我が家の柿の木は今年一個も実をつけませんでした。
梅雨が上がったころ一個の青柿が地面に落ちていましたから一個、実を付けたことは
確かです。
この季節になっても、葉っぱが元気過ぎるくらいに存在感を示しています。
朝晩冷え込む様になって来た昨今は、朝、落ち葉が目立ちはしますが、〈何だか変な〉
感じなのです。
この土地に越してきて30年。
その際に以前住んでいた家の庭から運んで来て植え替えたものですが、年によって出
来、不出来はあっても一個も実らないことなどありませんでした。
やっぱり、異常気候だったのでしょうか。
元徴用工訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を出してから1年を迎えま
した。
現在の状況は、韓国にとっても日本にとってもいい事ではないと思います。
韓国内でも様々な動きも出て来てはいるようですが、何とか友好の橋が架けられない
ものでしょうか。
『壁ではなく橋を』と言われたのは、ローマ法王フランシスコさまでした。
台風や大雨の被害の復興にも人と人の橋や、援助という橋が必要です。
韓国との間にも「橋」を架けたいと願っています。
【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その7 】
【パリの灯は見えるか】
『長生きすりゃいいってもんじゃない』(日野原 重明・多湖 輝 共著)の中に
〈家も生き方も「段差」をなくすな〉という章があった。
もろ手を挙げて賛成。
加齢により、身体機能に低下傾向の見られる私にとっては、まことに前向きな助言、
足を一歩前に踏み出せる力ともなる。
心身の機能がおちてくる年齢ともなれば、まずは心身の安全を保つことが第一であ
ろう。
しかし、そのことが目的になってしまうと、むしろ心身の退化を呼び込んでしまう
危険性がある。
あれもだめ、これも危険とばかり言っていると、何にも手が出せなくなってしまい
かねないし、生活の質も侘びしく色あせてしまいそうだ。
歳を重ねれば、すべての身体機能が劣化してくるのは自明な事であり、また、生き
るとは、老若を問わず、常に心身の危険と隣り合わせという事であろうから、若者
より平均余命の短い高齢者の私などは、むしろ何事にも冒険してみた方がいいので
はないか、と常々考えている。
こたつのなかでテレビをつけ、好物の〈固焼き醤油味せんべい〉などを、毎日ボリ
ボリとやっていたら、数週間でメタボ予備軍となってしまいそうなので、私は、毎
晩寝る前に体重計にあがり、数値を記録(“NHK・ためしてがってん”で勧めてい
た)している。そして、数値が上昇傾向になると‘もう、明日からは間食を止めよう’
と心に誓う。
だが、次の日には早々と好物の誘惑に負けてしまい、“明日から 明日から。”と実
行の先送りとなってしまっている情けない日常ではある。
〈家も、生き方も「段差」をなくすな〉という生き方に、もろ手を挙げて“賛成”と
言ったものの、日々の暮らしの中では、ついつい安易な方を選び取ってしまいがち
なので、せいぜい、心の在り様だけは、『段差はそのまま』多少のハードルと共に
生きたいと願っている。
しかし、若者や壮年の方に交じって何かを習得しようなどという際は、これまた恥
を忍ぶ、冷や汗をかく、侮りの視線に耐える、等々、面白からぬことも覚悟しなけ
ればならない。
数か月程前、パソコン教室(『誰にでも出来る!初心者歓迎』というキャッチフレ
ーズにつられて申し込む)に数回通ってみた。
授業中は、耳も目も私なりにフル回転させていたのだが、終始汗のかきどおし。
持って生まれた気の強さで何とか終了させて頂いたが、インストラクターにとって
は、かなりハタ迷惑な生徒であったことだろう。
良く聞いて! 良く見て! と何回も何度も注意される世話のやける生徒であった。
耳も目も記憶力も、そして用語も、若い人たちについていけなかったのだ。
でも、おかげさまで何とかこうして文章も打て、メールを楽しみ、インターネット
であれこれと情報を得る事も出来、楽しみが一つ増えて、今、心から喜んでいる。
遅ればせながら、あの時教えて下さったインストラクターの女性の方に「ありがと
う おかげさまで」と申し上げたい。
パソコン教室に通っていた数日間、私は〈聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥〉と、
親から教えられた諺を胸に、目薬をさしながらのガンバリだった。
久々の、心弾むガンバリでもあった。
歳を重ねれば、覚える事も少々、いや、かなり覚束なくなっては来るのだが、日々
の暮らしを楽しむ為には「聞く」ことに恥じ入ることなど全く無用。
若者の脳細胞と比べることなど論外。
差が有って当然。
鮮度が違うのだ、鮮度が。
何回も、何度でも聞いてみるのが私のスタンスだ。
【適度な危険は人生を豊かにする】と言ったのは、大西洋横断無着陸飛行のリンド
バーグ。
リンドバーグのようにはなれないが、さあ、恥をかく準備は整った。
かなり老朽化した翼だが、飛び立とう。
『パリの灯は見えるか!』
(エッセー集「春が立ちますから」より)
※ この原稿は、昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
