副題「この自殺率の低さには理由がある」が本のタイトル『生き心地の良い町』(岡檀(講談社)2017)の中味を示唆する。低さの理由はタイトルそのものである。更に、タイトルは著者が“自殺率の低さ”から直観的に感じとったその地域(徳島県海部町)の特色でもある。
「AMAZON」掲載
海部町が“生き心地の良い町”であることは岡氏の確信であり、その追認のためにデータを集め、理由付けしたのが、研究成果だ。逆に云えば、その確信がなければ、海部町が生き心地の良い町と表現されることはなかったはずだ。筆者もそうだが、多くの人は、「自殺率の低さ=生き心地の良い」であることに違和感はないはずだ。博士論文をベースにした一般書が評価される所以だ。
それは人間科学/社会科学の範疇ではなく、概念の創出であり、クロード・レヴィ=ストロースが云う処の“野性の思考”である。即ち、
「人間は、感覚に直接与えられるもの(感覚与件)のレベルでの体系化という最も困難な問題に先ず取り組んだのである。科学はそれに対して長らく背を向けていたが、今ようやく、それを展望の中に取り入れ始めている。」(「野性の思考」P16)。
このことは、第1章「事のはじまりー海部町にたどり着くまで」の中で、岡氏が描くエピソードにいみじくも表されている。
新聞記事「老人の自殺17年間ゼロ、ここが違う徳島・海部町」を読んで岡氏は「これだと思った」!そして、海部町に関する他の記事を含めて、「わくわくしながら読んだ」と書いてある。ここが精神的に最高潮となった場面と推察する。
ところが、「いきなり海部町に飛びついてはいけない」のである。
「論理的、科学的根拠に基づいて研究対象を選択するように教え込まれていた」からだ。これが現代の社会科学・人間科学の研究の実態だ。若き知性の課題意識とそこから生み出される概念を葬り去る可能性もあった。
「海部町を研究対象にするのは、裏付けがなくてはいけない」。岡氏はデータを揃えるのに苦労するが、「私は幸運だった」と述べる。幸運を呼び込んだのは、岡氏の執念と実力であるが、自らの確信を形にする意欲も含まれるだろう。
第2章で五つの「自殺予防因子」を抽出し、最後に海部町の歴史的形成過程を一瞥する。それは江戸時代に遡る。山林資源を基に、材木の集積地として繁栄した処で、農村社会とは異なり、流れ者が集まり、移住者として人口が増えていったのだ。これが緩やかな絆を醸成したと岡氏は推察する。これが本書の中で一番大きな発見だと、筆者は感じた。ここに、それまでの仕事、学問に裏打ちされ、かつ、鍛えられた岡氏の直観力が地域の歴史とスパークしたように思われる。
第3章で、抽出した「自殺予防因子」が自殺を予防する理由を考察する。しかし、そこには「生き心地の良い」は標題でのみ与えられ、インタビューから捉えた現象・言葉を直観力で整理し、紡いでいく氏の技量が展開される内容だ。それは第5章のまとめ、「対策への提言」にも続いている。
(著者は引用していないが、本の表題は下記からの流用と推察する。)
「「自殺社会」から「生き心地の良い社会へ」」(清水康之,上田紀行(講談社文庫)2010)
その第5章の最後、集団への同調を促す世間的圧力を封じる方法、「説教はしないー野暮ラベルの効用」を興味深く読んだ。
「野暮」といえば反対語の「粋」が頭に浮かぶが、その薦めではなく、野暮なことをしないように強要するわけでもない。それは野暮なことを抑止する、ポストイットのように直ぐに剥がせるラベルなのだ。
ここは筆者の想像だが、九鬼周造「「いき」の構造」に示される様に“野暮―いき”は、京都の文化だ。従って、海部町の地元住民よりは、移住者が聞きかじりで、行動の擁護に使い始め、それを地元住民も含めて根付かせた様に思われる。また、当時の小さな町は、阿部謹也のいう「世間」であり「社会」ではない。利用価値のある言葉は容易に広まったとも思える。
