ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

ウトウト、ゴロゴロ、の一日

2022-04-30 06:57:47 | 日記
うすら寒い一日でした。
午後からは雨も降って来ましたので散歩へも出かけられません。
もっとも、天候が良かったとしても、今日は体調が優れず行けなかったと思います。

連れ合いは、私同様2か月に一度の割で通院・施療を受けています。
施療を受けた日は発熱することがありますが、このところ数回は発熱をみませんでしたので気に掛けずにいました。
ところが、翌日になってからの発熱でした。
それに施療と共に受けた血液検査で平均値をかなり上回る数値が出ていましたので、それとの関連も懸念されます。
医療機関も連休に入りますし、少々というより、かなり慌てました。
以前なら、発熱などさほど気にはせず、開いている医院へ足を運んで診察を受けられるのですが、コロナがまん延しているこの時期です。
あっさり、診察を受けには行きません。
本人も私も不安が先立ってしまいましたが、一晩頭を冷やして休ませました。
私も、いつでも起きられる様に着衣のままベットに入ってはいましたが眠れません。
アイスノンの状態を診たり、濡れタオルに替えたり、等々。
朝になって、熱は平常値にもどっていましたが、私もドッと疲れが出てしまいました。
そんなわけで二人とも、一日の殆どを私はコタツで、連れ合いはベットでウトウト・・・という過ごし方を。
疲れましたが、熱も下がりましたし、本日は土曜日で、かかりつけの医院は開いていますので、何かあったら医院へ行こうかと。

去年は、私の植え替えの仕方が不味くて一輪しか花をつけなかった君子蘭ですが、今年は、5輪咲いてくれて玄関先を明るくしてくれています。
数年前に他界した長姉から貰ったランですので大切に育てています。
       
        

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戦火にまみれてなどいなかったら、

2022-04-29 07:05:05 | 日記
午前中は雲が広がっていましたが午後は穏やかな晴れ。
私の好きな「田んぼの在る」散歩コースを歩いたのは暫くぶりでした。
体調が、やや不調だったり、青空が広がっていても風が強かったりで、こちらの方面へは行けなかったからです。
暫くぶりの田んぼ道に「こんにちは」と挨拶。
道の両脇の雑草は緑を濃くしていて、その中にタンポポが明るい黄色で存在感を示していました。
田の畦の草刈りをした辺りには、草の緑の匂いが漂っていました。

毎朝観ている火野正平さんの『こころ旅』。
今日の旅の中で「遠方凝視」と言う言葉が出てきたのを思い出しましたので立ち止まり、遠くの山並みを見つめました。
近くの山々は、「山笑う」色彩にやや近づきましたが、磐梯山や那須連山は、まだ白い衣。
安達太良山は裾が見えるためか、上部に白いストールを被っていました。
深呼吸5回。
おいしい空気でした。
アタマの中に在ったウクライナの戦火の臭気は数回の深呼吸で吐き出された感じです。
生き返ったような気がしました。
たった一枚の田んぼに水が引かれていました。
理由は分かりません。
もうすぐ、どの田んぼにも水が引かれ、可愛らしい稲の赤ちゃんが植え付けられることでしょう。

ウクライナの戦禍で、ジワリ物価が上昇していることを実感しています。
パンなども軒並み高くなりました。
でも、私は三食とも米食で何ら支障はないし、新鮮な野菜があればOK、などと言ってもいられない様です。
全ての肥料の素となるチッソ・リン酸・カリ、すべてが高騰しているそうです。
日本の食料自給率をしっかり高め保持しなければいけないと思います。

散歩から帰って、野菜ジュースをコップ一杯飲みました。
「ハーッ」と息を吐きましたがタメ息ではありません。
おいしかったからです。
世の中が平和なら、戦火にまみれてなどいなかったら、こんな僅かな散歩と休息とでこんなにも充ち足りることが出来るのに・・・。
1000人以上も地下施設に避難しているウクライナのアゾフスタリ製鉄所の民間人は救出できるのでしょうか。
また、心が冷え込んできます。
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「時」を待つ以外にないのでしょうか。

2022-04-28 06:54:58 | 日記
今日は6週間に1度の割で通院、投薬を受ける予約日でした。
それに検査やX線撮影の予約もあったのですが、ひょんな理由でキャンセルになってしまったのです。
いつも予約で頼むタクシーが、「今日は運転手がいない」とかで来てくれません。
他のタクシー会社、3社へも電話したのですが、「今日は予約できません」と断られました。
理由はよく分かりません。
初めてのケースです。
病院までの脚が無くては行くこともできず、検査等は先送りとして「電話診察」に切り替えて貰い、午後から投薬だけを受けてきました。
普段なら病院前に駐車して客を待っているタクシーが数台あるのですが、本日は一台も無し。
帰りもタクシーを呼んで病院前で待つ事およそ30分。
思わぬアクシデントで、疲れた、つかれた。

もうすぐ大型連休がやって来ます。
もう、二年以上帰省していない長男から電話がありました。
『感染対策を、しっかりして一緒に温泉地にでも行ってみる?籠りがちな暮らしは心身の老化が進むから・・・』
と。
ありがたい電話、嬉しい電話でしたが連休中に出かけるつもりは無い私ども老夫婦です。
長男夫婦に遭いたい気持ちは山々ですが、ここまでガンバって来たのですから、もう少しコロナのリスクが低下するまで待ちたいと。

新しい職種へ転職した近所に住む長女も、それなりにガンバっている様ですので、一先ず安心しています。
ただ、児童相手の仕事をしていますので、コロナの感染予防にはかなりハードな対応をしています。
クルマに同乗させて貰えないことには、少々不便を覚えている私です。
これも、致し方ありません。
時が過ぎることを待つしかないのですから。

