次姉の命日でしたので、一人で お墓参りに行ってきました。
以前のブログにも記しましたが、次姉は、今から72年前の昭和20年、終戦を見ることなく、
その3か月前に亡くなりました。
行年20歳です。
病死ではありますが、アメリカ軍の市街地への空爆に遭遇し、泥水の溜まった防空後へ
避難したため、絶対に冷やしてはいけない体を冷やしてしまい、その後ひと月を待たずに
死んでしまったのでした。
ですから次姉については、〈関連爆死〉と呼びたいのです。
先だっては長姉が96歳で逝きました。
長姉も、20代で連れ合いに先立たれ、苦労をしましたが、老いてからは、息子夫婦に良く
看取られて、幸せだったと思っています。
私たちは6人の兄弟姉妹ですが、私を含めて残り二人となりました。
淋しさは覚えますが、どこか懐かしさに似た想いに充たされる昨今なのは、
あちらの世界と、こちら側を隔てる柵が、あいまいになってきたせいかもしれません。
お花を供え、線香を くゆらせ、合掌。
お饅頭も、一個供えました。
お饅頭を供えたのは、砂糖など手に入るすべもない終戦間近のこと、母と姉が、
蒸かしたサツマイモを裏ごしに掛け、それを餡として小麦粉を捏ねた生地で包み、
お饅頭風に蒸しあげてくれたことを、思い出したからです。
私たち幼い兄弟の気持ちを引き立たせるために、姉は、
「美味しいね おいしいね これって おいしいね」
と、食べている間中、何回も 何回も言っていたのです。
そんな姉の気持ちも知らず、繰り返される姉の「おいしいね」が疎ましくて、
「うまくない!」と、言い捨てた私でした。
〈あの時は、ほんとに 美味くなかったよ、だってアンコなのに、甘くないんだもの〉
と、姉に72年経っての言い訳を、お墓の前でしました。
先だって逝った長姉は、東京都内の巣鴨にある納骨堂に収められます。
3歳違いの次姉は、磐梯山と安達太良山が望める高台にある このお墓に
入っています。
父や母 祖父などと一緒です。
姉の遺骨が納められる巣鴨までは、ここから200キロちょっと離れています。
〈でもさぁ、そちらでは、距離なんて問題ないものね〉
〈齢も 三つしか違わなかったんだし、いっしょに楽しくやれば〉
と、語りかけました。
墓前を後にして、墓地の緩やかな階段を下りて来ました。
眼下を、新幹線(多分 あれは「あきたこまち」)が、走り去りました。
と、
《転ばないで 帰んなさい》
と、聞こえたような
長姉だったものか
次姉だったものか
それとも 母
いいえ、風の声だったかも。
PS 連れ合いのクルマの免許証返納が迫ってきましたので、出かけて参ります。
ブログは1週間ほど オヤスミ。
以前のブログにも記しましたが、次姉は、今から72年前の昭和20年、終戦を見ることなく、
その3か月前に亡くなりました。
行年20歳です。
病死ではありますが、アメリカ軍の市街地への空爆に遭遇し、泥水の溜まった防空後へ
避難したため、絶対に冷やしてはいけない体を冷やしてしまい、その後ひと月を待たずに
死んでしまったのでした。
ですから次姉については、〈関連爆死〉と呼びたいのです。
先だっては長姉が96歳で逝きました。
長姉も、20代で連れ合いに先立たれ、苦労をしましたが、老いてからは、息子夫婦に良く
看取られて、幸せだったと思っています。
私たちは6人の兄弟姉妹ですが、私を含めて残り二人となりました。
淋しさは覚えますが、どこか懐かしさに似た想いに充たされる昨今なのは、
あちらの世界と、こちら側を隔てる柵が、あいまいになってきたせいかもしれません。
お花を供え、線香を くゆらせ、合掌。
お饅頭も、一個供えました。
お饅頭を供えたのは、砂糖など手に入るすべもない終戦間近のこと、母と姉が、
蒸かしたサツマイモを裏ごしに掛け、それを餡として小麦粉を捏ねた生地で包み、
お饅頭風に蒸しあげてくれたことを、思い出したからです。
私たち幼い兄弟の気持ちを引き立たせるために、姉は、
「美味しいね おいしいね これって おいしいね」
と、食べている間中、何回も 何回も言っていたのです。
そんな姉の気持ちも知らず、繰り返される姉の「おいしいね」が疎ましくて、
「うまくない!」と、言い捨てた私でした。
〈あの時は、ほんとに 美味くなかったよ、だってアンコなのに、甘くないんだもの〉
と、姉に72年経っての言い訳を、お墓の前でしました。
先だって逝った長姉は、東京都内の巣鴨にある納骨堂に収められます。
3歳違いの次姉は、磐梯山と安達太良山が望める高台にある このお墓に
入っています。
父や母 祖父などと一緒です。
姉の遺骨が納められる巣鴨までは、ここから200キロちょっと離れています。
〈でもさぁ、そちらでは、距離なんて問題ないものね〉
〈齢も 三つしか違わなかったんだし、いっしょに楽しくやれば〉
と、語りかけました。
墓前を後にして、墓地の緩やかな階段を下りて来ました。
眼下を、新幹線(多分 あれは「あきたこまち」)が、走り去りました。
と、
《転ばないで 帰んなさい》
と、聞こえたような
長姉だったものか
次姉だったものか
それとも 母
いいえ、風の声だったかも。
PS 連れ合いのクルマの免許証返納が迫ってきましたので、出かけて参ります。
ブログは1週間ほど オヤスミ。