じゃぁ、お薬、同じく出しておきますね」
「お願いします」
次回の診察の予約日を決めて、診察は、お終いに。
薬局で、降圧剤・甲状腺機能低下症の治療薬等を頂いて帰って来ました。
いつもの事ですが、何か、しっくりしない〈お医者〉との付き合い方です。
病院や、医師が悪いわけではありません。
問題は私の側にあるのです。
初期の「肺腺ガン」との指摘を受けてから、ガンの治療は受けていない私です。
医師としても、半年に一度ほどの検査をするだけですから、頗る対応し難い患者であることに間違いありません。
コロナ騒動が治まったら、今後の通院の在り方について、方向性を出さなければいけないと考えています。
特段の症状が無いのに、何故治療(副作用を伴う)をしなければならないのかと言う疑問を抱いている私です。
病巣が広がり、いずれ症状が出て来て死に至る・・・かもしれませんが、レントゲン検査による病巣が発見されてから、ほぼ2年経過しました。
治療をせずに放置すれば余命は1年半とのことでしたが、すでに、その期間は経過しています。
胸部の映像の変化は無し。自覚症状も無し。
いずれ、老化による身体の機能劣化の方が先に訪れる様な気がしてならない我儘な私です。

《米国務省は24日、日本での新型コロナウイルスの感染拡大を受け、日本を米国民向けの海外渡航警戒レベルで最も高いレベル4に引き上げ、「渡航してはならない」と勧告した。これまでは「渡航再検討」のレベル3だった。
米国オリンピック・パラリンピック委員会(USOPC)は24日、7月開幕予定の東京オリンピック・パラリンピックへの米国代表の出場について影響はないとする声明を出したが、米国以外の国も含め、開催を不安視する声が強まる可能性がある。》(毎日新聞 5/26)

と、報じられていますが、なんとも分かりにくい発表です

加藤勝信官房長官は、この発表について、「必要な場合の渡航まで禁止されているものではない」とした上で、東京オリンピック・パラリンピック開催について「今回の判断と、米国選手団の派遣は関連していないと説明を受けている」と述べた、とか。
こちらも、よく分かりません。
政治的な思惑の中での発言は、難しくて。

こうした状況下で、オリンピック・パラリンピック出来るの?
私の問いは、それだけです。
             〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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