  【コヘレトの言葉】 第3章1~8節
   
   天の下では、すべてに時機があり
   すべての出来事に時がある。
   生まれるに時があり、死ぬに時がある。
   植えるに時があり、抜くに時がある。
   殺すに時があり、癒すに時がある。
   壊すに時があり、建てるに時がある。
   泣くに時があり、笑うに時がある。
   嘆くに時があり、踊るに時がある。
   石を投げるに時があり、石を集めるに時がある。
   抱くに時があり、ほどくに時がある。
   求めるに時があり、失うに時がある。
   保つに時があり、放つに時がある。
   裂くに時があり、縫うに時がある。
   黙するに時があり、語るに時がある。
   愛するに時があり、憎むに時がある。
   戦いの時があり、平和の時がある。
               (聖書協会共同訳)


ウクライナの戦禍はいつまで続くものか、コロナ禍も。
ふっと、不安がアタマをもたげます。
「時」を待つ以外にないのでしょうか。
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♫ 空にまた 陽がのぼるとき

2022-04-27 06:45:43 | 日記
俳優の山本圭さんが亡くなられました。
残念。
そして、淋しい。
かつて、労演( 勤労者演劇協議会)サークルに関わっていた若い頃を思い出します。
月々の会費を集めて演劇を鑑賞する団体で、2か月に1度程度の割で演劇を鑑賞しました。
代表者協議会などもあり、サークルを代表して出かけたりしたものです。
サークル名は、労組などの多くが取り組んでいたこともあって、労組名を付したサークルが多かった様に記憶しています。
私の所属するサークル名は「ルクーサ」でした。
代表の私が勝手に決めたものです。
なんのことはありません。
「サークル」を逆に読んだだけ。
「ルクーサ」。
語感だけでつけました。
「素敵なサークル名ですね。何語ですか?」
などと訊ねられたりしますと、説明はせず、ただ〈作り笑み〉を浮かべるだけの、したたかな女性でした。
次回公演に先立って、オルガナイザーの来訪も何回かありました。
何の出し物だったかは忘れてしまいましたが、オルガナイザーとして山本圭さんが私の所属する労組の事務所を訪れたことがあります。
勤務中でしたが、「ちょっと、トイレに・・・」などと上司に断って、山本圭さんに会って来ました。
素敵な青年!
それだけ覚えています。
何を喋ったのかは忘れました。
そして、こうして思い出しながら記していますと、訪問してくれたのは弟の山本亘だったかも、などと記憶の曖昧さも出て参ります。
いずれにしても、山本 学・山本 圭・山本 亘の三兄弟、いずれも『若者たち』を代表する青年たちでした。
懐かしいなぁ。
職場の昼休み、友人達とよく歌いました。

   『若者たち』
             藤田敏雄作詞
             佐藤 勝作曲
   君の行く道は 果てしなく遠い
   だのになぜ 歯をくいしばり
   君は行くのか
   そんなにしてまで

   君のあの人は 今はもういない
   だのになぜ なにを探して
   君は行くのか
   あてもないのに

   君の行く道は 希望へと続く
   空にまた 陽がのぼるとき
   若者はまた
   歩きはじめる
   空にまた 陽がのぼるとき
   若者はまた
   歩きはじめる


亡くなられた山本 圭さんは、81歳。
ネットでのお写真を拝見しましたら、当たり前のことですが、かつての若者は、それなりにお年を召されたお顔になっていました。

時は移り、彼の人も去り・・・
私のひ孫のUちゃん達も、やがて若者になるのでしょう。
そのためにも、世界に平和を!
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あーした天気になーれ! 世界も平和になーれ!

2022-04-26 06:52:36 | 日記
倦怠感、とまでは行きませんでしたが何となく体が重い感じがありました。
でも、よくなって来ました。
となると、まずはトイレを念入りに掃除、庭の草花の手入れ、等々結構忙しいものです。
でも、動けるという事はありがたいことです。

退職後は疎遠になっていましたが、友人のご主人の訃報が新聞に載っていました。
少し時間が経ったら電話かお手紙を差し上げたいと思っています。
自分の年齢からしますと友人や先輩の訃報が入るのは致し方ないことですが、さびしい限りです。
あぁ、あの人も逝ってしまった・・・・・・と。
生前の思い出のひとコマなどが、急にクローズアップされて記憶の底から浮かび上がって来ます。
一人、合掌させて頂きました。

知床半島で、悲しい事故がありました。
楽しんでいたツアーが、一瞬にしていのちが奪われる・・・・・・
まだ、見つかっていない方々の一刻も早い救出を祈ります。
ご遺族の方々の悲しみもいかばかりかと。

 《裸で生まれてきた私たちにとって、
     いただいたいのちだけが尊いのです。
  ・・・・・・・・・・・・
  明日があると思ってはなりません。
  今日一日が大切であり、今が大事なのです。
  生きていることが習慣になってはなりません。
  朝の目覚めは奇跡です。
  今日一日、いのちをいただいたことに感謝しましょう。》
     (バレンタイン・デ・スーザ著『そよ風のように生きる』
                   ――旅ゆくあなたへーーより)


明日は、お天気が崩れるとの予報。
豪雨や強風の予報が出ている地方がある様です。
暫し、夕空を眺めていました。
飛行機雲が二筋、尻尾が溶け出したまま、ゆっくり流れて行きました。
あーした天気になーれ!
世界も平和になーれ!
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