ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈みんなが支え合う、そんな社会が、俺は好きだ〉と。

2014-09-30 07:27:02 | 日記
日立製作所だけでなく、「年功序列賃金体系」からの脱却の動きが強まっています。
〈人事制度の見直しで生産性を改善させる〉
という狙いの様です。

企業にとっては、生産性の向上を図るための方策として、「成果主義」を取り入れたいと
考えたくはなるのでしょう。
でも、働く側にとっては、これが住みよい社会を招くことができるのでしょうか。
多くの人間が幸せになれるものでしょうか。
私は疑問に思います。
担当するポストの重要度によって給与のベースを決める。
外国人や中途入社者は意欲が増す。
能力があれば30代で部長級になれる。
能力主義。
これを突き詰めれば弱肉強食の社会です。

以前ブログに書いた記事の一部を再掲いたします。
【60年ほど前、私が就職したばかりの頃の話です。
当時は、新進気鋭とまではいえなくとも、多少の無理はきく「若さ」というものがありました。
「若い目」から見ますと、中高年と呼ばれる役職者世代の仕事への対応が、何とも鈍く感じられ、
いらだったことも多々あったのです。

そうした折、当時、労働組合の委員長だったY氏に、私は、生意気にも申し上げました。
『歳をとっていたり、仕事の効率が悪い人たちは、給料を下げてもいいんじゃないですか。
その方が、社会のため、会社のためにもなると思うんですけど』と。

当時の賃金体系は年功序列制でした。
この体系は不合理な賃金体系だ、と私は言ったのです。

労働組合委員長のY氏は次の様に言いました。
《人間はすべて、早死にしなければ、必ず老いる。
目も手足も、頭の働きだって鈍くなる。
つまり、「えさ」を取る力が弱くなってくる。
動物も同じだ。

しかし、動物と違うのは、人間社会の共同体は、老いた者も、若いものも、男も女も、
大人も子供も、助け合って社会を担っていることだ。
それは、弱肉強食にならず、多くの人たちが平和に暮らすためのあり方だ、と俺は考えている。
あんたもな、いずれ結婚して、子どもができる。
子どもを育てるには手間ひまがかかる。
仕事を休まなければならないことも、起きてくる。
そんな時、仕事の効率が悪くなるからといって、職場から排除されたらどうする。
人は、必ず老いる。
若くても、病を得て弱者になることもある。
それもこれも、みんなが支え合う、そんな社会が、俺は好きだ。》

今でも、私は、このY氏の言葉を忘れておりません。
現在は、あの頃より晩婚化が進み、親が中高年に達しても教育費を含め、子どもへの
出費がかさむ時期となっているのです。

暮らしにくい生活者が増える気がしてなりません。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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ひとえに、「私」が決めることです。

2014-09-29 08:18:49 | 日記
臨時国会が始まります。
『地方創生』と『女性の活躍』
言葉だけが躍っています。

『アベノミクス』の恩恵は未だに、津々浦々にまで届いてはいません。
届かないのではなく、発送されていないのではないでしょうか。
そのための、「地方創生」だと説明されても、言葉だけが素通りして行くばかりです。
まして、後期高齢者への恩恵などはなく、年金の減額をはじめ各種保険等の負担額が
多くなるばかりです。

『女性が輝く社会』
この言葉も好きになれません。
戦時中の〔女子挺身隊〕を思い出してしまうのです。
〔女子挺身隊〕は、戦時中、男性の労働力が逼迫する中で、14歳~25歳までの女性が、
市町村・婦人団体の協力により構成されていました。
私の姉は、当時18歳。
紡績工場へ駆り出され、体質の弱かった姉は、人工繊維のアレルギー症状となって全身に
湿疹ができました。
空爆を避けて疎開。
治療法も無く、医者にもかかれず病死に至りました。
19歳で逝ってしまったのです。

その頃の軍歌に『愛国の花』という歌があります。

     『愛国の花』
            福田正夫作詞  古関裕而作曲
    1真白き富士の気高さを 心の強い楯として
     御国につくす女(おみな)等(ら)は 輝く時代(みよ)の山ざくら
     地に咲き匂う国の花

