『戦艦武蔵』
残骸の映像が、テレビ等で流されました。
船首部分であるとか、
スクリューだとか、
菊のご紋章のあった台座だとか、
専門家は、いろいろ説明をしています。
元乗組員だった方は、
「見たくない映像だ」と言われる方もありました。
「千人以上の将兵が、藻屑と化したのだ」と涙する方も。
また、
「よくぞ、見つけてくれた」と感涙なさる方も。
『戦艦武蔵』『戦艦大和』
太平洋戦争末期、兄たちが誇らしげにその名を語っていました。
そして『戦艦武蔵』は、「レイテ沖海戦」で沈められたのです。
『武蔵』の映像、私も見たくない姿でした。
無残です。
そして、共に海に散って行った千人をこす兵士たちに思いが至って切ないからです。
ただ、合掌するばかりです。
九条の会、初の全国大会が、15日東京で開催され、450人が参加とのこと。
現在進行中の安全保障法制の整備について「憲法9条を根底から覆す暴走」と危機感を募らせ、
意見を交わし合ったと報じられました。
著書『滄海(うみ)よ眠れ』で、ミッドウェー海戦を描いた作家の澤地久枝さんは、
『戦争のできる時代が迫っている。「戦争で得るものは何もない」という経験に学び、
声を上げ続けたい』
と語り、
大江健三郎さんも、
『戦争を起こさせないため努力を続けなければならない。政府は期待できない。
独自の活動を続ける(約7500の)団体に希望は託されている』
と訴えたそうです。
著書『最後の言葉』(重松清・渡辺 考 著)
――戦場に遺された二四万字の届かなかった手紙――
に、激戦地で日本軍将兵が書き遺した「小さな言葉」が、いくつも紹介されています。
同著「戦争は、悲しい」……死にたくないとソロモン戦線で念じ続けた二三歳の無念……
からの抜粋です。
『………戦争は、悲しい。
妹が死んだといっても、世界は変わらぬままだ。
朝になると太陽は輝き、風はやさしく頬をなでる。
………中略………飢えながら我々は行進している。
兵士たちは青白い顔だ。日本刀を杖にして歩いている奴もいる。
前進することは死を意味している。状況は信じられなく最悪のものだ。
撤退命令もなく、我々の命は風前の灯(ともしび)だ。
私は戦争を引き起こした人間が憎く思えてきた』
『南洋の海は泥のように真っ黒だった。
それはあたかも我々の命を吸い込んでしまうように思えてならなかった。
上陸地点に百メートルのところまで近づいた。
しかしそれは敵の射程距離に入ることでもあった。
いつ撃ち殺されてもおかしくなかった』
『戦艦武蔵』
今、その最後の姿を私たちの目に触れさせ、何を訴えようとしたのでしょう。
原爆でなくとも、
戦争という「過ちは、二度と繰り返しません」
と、私は誓うほかないのです。
ところで、自民党の三原じゅん子議員の『八紘一宇』発言には、答弁した麻生財務相でなくとも、
驚きでした。
どの様な言葉に価値と意義を見出すかは人さまざまですが、かつて、日本が、東南アジアへの
侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた言葉です。
『八紘一宇』という言葉が飛び出す国会に、何か恐さを覚えてしまうのは、
戦争を経験した人間のトラウマなのでしょうか。
〈ゴマメのばーば〉
残骸の映像が、テレビ等で流されました。
船首部分であるとか、
スクリューだとか、
菊のご紋章のあった台座だとか、
専門家は、いろいろ説明をしています。
元乗組員だった方は、
「見たくない映像だ」と言われる方もありました。
「千人以上の将兵が、藻屑と化したのだ」と涙する方も。
また、
「よくぞ、見つけてくれた」と感涙なさる方も。
『戦艦武蔵』『戦艦大和』
太平洋戦争末期、兄たちが誇らしげにその名を語っていました。
そして『戦艦武蔵』は、「レイテ沖海戦」で沈められたのです。
『武蔵』の映像、私も見たくない姿でした。
無残です。
そして、共に海に散って行った千人をこす兵士たちに思いが至って切ないからです。
ただ、合掌するばかりです。
九条の会、初の全国大会が、15日東京で開催され、450人が参加とのこと。
現在進行中の安全保障法制の整備について「憲法9条を根底から覆す暴走」と危機感を募らせ、
意見を交わし合ったと報じられました。
著書『滄海(うみ)よ眠れ』で、ミッドウェー海戦を描いた作家の澤地久枝さんは、
『戦争のできる時代が迫っている。「戦争で得るものは何もない」という経験に学び、
声を上げ続けたい』
と語り、
大江健三郎さんも、
『戦争を起こさせないため努力を続けなければならない。政府は期待できない。
独自の活動を続ける(約7500の)団体に希望は託されている』
と訴えたそうです。
著書『最後の言葉』(重松清・渡辺 考 著)
――戦場に遺された二四万字の届かなかった手紙――
に、激戦地で日本軍将兵が書き遺した「小さな言葉」が、いくつも紹介されています。
同著「戦争は、悲しい」……死にたくないとソロモン戦線で念じ続けた二三歳の無念……
からの抜粋です。
『………戦争は、悲しい。
妹が死んだといっても、世界は変わらぬままだ。
朝になると太陽は輝き、風はやさしく頬をなでる。
………中略………飢えながら我々は行進している。
兵士たちは青白い顔だ。日本刀を杖にして歩いている奴もいる。
前進することは死を意味している。状況は信じられなく最悪のものだ。
撤退命令もなく、我々の命は風前の灯(ともしび)だ。
私は戦争を引き起こした人間が憎く思えてきた』
『南洋の海は泥のように真っ黒だった。
それはあたかも我々の命を吸い込んでしまうように思えてならなかった。
上陸地点に百メートルのところまで近づいた。
しかしそれは敵の射程距離に入ることでもあった。
いつ撃ち殺されてもおかしくなかった』
『戦艦武蔵』
今、その最後の姿を私たちの目に触れさせ、何を訴えようとしたのでしょう。
原爆でなくとも、
戦争という「過ちは、二度と繰り返しません」
と、私は誓うほかないのです。
ところで、自民党の三原じゅん子議員の『八紘一宇』発言には、答弁した麻生財務相でなくとも、
驚きでした。
どの様な言葉に価値と意義を見出すかは人さまざまですが、かつて、日本が、東南アジアへの
侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた言葉です。
『八紘一宇』という言葉が飛び出す国会に、何か恐さを覚えてしまうのは、
戦争を経験した人間のトラウマなのでしょうか。
〈ゴマメのばーば〉