ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『剣(つるぎ)を取る者は皆、・・・』

2022-02-28 06:52:49 | 日記
日曜日でしたので、先週に倣って自室での主日礼拝をいたしました。
私の所属する教会のウエブページは、現在改修中です。
臨時のウエブページが作成されましたので、教会の情報を観ることができるようになりました。
とは言っても、なかなかページに辿り着けなかった私でしたが、甥の助言で観ることが可能になりました。
東京在住の甥が私の誕生日を覚えていてくれて、お祝いのメールをくれましたので、便乗して操作を教えて貰ったのです。
同じく東京に住む長男も忘れることなく「おめでとう」の電話をくれました。
どちらにも、「ありがとう」を。

ウクライナ。
武力による侵攻ですから、きれいごとで済むはずはありません。
クラスター爆弾も使用されたとか。
民間人の被害も数多く報じられています。
ウクライナに侵攻したロシアの作戦の狙いはどこにあるのか。
各国や専門家が様々な情勢分析をしてはいますが、私にはよくわかりません。
国際間の「正義」は、その国の国益も交じって判断されますから、どの様な展開となるのか不安です。
ただ、国際間の懸案事項を武力で〈こじ開ける〉ことには絶対反対です。
戦火に遭う人間の「痛みや嘆き」は想像できますから。
早く戦闘が治まってほしいと。
ウクライナ北部チェルノブイリも、心配です。

コロナの新規感染者数も居住地では「高止まり」の傾向ですし、高齢者施設や学校などのクラスターも発生しています。
今日の天候は穏やかな日で、気温も3月中旬並みとか。
ラインで、ひ孫のUちゃん達とおしゃべりもできやので、元気を貰いました。

青空が広がっていましたので、ちょっとだけ散歩に出ました。
この同じ地球上の空の下で、戦火に怯えている人たちがいることを思いますと辛くなります。

 ☆ そこで、イエスは言われた。
    「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」
                (マタイによる福音書26章52節)

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『猫に増し』

2022-02-27 06:51:09 | 日記
本日、私の85歳の誕生日。
よく、生きて来られたものです。
癖が多く、欠けた部分の多い私。
「生かされて来た」ということに感謝です。
以前、拙著・エッセー集『春が立ちますから』に掲載した記述を、自己紹介という事で記させて頂きます。

 「猫に増し」

私は六人兄弟姉妹の末っ子に生まれました。
今で言う未熟児で、お産婆さんからは「育つかどうかわからない」と言われたそうです。
  生年月日   昭和十二年二月二六日、
  続柄     四女
ところが、「出生届出日」は昭和十八年二月十五日と戸籍簿に記されています。
産まれてから六年も経ってからの届出となっているのです。
五年ほど前、戸籍謄本を取り寄せた際にこの事を知りました。
それ以前にも、戸籍簿から取り寄せた書類等を点検すれば判り得たのでしょうが、記載内容などは自明な事との思いがあり、確認したことなどなかったので、七十歳を越すまで気付かずに過したことになります。

出生に何かワケ有りの筈もないのですが、出生届の六年間の遅延とは、恐れ入ったルーズさと言えるでしょう、苦笑いが込み上げて来るばかりです。
末っ子で、身体が小さいということもあって、私は甘やかされて育てられました。
幼い頃の冬の朝、起きるとすぐに、炬燵にあたっている父親の膝の上にもぐり込み、朝ご飯までの間、顔だけ炬燵から出して居るのが常でしたし、洗面器にお湯を注いでもらって顔を洗ったのは私だけでした。
それにしても、六年間も、何の理由で届け出が遅れたものかとの、疑問というより興味は残りました。
そして、ふと、幼い頃の記憶の一こまに思い当たったのです。
私が小学校に入学する年の春先、入学学齢に達した児童の居る近隣の家には市役所から入学通知書が送られて来ましたのに、私の家には送られて来ませんでした。
その後、私は近隣の子ども達と一緒に入学し、一年生とはなりましたが、その間の経過や事情を、今、推測してみますと、入学通知書が来なかった時点で、父は大慌てで出生の届け出をしたのではなかったかと思うのです。
あの当時、出生届に関しては、産まれ年の干支を忌避して、明くる年の初めに出生届を出したり、年末繁忙期のため、年明けに届け出たりとか、けっこうルーズな時代であったように聞いています。

