ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「平成の姥捨て山」へ、自らが。

2015-03-18 06:47:01 | 日記
≪障害を持つ54歳の長男を80歳の母親が殺めた≫
と報じられました。
悲しいニュースです。
生まれつき重い知的障害を持ち、食事も排泄も自力でできなかったという長男。
「疲れた。私が死んだら息子は生活できないので、今のうちに天国に連れて行ってあげようと思った」
と語る80歳の母親の言葉は、切ない限りです。
人を殺める行為が許されはしませんが、この老いた母親を責めることなどできません。

80歳。
母親自身が介護されても不思議ではない年齢です。
夫も認知症で施設に入所中、一人で長男の介護にあたっているのは、
日々、どんなにか大変なことだったでしょう。
何とか、行政が手を差し伸べられなかったものでしょうか。

《『姥捨山』という伝説が各地に残されています。
哀しい伝説です。
生産性の低い村社会で、一定の数の人間しか生きられないとすれば、老いた者たちが
去って行くほかはなかったのでしょう。
 
昔むかし、姥捨山に詣でたおじぃや、おばぁは、この世に別れを告げるとき、
薄れて行く意識の中で、何を思い、何を祈ったのでしょう。
幼いもの達が、元気に育つ姿を夢みたのでしょうか。
まだ村に残っているおばぁや、おじぃのことを思いだしたのでしょうか。
梢の先に架かった弓張り月、遠くを流れる谷川の音、風の声。
それとも、若かったころ買って貰った晴れ着の花模様。
早苗の済んだ田んぼを渡る涼やかな風。
祭りの太鼓。
お山に入ってすぐに雪が降り積もると、人々は、詣でたおじぃや、おばぁを幸せ者と
称したそうな。
失われて行く感覚の中で、手足に積もる雪の冷たさだけが、確かなものだったのでしょうか。
こうした哀しい事実の傷口から血が流れ出さないようにと、いつの時代でも、
人は、人々は、 物語を紡いできました。
姥捨山は死へ赴く山ではなく〈詣でる山〉と名付けてきました。

作家の遠藤周作氏は、
『人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです』(遠藤周作「沈黙の碑」から)
と、言っています。
『若葉がこんなに柔らかで、風が光っているのに、人は、哀しいのです』
私は、独り、そう呟いています。》
と、以前「F紙」に書かせていただきました。

息子を殺め、息子を捨てた母親が、心安らかなはずなどないと思います。
老いた母親に、手を差し伸べられなかった私たちの この社会。
これは平成の、一つの「姥捨て山」のかたちなのかもしれません。
母親は、息子を伴なって、自らが「姥捨て山」へ赴こうとしたのではないでしょうか。
悲しいことです。
芽吹く季節なのに。
                                   〈ゴマメのばーば〉
コメント (4)
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