    2老いたる若き諸共に 国難しのぐ冬の梅
     かよわい力よくあわせ 銃後に励む凛々しさは
     ゆかしく匂う国の花

    3勇士の後を雄々しくも 家をば子をば守りゆく
     優しい母や又妻は 真心燃ゆる紅椿
     うれしく匂う国の花

    4御稜威のしるし菊の花 ゆたかに香る日の本の
     女といえど生命がけ こぞりて咲いて美しく
     光て匂う国の花

時代錯誤と言われるかもしれませんが、安倍首相が掲げる「女性が輝く社会」に、
『愛国の花』と同質の臭気を覚えてしまうのです。
女であれ、男であれ、お国から生き方を強制されたくはありません。
人生 いろいろ
輝きも いろいろ
「輝き」が何たるかも、
どう輝くのか、輝かないのかは、ひとえに、「私」が決めることですから。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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本当に だいじょうぶなのでしょうか。

2014-09-28 07:24:05 | 日記
御嶽山が噴火しました。
犠牲者も出ました。
御嶽山は噴火の記録が乏しく、経験則に基づく噴火予知が難しかったそうです。
「今回の噴火は予知の限界」
気象庁火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は、そう話しました。

立ち昇り、湧き上がり、拡がる噴煙を見て、日本は地震国だということを、改めて確認しました。
『私たちの住む この国は地震国なのです』

去る22日、(IAEA)の年次総会で、科学技術担当相は、日本政府が、
4月に閣議決定した「エネルギー基本計画」で、原子力発電を「重要なベースロード電源」と
位置づけたことを説明。
〈この計画に基づき、我が国は確保していく原子力発電の規模を見極めていく〉
と、国際社会に表明。
また、原発再稼働に関しては、
〈原子力規制委員会の新しい安全基準に適合した場合には進めていく〉
と強調しました。

稼働してだいじょうぶなのでしょうか。
日本は地震国なのです。
想定外の地震が起こっても、決して不思議ではありません。

ある町で火事が発生し、その規模が大きければ、よその市町村の応援を得て、時間が
かかったとしても消し止めることができます。
でも、原発事故は、「消せない火」を燃やし、拡散させてしまうことになります。

いまだに、汚染水処理を軌道に載せられないでいる福島原発の事故現場です。
でも、(IAEA)総会では、次の様にアピールもしてみせたのです。
福島第1原発の汚染水漏れ問題に関しては、汚染前の地下水をくみ上げて
海に流す「地下水バイパス」の取り組みなどを紹介し、
〈具体的な対策をいくつも講じた〉
と述べ、汚染水対策の「前進」をアピールしてみせました。

確かに、汚染水対策では、様々な試みが講じられました。
でも、前進どころか、計画の見直しの連続でもある現状なのです。
福島県民の一人としては、政府のこうした発言に対して腹ただしく思っています。
御嶽山の噴煙を見て、原発の再稼働は、絶対にしてはいけないと強く思いました。

御嶽山に取り残されている登山者たちが、一刻も早く救出されることを、祈るばかりです。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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「いつくしみ深き」

2014-09-27 08:08:49 | 日記
お世話になった方が亡くなられました。
86歳でした。
「早世」とは言えませんが、淋しくなります。
でも、子どもさん達も、それぞれの方が しっかり成長なされていて、孫・ひ孫さんに囲まれての告別式は、やっぱり、幸せな「人生の終い」ではなかったのでしょうか。
私には、そう思えます。

幼い子どもが、斎場内を「パタパタ」走り回る光景は、実に平和そのもの。
参列している私たちにも「うるさい」とは感じられません。
たとえ、泣き声であっても。
亡くなられた方も、きっと微笑んでいらっしゃることでしょう。

一休さまは、
「親死ぬ・子死ぬ・孫死ぬ」は めでたい、とおっしゃったとか。
確かに、そうかもしれません。
逝く順序が「孫・子・親」だったら、残された者は つら過ぎます。

