ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

カッコウの声が、

2023-05-31 07:28:05 | 日記
雲が広がったりはしましたが穏やかな一日でした。
今朝、カッコウの声を聞きました。
どの辺りに居るものかと窓を開け、声のする方に耳を傾けました。
が、カッコウの声は、もう聞こえません。
飛んで行ってしまったものか、それとも私の空耳。
窓を閉めずに、しばらく明るい初夏の朝を眺めていました。

この時期になりますと、カッコウにまつわる民話を語りたくなる私です。
62年前に逝った母への懐かしい思いと一緒に。

≪ざっとむかし、
ある村に母ちゃんと女っ子が二人で暮らしていたんだと。
母ちゃんは毎日、朝から晩まで、せっせと働いたけど、貧乏暮らしだったとな。
夏が近づいて、村の祭りが近くなってくると、村の女っ子は みんな赤い鼻緒の
「かっこ」(下駄)を買って貰うんだって。

女っ子はな、家が貧乏なことを知ってるもんだから、
「母ちゃん、かっこ買って」
って、言い出せなかったんだと。
母ちゃんも「祭りの かっこ」のことなど、何にも言わなかったんだって。
だけど、毎晩、夜遅くまで頼まれものの縫物の仕事をしていたんだってよ。

お祭りの前の日、母ちゃんは、町へ縫いあがった着物を届けに行った帰りに、
赤い鼻緒のかっこ 買ってきてくれたんだって。
女っ子は嬉しくて 嬉しくて、すぐに履いてみたかったんだと。
そしたら、母ちゃんが、
「かっこは、夕方 下ろすもんでねぇ、明日の朝にしろ」
って言ったんだって。
でもな、女っ子は履きたくて 履きたくて我慢できなかったんだなぁ。
裏口からそっと外さ出て言って、かっこ履いてみた。
赤い鼻緒の かっこ をな。
嬉しくて、嬉しくてなぁ、
「あーした天気になーれ」
「あーした天気になーれ」
って、片方の下駄を「ポーン・ポーン」と飛ばして遊んでいたんだってよ。

やがて、辺りは暗くなってきた。
「ポーン」と飛ばした片っ方の かっこが見つからなくなってしまったと。
「おらぁの かっこ どこだ」
「おらぁの かっこ どこだ」
「おらぁの かっこ かっこ かっこ」
あっち こっち、泣きながら探しまわっているうちにな、
女っ子は鳥になってしまったんだって。
「かっこう」という鳥にな。

今でも、夏が近づいて、村の祭りがやって来る頃、かっこう鳥は
「おらぁの かっこ どこだ」
「おらぁの かっこ どこだ」
「カッコウ カッコウ カッコウ」
って、無くなってしまった赤い鼻緒のかっこ、探しに来るんだって。
ざっとむかし さけぇだ≫
                (再話 筆者)
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‟いい塩梅は江戸にもねぇ”

2023-05-30 07:28:35 | 日記
久々に入眠剤を服用しました。
少々気にかかることもありましたが、夜になってから粉末茶を濃く溶いて氷水で薄め、少し多めに飲んでしまったのが原因かも。
1時を過ぎても眼が冴えています。
若い頃、軽い不眠症に陥ったことがありました。
〈眠らないと、健康が保てない・・眠らないと〉
そうした切迫観念に襲われますと、かえって眼が冴えてしまうのです。
その頃出会った牧師が、
「人間、眠るという生理的欲求はかなり強いものだ。
死ぬ前には必ず眠れるから・・・」
この助言に、不安が、ぶっちぎれた私でした。
〈眠れない時は 眠らないでいい〉
そう思えるようになって以来、「不眠」観念には捉われなくなったのです。
そんなこと思い出しながら、「眠り」が訪れるのを待ちましたが、何も、ガマンすることもあるまい、病院から以前いただいた入眠剤を飲もうと思い、起き出して服用。
朝、5時30分までぐっすり寝ました。

そんなわけで、今朝はいつも通りに起き出して過ごしています。
雨模様です。
梅雨のような。
じっとしていると薄ら寒いのですが、動き出しますと蒸し暑さを覚えます。

‟いい塩梅は江戸にもねぇ”
口癖の様に呟いていた父のことなど思い出しました。
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笑顔で。「ありがとうね」と言いながら。

2023-05-29 07:13:36 | 日記
日曜日でしたので、いつもの様に教会の主日礼拝に出席いたしました。
3月までは、コロナで家庭礼拝をさせて頂いていましたので、日曜日の朝、身支度を整えて出かけるのは体に負担を覚えます。
でも、出席しての礼拝からは、今週を生きる力を沢山いただいて参ります。
4月、5月、すべての日曜日に出席することができましたことへ感謝です。
今日の礼拝は『ペンテコステ』聖霊降誕日』礼拝でした。
‟いっさいの思い煩いを捨てて神さまのみ手に、キリストのみ手にすべてをおゆだねいたしましょう”
との、みことばを頂いて帰りました。
帰りは、ちょっとだけデパートで買い物を。

