『あたらしい
憲法草案のはなし』
著者 自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合
読んでみました。
同著「はじめに」からの抜粋を。
《現在の日本国憲法が公布されたのは、昭和21年(1946)でした。
その一年後、当時の文部省は中学一年生むけに、
『あたらしい憲法のはなし』という教科書をつくりました。
……………………………………………………………
それからおよそ七十年がすぎました。
憲法はいま、大きな分かれ道に立っています。
政府と与党である自民党のあいだで、いままでの憲法をあたらしい憲法に
変えようという機運が高まっているのです。
……………………………………………………………
いいかえれば、いままさに、わたしたち国民ひとりひとりが、
現在の憲法のままがよいか、あたらしい憲法に変えるべきかを、
問われているのだといえましょう。
あたらしい憲法のもとになる案は、平成二十四年四月二十七日に
自民党が発表した「日本国憲法草案」です。
……………………………………………………………
わたしたちも、七十年近くまえの『あたらしい憲法のはなし』をみならって、
『あたらしい憲法草案のはなし』をつくることにしたのです。
わたしたちは、この草案をつくった人(起草者)ではありません。
ですが、できるだけ草案をつくった人びとの気持ちによりそい、
そこにこめられた理念や内容をつたえたいと考えました
……………………………………………………………
憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読み下さい。
この草案を考えた人びとが、どれほど強い、熱い思いをもって、
あたらしい憲法をつくろうとしているかが、きっとおわかりになるでしょう。
そのうえで、憲法を変えた方がよいのかどうかを、しっかり考えてもらいたいと思います。
平成二十八年五月三日
自問党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合》
《憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読み下さい》
この、提案に賛成です。
私にとっての結論から言えば、自民党草案での「改憲」には「反対」だと、再認識しました。
ところで、私は、今から、10年ほど前、「戦後60年」と言われた年に、
憲法前文を、方言で語る会を持ちました。
文章・言葉そのものを「方言」に換えたということではなく、私なりの「想いバージョン」
で語ってみたのです。
そして今、
私は、自民党の『改正草案』を、ばーばバージョンで、語ってみたくなりました。
たとえば、
『あのなぁ、なんでも古くなってくれば修理ってものをしなくちゃなんねんだわな。
いまの「憲法」ってのは、戦さに勝った国から押しつけらっちゃもんだ。
ほだから、「日本らしさ」ってものがねえ。
当たりめえの国の憲法としては、お恥ずかしいもんよ。
やれ、「主権在民だとか、基本的人権だとか、戦争放棄」だとか言ってたら、
日本が守られっかまぁ。
お国あっての、国民だべ。
民主主義だとか、国民主権ちゅう考えかたは、「国民が決めたことなら、すべて正しい」
ってことだべ。
国民の多くが、間違った考えを持ってみろ、国の将来はどうなってしまう?
それになぁ、なんかとんでもねぇこと、つまり戦争とか、内乱・災害が起こったとき、
“緊急事態だ!”
といって内閣がビッシビッシと物事きめていかなくちゃなんめい。
いちいち相談していたら先に進めねぇんでねぇの。
憲法草案が「全体主義」だぁ、なんて言う者もいっけど、
ここは、「強く美しい国」を作りてぇちゅうリーダーに、まかせてさ、この国、
作りかえるほかねぇべ』
と、まだまだ、「ばーばバージョン」の怖―いハナシは続きます。
『自由、自由って言ったって、お国のためになんねえことしたり、
そんな目的でつくる「集まり」は、許されねぇわな。
今までの憲法は、勝手気まま過ぎだ。
なにごとも、お国のため、お国のためが大切ってこと。』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f2/eb4508282e79eee5efdc7672dbb82fda.jpg)
(あたらしい憲法のはなし P43)
憲法草案のはなし』
著者 自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合
読んでみました。
同著「はじめに」からの抜粋を。
《現在の日本国憲法が公布されたのは、昭和21年(1946)でした。
その一年後、当時の文部省は中学一年生むけに、
『あたらしい憲法のはなし』という教科書をつくりました。
……………………………………………………………
それからおよそ七十年がすぎました。
憲法はいま、大きな分かれ道に立っています。
政府と与党である自民党のあいだで、いままでの憲法をあたらしい憲法に
変えようという機運が高まっているのです。
……………………………………………………………
いいかえれば、いままさに、わたしたち国民ひとりひとりが、
現在の憲法のままがよいか、あたらしい憲法に変えるべきかを、
問われているのだといえましょう。
あたらしい憲法のもとになる案は、平成二十四年四月二十七日に
自民党が発表した「日本国憲法草案」です。
……………………………………………………………
わたしたちも、七十年近くまえの『あたらしい憲法のはなし』をみならって、
『あたらしい憲法草案のはなし』をつくることにしたのです。
わたしたちは、この草案をつくった人(起草者)ではありません。
ですが、できるだけ草案をつくった人びとの気持ちによりそい、
そこにこめられた理念や内容をつたえたいと考えました
……………………………………………………………
憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読み下さい。
この草案を考えた人びとが、どれほど強い、熱い思いをもって、
あたらしい憲法をつくろうとしているかが、きっとおわかりになるでしょう。
そのうえで、憲法を変えた方がよいのかどうかを、しっかり考えてもらいたいと思います。
平成二十八年五月三日
自問党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合》
《憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読み下さい》
この、提案に賛成です。
私にとっての結論から言えば、自民党草案での「改憲」には「反対」だと、再認識しました。
ところで、私は、今から、10年ほど前、「戦後60年」と言われた年に、
憲法前文を、方言で語る会を持ちました。
文章・言葉そのものを「方言」に換えたということではなく、私なりの「想いバージョン」
で語ってみたのです。
そして今、
私は、自民党の『改正草案』を、ばーばバージョンで、語ってみたくなりました。
たとえば、
『あのなぁ、なんでも古くなってくれば修理ってものをしなくちゃなんねんだわな。
いまの「憲法」ってのは、戦さに勝った国から押しつけらっちゃもんだ。
ほだから、「日本らしさ」ってものがねえ。
当たりめえの国の憲法としては、お恥ずかしいもんよ。
やれ、「主権在民だとか、基本的人権だとか、戦争放棄」だとか言ってたら、
日本が守られっかまぁ。
お国あっての、国民だべ。
民主主義だとか、国民主権ちゅう考えかたは、「国民が決めたことなら、すべて正しい」
ってことだべ。
国民の多くが、間違った考えを持ってみろ、国の将来はどうなってしまう?
それになぁ、なんかとんでもねぇこと、つまり戦争とか、内乱・災害が起こったとき、
“緊急事態だ!”
といって内閣がビッシビッシと物事きめていかなくちゃなんめい。
いちいち相談していたら先に進めねぇんでねぇの。
憲法草案が「全体主義」だぁ、なんて言う者もいっけど、
ここは、「強く美しい国」を作りてぇちゅうリーダーに、まかせてさ、この国、
作りかえるほかねぇべ』
と、まだまだ、「ばーばバージョン」の怖―いハナシは続きます。
『自由、自由って言ったって、お国のためになんねえことしたり、
そんな目的でつくる「集まり」は、許されねぇわな。
今までの憲法は、勝手気まま過ぎだ。
なにごとも、お国のため、お国のためが大切ってこと。』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f2/eb4508282e79eee5efdc7672dbb82fda.jpg)
(あたらしい憲法のはなし P43)