父は、私の誕生日と重ね合わせて、良く「二・二六事件」の事を話してくれました。
「二・二六事件」は昭和十一年の出来事です。もしかして、私は昭和十一年生まれかもとの疑念は残りますが、一つや二つの年齢の相違など、どうでもいいことです。
幼い頃、私は、何か手伝いが上手にできると、「猫に増し」と頭をなでられました。
「猫に増し」って、猫よりは優れているという意味なのでしょうが、あの頃の私にとっては、十分に嬉しい褒め言葉でした。
暗い夜道が怖くて、小学校三年生になるまで、父か兄におんぶして銭湯に行きました。それも、しっかり目をつぶって。
「猫に増しだねぇ」の言葉を、私は今でも温かく思いだします。
親から期待されなかった分、期待という重さもなかったような気がします。
  《わたくし 生まれも育ちも みちのく郡山。
   後期高齢新参者。
   出歩き好きな、人呼んで、フウテンバアサンと発します》
「猫に増し」かどうかは、今でも私に判りかねるのです。
      ( 拙著・エッセー集「春が立ちますから」より )
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早く、紛争が治まってくれればと、

2022-02-26 06:48:59 | 日記
小雪が風に運ばれてくることはありましたが、日中の気温は6度。
「うっ 寒っ」と、口に出さずにすむ一日でした。

新聞(全国紙・地方紙)の記事は、いずれも『ソ連のウクライナ侵攻』の見出しがトップ。
アスリートが記録更新した等のニュースや、大谷翔平選手の事、将棋の藤井聡太さんのニュースなどは観ている私も明るくなります。
でも、戦火のニュースは、自分が経験した暗くおぞましい映像などまで記憶の淵から引き出されてしまいますので、心身が萎えてしまいそうです。
早く、紛争が治まってくれればと、願い祈るばかりです。

明日は、私の誕生日です。
勤務の都合で、「明日届けられないから」、と言って近所に住む長女が、アマゾンのブックギフト券と和菓子を届けてくれました。
春のお菓子の詰め合わせ、うぐいす餅・豆大福 さくら餅等の餡もの。
連れ合いもケーキを買ってきてくれました。
「ありがとう」です。

広く世界中を見渡せば(見渡し、見通せることなどできません。せいぜいニュースで報じられる程度の知識と判断力の保持者ですから)、呑気なことを言って過ごすこともできませんが、まずは身の回りの小さな事がらに目を留めたいと思います。
生きるって悪い事ばっかりではありませんし。
ほら、日射しが出てきました。
気分が明るくなってきたはず・・・

   【・・・・・・
    人は、愛も憎しみも
    目の前にある全てのことを知ることはない。
    ・・・・・・
    手の及ぶことはどのようなことでも 
    力を尽くして行うがよい。】
           (コヘレトの言葉 9章から)

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絵本『ゆきのひ』のことなど。

2022-02-25 06:50:46 | 日記
今日も寒い一日でした。
〈ロシアのウクライナ侵攻のニュースに、心まで寒さと怖さが募りました。〉
明日からは平年並みの気温に戻るとの予報。
このところ吹雪く日が続いていましたので、洗濯物を外に干すことができませんでした。
でも、お日様や自然の風に当ててカラッとした干し上がりの洗濯物を手にしたくて、今朝は二階ベランダの物干し竿に洗濯物を干しました。
と、干している間に洗濯物に含まれている水分が凍り始め、竿に掛けたシャッの手の部分やズボン下の脚の部分が硬直してしまったのです。
何とも懐かしい感触でした。
何十年ぶりの冷たく硬い感触です。

私に長女が誕生したのは昭和37年(1962年)2月、厳寒の季節でした。
毎日仕事に行く前にオムツを何枚も何枚も手で洗って、外の物干し竿に干して勤務に出たものです。
かじかむ手指、寒風に干した形に凍って硬くなる産着やオムツ。
それは、毎朝、出勤前の仕事でした。
そして、連れ合いは長女を負んぶし、「ねんねこ」と呼ぶ綿入れを負んぶした上から着込んで自転車に乗り、雪の日も風の日も、預かってくれる知人宅まで送って行ったものです。