ひ孫のUちゃんとTちゃんは、今日、自分のお家の花壇の一部に、トマト・カボチャ・ピーマン・トウモロコシを植えました。
苗は、ばーば(私の長女)が、買い揃えたものです。
Uちゃんたちは、花壇を「はたけ」と呼んでいます。
チョッピリの収穫ですが実りの日が楽しみです。
去年は、たった1個実ったカボチャで天ぷらを拵えてもらい、亡くなってしまった「じいちゃん」にお供えしたとか。
今年も、そのつもりでカボチャの苗を植えたとのこと。
「じいちゃん」は、早過ぎる年齢で逝ってしまいましたが、Uちゃん達が苗を植えている様子を見ていて下さっている様な気がします。
笑顔で。
「ありがとうね」と言いながら。
そんな光景を想像しただけで、私の心も暖かくなってきます。

今日から天気は下り坂の予報。
教会へ行く前に干して行った洗濯物は、しっかり乾いていました。
洗濯物を取り込みながら
「さぁ、雨が降っても大丈夫」
と、独り言を言いましたら、最近、とみに耳が遠くなって来た連れ合いが、階下から、
雨降ってきたの?
と、ご近所に聞こえる様な大声で聞き返しました。
と、お隣の方が、窓を開けて、空を眺めて・・・
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《双方へ停戦の呼び掛けはなかった。》

2023-05-28 07:21:50 | 日記
【長野・中野の立てこもり 殺人容疑で市議長長男逮捕「悪口言われた」4人死亡】
上記は、毎日新聞(5/27朝刊)記事の見出しです。
新聞その他のニュースでの、こうした文言に私は違和感を覚えます。
容疑者は31歳。
未成年ではありませんから氏名が報道されても仕方がありません。
でも、この事件に止まらず、親の名前や職業まで報道するのは如何なものでしょう。
今回の場合は、市議会の議長と言う公的責任の立場にある親ですし、逮捕者が立てこもったのは親の家(自宅)でしたから、この様な経過になったものでしょうか。
起こした犯罪は許せませんが、親(親族)の名前まで当初から報じていいものでしょうか。
逮捕者は自らが引き起こした犯罪ですが、親族は違います。
親・親族の名前が報じられなくとも、いずれ周囲には分かることでしょう。
世間さまからの「バッシングは避けられないはず。

《・・・・・・
広島で開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)
・・・・・・
ウクライナに関する首脳声明では、ロシアへの制裁強化を打ち出し、即時無条件撤退を要求した。
一方で、双方へ停戦の呼び掛けはなかった。
「日本に必要なのは、軍事力でなく外交力です。
本当ならロシアとウクライナに即時停戦を呼び掛けるべきだと誰でも思いますよね。
しかし、それを口にするだけで親プーチンだと非難される。
ゼレンスキー政権が最後まで戦う姿勢のため、それを良心的に支援しようという国際世論が強いからです。
結果的に潤うのは米国の軍需産業であり、戦場で命を落とすのはウクライナ人とロシア人です」
・・・・・・
「いや、日本の平和憲法は決して昔作られたお花畑の理想論ではありません。
ウクライナ戦争では人工知能(AI)や無人機など最新兵器が実験的に使われ、ハイブリッド戦争と称して社会のすべてが軍事化されつつある。
核兵器ですら小型化されて使用のハードルが下がっている。
こうした危険な状況にあるからこそ、日本は平和憲法を世界に誇り、その理念を平和に役立てていくべきです」》

上記は、毎日新聞(2023/5/26東京夕刊)。
【この国はどこへ これだけは言いたい 軍備増強は「静かな危機」】
批評家・浅田彰さんの記事からの抜粋です。
私も、全く同感です。

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歩いてきたのは 心の裡だったものか、

2023-05-27 07:33:58 | 日記
4人も殺害して立てこもり・・・イヤな事件が続いています。
テレビのニュースは、この事件関連に溢れていて、澤瀉屋(おもだかや)のニュースなどは、やや後ろへ退かされた感じ。
まぁ、「ニュース」とはそんなものなのでしょう。
こうした陰惨なニュースは、あまり目にしたくはありません。
全く興味がない、と言えばウソになりますが。
犯人が逮捕されたのですから、後は司法に任せ、結果を知らせて貰う程度で宜しいかと。
被害者にも、また加害者にも親兄弟がいますから、〈人を殺める〉ということは、自身も親戚兄弟まで社会的に殺めてしまうということです。
どの様な理由があって犯行に及んだものか。
人間の心の裡は誰にも、自分自身さえ良く分からないものです。

暫くぶりで田んぼの在る散歩道コースを歩いてきました。
殆どの田んぼが田植えは済んでいました。
自分が所有する田んぼでもなく、誰の所有かも全く知らない田んぼですから、私が苗一本植えたわけでもないのに、「田植えが済んで良かった」と、充実した気持ちになっています。
秋の実りまで、稲の様子を眺め季節を感じることができそうです。

  散歩
  どこへ
  遠く 近く

  飛行機雲が溶けだすのを眺め
  帰らず終いの白鳥一羽に お宿は と訊ね

  西山の端に日は落ち
  歩いてきたのは 心の裡だったものか
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