『前夜式』(仏式では、お通夜)と、告別式・埋骨式すべてに参式しましたので、少々疲れました。
でも、見送ることが出来たという、「安らぎ」をいただきました。
思い出になってしまった過去のあれこれと、これからを生きる幼い者たちの姿が、今という時点で複合され、何かあたたかく、心が和んだのです。

   《この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。
    約束されたものを手に入れませんでしたが、
    はるかにそれを見て喜びの声をあげ、
    自分たちが地上ではよそ者であり、
    仮住まいの者であることを公に言い表したのです。》
                     (新約聖書:ヘブライ人への手紙11章13節)

郊外にある霊園の上には秋空が広がっていました。
ぽっかり雲
ほうき雲
ひこうき雲

もう夏の暑さはありません。
明るい日射しだけが充ち満ちています。

ユーミンの「ひこうき雲」が聞こえたような気がしました。
でも耳を澄ませば、聴こえてきたのは、故人の好きだった讃美歌312番でした。

〈いつくしみ深き 友なるイエスは〉と、
〈われらの弱きを知りて憐れむ〉  と、
〈かわらぬ愛もて導きたもう〉    と、

私も応えて歌いました。
〈祈りにこたえて 労わりたまわん〉 と。
                                  〈ゴマメのばーば〉
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『チンする』

2014-09-26 07:33:45 | 日記
文化庁が公表した「国語に関する世論調査」によれば、
『チンする』(電子レンジで加熱する)
は、9割が「使うことがある」と回答したそうです。
我が家でも、いつでも使用。
『レンジで加熱して』とか、
『レンジで解凍して』
などと夫に頼んだら、
「えっ、なに?」
と、聞き返すことでしょう。

『お茶する』
は、7割の方が使っているそうです。
我が家では使いません。
意味は分かりますが、友人との会話でも使いません。
『お茶する』と、言ったりすれば、老化による記憶の混濁と 聞き違いで、『お茶を濁す』あるいは、
『ゴマをする』などと受け取ってしまい、会話の路線は混線状態に陥ることになるでしょう。

『サボる』
は、違和感なく 日々の暮らしに定着。

固有名詞が出て来にくくなっている私にとって、こうした言葉は、使い易すくて便利な「動詞」
となっています。
言葉は、まさに生きものなのでしょう。

『告(こく)る』(愛を告白する)
これは、まったく使用しません。
使う必要が皆無ですから。

『事故る』
現実的には、使いたくない言葉です。
というか、事故りたくない願望。

『愚痴る』
かなりの頻度で、『愚痴る』を地で行く暮らしをしています。

私の好きなテレビ番組に『にほんごであそぼ』(NHK Eテレ)があります。
子供向けの番組ですが、毎日録画して見ています。
古今の詩歌・わらべうた・名作・名文からのフレーズ・ことばあそび・各地の方言………などなど。
幼い子どもたちの姿を見るだけでも、一日の始まりが祝福された気分になってくるのです。

この番組で、とても感動したものは、数字・数に関しての「言葉」でした。
一番大きなものは『無量大数』
一番小さいものは『涅槃寂静』
子ども達が、節まわしをつけて
《一・十・百・千・万・億・兆………無量大数》
《分・厘・毛・糸………涅槃寂静》
と、詠う姿をみていますと、何かしら大いなるものに包み込まれるような気さえしてくるのです。
《永遠》などという言葉と一緒に。

そして、「ありがとう」の方言。
     きのどくな……………魚津市
     おーきに………………大阪
     あんやと………………金沢市
     おしょしなー…………山形

    ○ ちばりよわらび あっぴゃーま(がんばれ、子どもと おばぁちゃん) …………沖縄
〔いいね〕を押したくなります。

「言葉遊びを楽しむこと」に関して、
《おっと がってん しょうちのすけ(おっと合点承知之助)
と、言おうが、
《けっこうけだらけ ねこはいだらけ(結構毛だらけ猫灰だらけ)》
と言おうが、
それは、あなた任せです。
                                  〈ゴマメのばーば〉
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