ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『あたらしい憲法草案のはなし』

2016-06-30 06:21:15 | 日記
    『あたらしい
      憲法草案のはなし』
       著者 自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合

読んでみました。
同著「はじめに」からの抜粋を。
  《現在の日本国憲法が公布されたのは、昭和21年(1946)でした。
   その一年後、当時の文部省は中学一年生むけに、
   『あたらしい憲法のはなし』という教科書をつくりました。
   ……………………………………………………………
   それからおよそ七十年がすぎました。
   憲法はいま、大きな分かれ道に立っています。
   政府と与党である自民党のあいだで、いままでの憲法をあたらしい憲法に
   変えようという機運が高まっているのです。
   ……………………………………………………………
   いいかえれば、いままさに、わたしたち国民ひとりひとりが、
   現在の憲法のままがよいか、あたらしい憲法に変えるべきかを、
   問われているのだといえましょう。
   あたらしい憲法のもとになる案は、平成二十四年四月二十七日に
   自民党が発表した「日本国憲法草案」です。
   ……………………………………………………………
   わたしたちも、七十年近くまえの『あたらしい憲法のはなし』をみならって、
   『あたらしい憲法草案のはなし』をつくることにしたのです。
   わたしたちは、この草案をつくった人(起草者)ではありません。
   ですが、できるだけ草案をつくった人びとの気持ちによりそい、
   そこにこめられた理念や内容をつたえたいと考えました
   ……………………………………………………………
   憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読み下さい。
   この草案を考えた人びとが、どれほど強い、熱い思いをもって、
   あたらしい憲法をつくろうとしているかが、きっとおわかりになるでしょう。
   そのうえで、憲法を変えた方がよいのかどうかを、しっかり考えてもらいたいと思います。
                平成二十八年五月三日
                自問党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合》

《憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読み下さい》
この、提案に賛成です。
私にとっての結論から言えば、自民党草案での「改憲」には「反対」だと、再認識しました。


ところで、私は、今から、10年ほど前、「戦後60年」と言われた年に、
憲法前文を、方言で語る会を持ちました。
文章・言葉そのものを「方言」に換えたということではなく、私なりの「想いバージョン」
で語ってみたのです。
そして今、
私は、自民党の『改正草案』を、ばーばバージョンで、語ってみたくなりました。

たとえば、
  『あのなぁ、なんでも古くなってくれば修理ってものをしなくちゃなんねんだわな。
   いまの「憲法」ってのは、戦さに勝った国から押しつけらっちゃもんだ。
   ほだから、「日本らしさ」ってものがねえ。
   当たりめえの国の憲法としては、お恥ずかしいもんよ。
   やれ、「主権在民だとか、基本的人権だとか、戦争放棄」だとか言ってたら、
   日本が守られっかまぁ。
   お国あっての、国民だべ。
   民主主義だとか、国民主権ちゅう考えかたは、「国民が決めたことなら、すべて正しい」
   ってことだべ。
   国民の多くが、間違った考えを持ってみろ、国の将来はどうなってしまう?
   それになぁ、なんかとんでもねぇこと、つまり戦争とか、内乱・災害が起こったとき、
   “緊急事態だ!”
   といって内閣がビッシビッシと物事きめていかなくちゃなんめい。
   いちいち相談していたら先に進めねぇんでねぇの。
   憲法草案が「全体主義」だぁ、なんて言う者もいっけど、
   ここは、「強く美しい国」を作りてぇちゅうリーダーに、まかせてさ、この国、
   作りかえるほかねぇべ』

と、まだまだ、「ばーばバージョン」の怖―いハナシは続きます。

  『自由、自由って言ったって、お国のためになんねえことしたり、
   そんな目的でつくる「集まり」は、許されねぇわな。
   今までの憲法は、勝手気まま過ぎだ。
   なにごとも、お国のため、お国のためが大切ってこと。』
              
              
               (あたらしい憲法のはなし P43)
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〈武器は戦う機器、人を殺傷する道具です〉

2016-06-29 06:15:09 | 日記
去る26日の「NHK日曜討論」。
共産党・藤野保史氏の、
〈人を殺すための予算ではなく、人を支えて育てる予算を優先させるべきだ〉
との発言に対して、
稲田朋美・自民党政調会長は、
『それは言い過ぎですよ、日本を守るためですから』と。
石田祝稔・公明党政調会長は、
『自衛隊を違憲といっている共産党だから分からなくもないけれど、
人を殺す予算というのは、これは取り消したほうがいい』
と、述べています。

藤野氏の発言趣旨からすれば、
〈防衛費が初めて5兆円を超えた平成28年度予算を念頭に、
防衛費でなく「人を支え、育てることを優先」させて予算を使うべき〉
と、税金の使い方について言及したかったのだと思います。
発言の撤回をなさったようですが、表現の仕方がまずかったとは思います。