1ピースずつアップしています。
梅雨が上がったころ一個の青柿が地面に落ちていましたから一個、実を付けたことは
確かです。
この季節になっても、葉っぱが元気過ぎるくらいに存在感を示しています。
朝晩冷え込む様になって来た昨今は、朝、落ち葉が目立ちはしますが、〈何だか変な〉
感じなのです。
この土地に越してきて30年。
その際に以前住んでいた家の庭から運んで来て植え替えたものですが、年によって出
来、不出来はあっても一個も実らないことなどありませんでした。
やっぱり、異常気候だったのでしょうか。
元徴用工訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を出してから1年を迎えま
した。
現在の状況は、韓国にとっても日本にとってもいい事ではないと思います。
韓国内でも様々な動きも出て来てはいるようですが、何とか友好の橋が架けられない
ものでしょうか。
『壁ではなく橋を』と言われたのは、ローマ法王フランシスコさまでした。
台風や大雨の被害の復興にも人と人の橋や、援助という橋が必要です。
韓国との間にも「橋」を架けたいと願っています。
【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その7 】
【パリの灯は見えるか】
『長生きすりゃいいってもんじゃない』(日野原 重明・多湖 輝 共著)の中に
〈家も生き方も「段差」をなくすな〉という章があった。
もろ手を挙げて賛成。
加齢により、身体機能に低下傾向の見られる私にとっては、まことに前向きな助言、
足を一歩前に踏み出せる力ともなる。
心身の機能がおちてくる年齢ともなれば、まずは心身の安全を保つことが第一であ
ろう。
しかし、そのことが目的になってしまうと、むしろ心身の退化を呼び込んでしまう
危険性がある。
あれもだめ、これも危険とばかり言っていると、何にも手が出せなくなってしまい
かねないし、生活の質も侘びしく色あせてしまいそうだ。
歳を重ねれば、すべての身体機能が劣化してくるのは自明な事であり、また、生き
るとは、老若を問わず、常に心身の危険と隣り合わせという事であろうから、若者
より平均余命の短い高齢者の私などは、むしろ何事にも冒険してみた方がいいので
はないか、と常々考えている。
こたつのなかでテレビをつけ、好物の〈固焼き醤油味せんべい〉などを、毎日ボリ
ボリとやっていたら、数週間でメタボ予備軍となってしまいそうなので、私は、毎
晩寝る前に体重計にあがり、数値を記録(“NHK・ためしてがってん”で勧めてい
た)している。そして、数値が上昇傾向になると‘もう、明日からは間食を止めよう’
と心に誓う。
だが、次の日には早々と好物の誘惑に負けてしまい、“明日から 明日から。”と実
行の先送りとなってしまっている情けない日常ではある。
〈家も、生き方も「段差」をなくすな〉という生き方に、もろ手を挙げて“賛成”と
言ったものの、日々の暮らしの中では、ついつい安易な方を選び取ってしまいがち
なので、せいぜい、心の在り様だけは、『段差はそのまま』多少のハードルと共に
生きたいと願っている。
しかし、若者や壮年の方に交じって何かを習得しようなどという際は、これまた恥
を忍ぶ、冷や汗をかく、侮りの視線に耐える、等々、面白からぬことも覚悟しなけ
ればならない。
数か月程前、パソコン教室(『誰にでも出来る!初心者歓迎』というキャッチフレ
ーズにつられて申し込む)に数回通ってみた。
授業中は、耳も目も私なりにフル回転させていたのだが、終始汗のかきどおし。
持って生まれた気の強さで何とか終了させて頂いたが、インストラクターにとって
は、かなりハタ迷惑な生徒であったことだろう。
良く聞いて! 良く見て! と何回も何度も注意される世話のやける生徒であった。
耳も目も記憶力も、そして用語も、若い人たちについていけなかったのだ。
でも、おかげさまで何とかこうして文章も打て、メールを楽しみ、インターネット
であれこれと情報を得る事も出来、楽しみが一つ増えて、今、心から喜んでいる。
遅ればせながら、あの時教えて下さったインストラクターの女性の方に「ありがと
う おかげさまで」と申し上げたい。
パソコン教室に通っていた数日間、私は〈聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥〉と、
親から教えられた諺を胸に、目薬をさしながらのガンバリだった。
久々の、心弾むガンバリでもあった。
歳を重ねれば、覚える事も少々、いや、かなり覚束なくなっては来るのだが、日々
の暮らしを楽しむ為には「聞く」ことに恥じ入ることなど全く無用。
若者の脳細胞と比べることなど論外。
差が有って当然。
鮮度が違うのだ、鮮度が。
何回も、何度でも聞いてみるのが私のスタンスだ。
【適度な危険は人生を豊かにする】と言ったのは、大西洋横断無着陸飛行のリンド
バーグ。
リンドバーグのようにはなれないが、さあ、恥をかく準備は整った。
かなり老朽化した翼だが、飛び立とう。
『パリの灯は見えるか!』
(エッセー集「春が立ちますから」より)
※ この原稿は、昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
1ピースずつアップしています。