更に、この本のキーワード「生き心地」とそれを支える具体例は、社会資本としての貴重な例示であり、GDPに替わる指標の幸福度の議論にもインパクトを与えるものと考える。
「AMAZON」掲載
海部町が“生き心地の良い町”であることは岡氏の確信であり、その追認のためにデータを集め、理由付けしたのが、研究成果だ。逆に云えば、その確信がなければ、海部町が生き心地の良い町と表現されることはなかったはずだ。筆者もそうだが、多くの人は、「自殺率の低さ=生き心地の良い」であることに違和感はないはずだ。博士論文をベースにした一般書が評価される所以だ。
それは人間科学/社会科学の範疇ではなく、概念の創出であり、クロード・レヴィ=ストロースが云う処の“野性の思考”である。即ち、
「人間は、感覚に直接与えられるもの(感覚与件)のレベルでの体系化という最も困難な問題に先ず取り組んだのである。科学はそれに対して長らく背を向けていたが、今ようやく、それを展望の中に取り入れ始めている。」(「野性の思考」P16)。
このことは、第1章「事のはじまりー海部町にたどり着くまで」の中で、岡氏が描くエピソードにいみじくも表されている。
新聞記事「老人の自殺17年間ゼロ、ここが違う徳島・海部町」を読んで岡氏は「これだと思った」!そして、海部町に関する他の記事を含めて、「わくわくしながら読んだ」と書いてある。ここが精神的に最高潮となった場面と推察する。
ところが、「いきなり海部町に飛びついてはいけない」のである。
「論理的、科学的根拠に基づいて研究対象を選択するように教え込まれていた」からだ。これが現代の社会科学・人間科学の研究の実態だ。若き知性の課題意識とそこから生み出される概念を葬り去る可能性もあった。
「海部町を研究対象にするのは、裏付けがなくてはいけない」。岡氏はデータを揃えるのに苦労するが、「私は幸運だった」と述べる。幸運を呼び込んだのは、岡氏の執念と実力であるが、自らの確信を形にする意欲も含まれるだろう。
第2章で五つの「自殺予防因子」を抽出し、最後に海部町の歴史的形成過程を一瞥する。それは江戸時代に遡る。山林資源を基に、材木の集積地として繁栄した処で、農村社会とは異なり、流れ者が集まり、移住者として人口が増えていったのだ。これが緩やかな絆を醸成したと岡氏は推察する。これが本書の中で一番大きな発見だと、筆者は感じた。ここに、それまでの仕事、学問に裏打ちされ、かつ、鍛えられた岡氏の直観力が地域の歴史とスパークしたように思われる。
第3章で、抽出した「自殺予防因子」が自殺を予防する理由を考察する。しかし、そこには「生き心地の良い」は標題でのみ与えられ、インタビューから捉えた現象・言葉を直観力で整理し、紡いでいく氏の技量が展開される内容だ。それは第5章のまとめ、「対策への提言」にも続いている。
(著者は引用していないが、本の表題は下記からの流用と推察する。)
「「自殺社会」から「生き心地の良い社会へ」」(清水康之,上田紀行(講談社文庫)2010)
その第5章の最後、集団への同調を促す世間的圧力を封じる方法、「説教はしないー野暮ラベルの効用」を興味深く読んだ。
「野暮」といえば反対語の「粋」が頭に浮かぶが、その薦めではなく、野暮なことをしないように強要するわけでもない。それは野暮なことを抑止する、ポストイットのように直ぐに剥がせるラベルなのだ。
ここは筆者の想像だが、九鬼周造「「いき」の構造」に示される様に“野暮―いき”は、京都の文化だ。従って、海部町の地元住民よりは、移住者が聞きかじりで、行動の擁護に使い始め、それを地元住民も含めて根付かせた様に思われる。また、当時の小さな町は、阿部謹也のいう「世間」であり「社会」ではない。利用価値のある言葉は容易に広まったとも思える。
更に、この本のキーワード「生き心地」とそれを支える具体例は、社会資本としての貴重な例示であり、GDPに替わる指標の幸福度の議論にもインパクトを与えるものと考える。