ところで、
〈ちょっと、まずかったかな〉ということに対して、〈あなただって、そうでしょう〉と応じるのは、
安倍首相が得意とする手法ですが、大人げないハナシです。
でも、それを承知で、私も少々大人げない“ひと言”を。

「日本国憲法」下で、
☆ 1950年 警察予備隊創設
☆ 1952年 保安隊設置
☆ 1954年 自衛隊設置       
その度毎に、私たちは、時の政府から、
『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』
と定めた憲法9条には反しないと、言われ続けて来ました。

そして、安倍政権は、「積極的平和主義」という理念のもとに、
防衛力の強化政策を取ってきました。
「憲法9条には違反しない」という考え方を通すのはこれ以上無理なので、
「改憲」を言い出したまでのことでしょう。

それに、政府が「武器輸出三原則」を「防衛装備移転3原則」に変えたことも、
まだ記憶に新たです。
〈武器〉を〈防衛装備〉に、
〈輸出〉は、〈移転〉と変えました。

〈武器〉は戦う機器です。
自衛であれ 何であれ、人や器物を殺傷・破壊する道具以外の何ものでもありません。
〈防衛装備〉と名称を変えることで、〈武器〉そのものの実体が変わるわけではないでしょう。
安倍政権は「政策の偽装」をし続けたではありませんか。

ハナシはここまで。
〈ばーば〉は、特に藤野氏と、その党を、ひいきで言ったわけではありません。
〈武器は戦う機器、人を殺傷する道具です〉
と、言いたいだけ。
それだけです。
                                     〈ゴマメのばーば〉
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『耳は二つ、口は一つ』

2016-06-28 06:27:41 | 日記
昨日はいい天気でした。
脚の運動に、と思って身支度をし、出かけようとしましたら、
注文しておいた冊子が、アマゾンから届きました。
本は書店へ行って、手に取り眺めてから買うのが私の習慣。
ですから、娘や孫達からネット購入を勧められても、色々理屈を付けて断っていたのです。

とは言うものの、足腰が弱ったときには、やっぱりネットでの購入は便利です。
もっと早くから利用すべきだった、と思っている私ですが、娘や孫達には、
“本当は、本に限らず、買いたいモノは手にとって、確かめて買いたい”
などと、かわいげのないことを頑なに言い続けています。

「老いては子に従え」の諺はありますが、老いてみると、
これがなかなか出来ないのです。
アタマでは分かっていても、ついつい我を通したり、自説を固守したり。

それでいて、他人様のことになると、友人に対しても、
「あなた、そんなに突っ張っていてはダメじゃない」
などと、平気で説教を垂れてしまいがち。
これもまた、老化なんでしょう。

そんな私に、
「でもね、そのことに気づかない人よりはいいんじゃない」
と言ってくれた娘は、正しい評価というより、私への労りだったかも。

老いた者であれ、若者であれ、他人の話をよく聞く・聴く、ということは難しいようです。
「だから、耳は二つ、口は一つなのよ」
と、誰かが言いました。
確かに、口が二つあって、自分を主張し始めたらとんでもない事になるかもしれません。
一つの口でさえ、「二枚舌」などいうものもありますし。

26日、渋谷のハチ公前で、SEALDsメンバーら17〜24歳の7人が、
若者に投票を呼びかける緊急アピールをしたそうです。
〈若者が安心して暮らせる社会にするには、投票で声を上げないと国に届かない〉
〈考えの異なる人が集まることで議論は深まる〉
〈被選挙権年齢を下げて、若い世代ももっと政治参加すべきだ〉
などと訴えたのこと。

そうです。
未来を生きるのは君たちです。
そして、平均余命の少ない私のような高齢者も、
“もう、若くはないから”
などと言ってしまってはいけないのかもしれません。

ちなみに、アマゾンから買い求めた冊子は、
    『あたらしい
        憲法草案のはなし』
             自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連連合 刊
             2016年6月22日発行

というわけで、散歩は取り止め。
昼は、残っているパンと牛乳、トマト一個、ということで。
本を読む。
                                      〈ゴマメのばーば〉
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『USBの使い方もわからないような世代に………』

2016-06-27 06:32:56 | 日記
〈膝にサポーターを付けた方がいいかも〉
脚が痛む私に、近所に住む孫が、そう言ってドラッグストアに連れて行ってくれました。
店員と話をしながら、商品のサポーターを選んでいる孫の脇に、私は立っているだけ。
陳列棚から取り下ろして、私に付けてみることを薦める孫。