そうした昭和の古い暮らしのことなど思い出しながら、その頃生まれた長女が先だって届けてくれたコーヒーをゆっくり淹れて味わいました。

いつも、訪問させて頂いているブロガーさんが、ラッセル車の懐かしい思い出を記していました。
その記事を読んで私は一冊の絵本を思い出したのです。
   『ゆきのひ』 
     加古里子(かこさとし) 作・絵
     福音館書店 刊 1966年2月1日
     月間予約絵本「こどものとも。119号」
     ¥100

その後、単行本となって読み継がれていますが、私の長男もお気に入りの絵本で、何回も何回も寝る前に読み聞かせたものでした。
あったかーい絵本です。
ほっこり、ねむたくなるやさしさの絵と、おはなしです。
今の子ども達には、この絵本の安らぎは伝わらないかもしれません。
でも、昭和生まれの私たちにとっては、何ともやさしくて・・・あったかくて・・・

『かぜに のって、しろいものが そらから ふってきました』
と、はじまります。
雪は、やがて根雪となり・・・・・・

吹雪の日。
ロータリー車が出て、線路に積もった雪を吹き飛ばすのですが、間に合いません。
村のお父さんたちや、おじいちゃんも、シャベルを持って手伝いに行きます。
  よいしょ よいしょ
  うんとこ どっこい

家々は、停電になってしまっています。
炉端の前で、おばあちゃんが、りっちゃんに昔ばなしをしてくれます。
やがて、
「ぼぼー」
汽車のあいずが聞こえてきました。
りっちゃんは、目を覚ましてにっこりします。

もうじき、おとうさんたちも 雪で真っ白になって帰って来ることでしょう。
雪の大地を煙を吐いて走りはじめる汽車のシルエット。
お父さんたちの小さなシルエットの先に夜明けを感じさせる桃色の薄っすらとした明かりが・・・
『それではみなさん、おやすみ さようなら』と。


      

      
コメント (2)
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♬ 着ぶくれをした ばぁちゃんが

2022-02-24 06:54:57 | 日記
『寒いねぇ』
『うん 寒いな』
この数日、朝は、この会話から始まっています。
日中の気温も低いのですが朝は連日マイナスの気温。
着ぶくれになって暖房をつけている私たちですが、こうした会話が増えて来たということは、お互い加齢により体調機能が低下しているということなのでしょう。
これも、自然の成り行き。受領していくほかないのでしょう。

このところ、ひ孫たちとの直接的な触れ合いはトンと絶えています。
コロナの新規感染者が児童たちにも増えていますので、お互いの自衛策として致し方のないことですが、「さびしい」のひと言に尽きます。
昨日、ラインでの会話を持ったのですが、タブレットの調子が悪くて音声が出ませんでした。
残念です。
ラインに参加していた長女が、その時の映像を送信してくれましたが、やっぱり音声はナシ。
でも、朝食が済んで一番にサイレントの動画を二人で観ました。
ひな祭りが近いので幼稚園で作った物でしょうか、ペーパーで拵えた人形で、何やら説明をしてくれてはいますが、内容はわかりませんでした。

パソコンも、タブレットも不調です。
以前は、孫の誰かが来てくれて修理してくれたりしたものですが、こちらも「コロナ」情勢を考慮して、お互いに直接会う事を避けていますので、これもならず・・・・・・
いろいろと不便を感じています。

強くはありませんが、日中も吹雪いていました。
散歩は、もちろん中止。
でも、お日さまの明るさは、目を見張るばかりです。
少し積もっていた雪も、少しの日差しですっかり融けてしまいました。

 ♬ はーるよ 来い
   はーやく 来い
   着ぶくれをした ばぁちゃんが
   吹雪のな―かに 突っ立って
   孫や ひ孫を 待っている

早くコロナの嵐が去ってほしい、とボヤキがちな私に、「イザヤ書」のことばが響いて来ます。

  先にあったことを思い起こすな。
  昔のことを考えるな。
  見よ、わたしは新しいことを行う。
  今や、それは起ころうとしている。
  あなたがたはそれを知らないのか。
  確かに、私は荒れ野に道を
  荒れ地に川を置く。
       (イザヤ書43章18~19節)
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