んっ、立場が逆転したぞ!
数年前、高校生だった孫は、朝寝坊をして登校時間に間に合わなくなることが、
しばしばでした。
そうした時、孫は平常通り自転車で自宅を出、こちらへ寄っては、
じいちゃんに、学校までクルマで送ってもらっていたのです。

多いときは週に2回ほどありました。
じいちゃんは、毎回小言と一緒に孫を送って行きました。
〈ばーば〉は、孫の乗ってきた自転車を、裏庭に隠します。
母親から、後で孫が叱られないようにとの、証拠隠し。

そんな「児」が、〈ばーば〉の足に付けるサポーターを、見繕っている姿に、
何とも こそばゆさを覚えたのです。
ありがたいことではあるのですが。

イギリスでの国民投票では、若者の多くが、「EU残留」を選んだとか。
それぞれの世代、置かれた環境から、選び方は、自ずと違っては来るのでしょうが、
複雑な思いで眺めています。

  ☆ 16、17歳の声は聞いてもらえなかった。
    私たち自身より90歳の人の方が、私たちの残りの人生を決める力が強いなんて。
  ☆ 「USBの使い方もわからないような世代によって混沌がもたらされた。
  ☆ 【昨日】お年寄り? 大切に思ってるよ。僕たちのために戦争を戦ってくれた。
    ナチスから救ってくれた。
    【今日】お年寄り?
    大っ嫌いだね。血まみれのファシストめ。

上記は、ニュースで報じられた若者達のTwitterの幾つかです。
決して責められはしませんし、ホンネでもあるでしょう。
それに、若者達の「残留」の選択が正しかったのかもしれません。

でも、「ばーば」からすると、なんともやるせない気持ちに陥ります。
そんなことを思いながら、ボーッとドラッグストアの売り場に突っ立っていました。

“ばーちゃん、帰るよ”
孫の声に、思わず
『はい!』
と応えました。

〈ばーば、と、考え方が異なっても、自分が正しいと思った道を選びなさいよ〉
口には出しませんでしたが、運転する孫の横顔へ、そう呟きました。
何だか、悲しいような、でも、どこかでホッとしたような…………。
青空と雨雲が混在している今日の空のような…………。
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「ばーば」歩けば………。

2016-06-26 06:19:36 | 日記
歩かないでいると、筋肉が落ちてしまって歩けなくなるから………。
そんなこともあって、今日も出かけました。
先だって開店したコーヒーショップで、10枚綴りのコーヒーチケットを買っておきました。
それを使ってのモーニングサービス(私にとっては、少し早めの昼食です)を。

コーヒーを飲みながら、周囲を失礼にならない程度に観察。
土曜日なので、若い女子が圧倒的に多数。
おしゃべりに花が咲いています。

中年の男性なども、一人で。
こちらは、スマホ。
のぞき見るわけにはいきませんが、何やら深刻な顔つきです。

高齢者の女性が数人、とは言っても、私などよりは一回りは若いであろうと推察。
こちらも、おしゃべりらしく笑い声も聞こえてきます。
これって、平和な光景だなと、私の気分も安らぎました。

でも、選挙や「EU離脱」に関わることなどは、言葉の一片すら聞こえては来ません。
だからといって、まったく考えていないなどと推論はできませんが。
はてさて、「EU離脱」は、選挙戦にどう響いてくるものやらと思いをめぐらせながら、
1時間ほど過ごしました。

菅官房長官は、
《やはり(消費税増税)先送りの判断は正しかった》
と強調しています。
『今こそ、安定した政権を』
との呼びかけが功を奏して、政府与党の追い風になるかも、そんな懸念も。
〈理屈と膏薬はどこへでもつく〉ものですから。

店を出て、バス停まで歩いて行きましたら、歩道の端に「ひかるもの」が。
近づいてみましたら水溜まりでした。
その部分だけが凹んでいたために、昨晩の雨で水溜まりができたのでしょう。
溜まり水にしては澄んでいたのです。

工藤直子さんの詩を思い出しました。

     『ひかるもの』
                     からすえいぞう
     さんぼんまつの うえから
     ひかるものを みつけた
     とんでいくと
     ちいさな みずたまりだった
     さっきの ゆうだちで
     できたのだな
     「おまえ ひかってるぜ」
     みずたまりは「うふふ」といった

     みずたまりと おれは
     ゆうやけをみながら
     しばらく はなしした
   
     「おまえ じつに ひかってる」
     もういちどいって わかれた

     うちに つれていけないものな
                   (くどうなおこ著『あっぱれ のはらうた』)より

『犬も歩けば棒に当たる』
《ばーば歩いて「詩」に当たる》

私は、「からすえいぞう」君の詩を通して、工藤直子さんと出会ったのかも。
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