散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

西欧の平和は「政教分離」と「政経分離」で~「平和の代償」永井陽之助

2015年02月12日 | 永井陽之助
「…16-17世紀の長いヨーロッパの宗教戦争の中から宗教的寛容の精神が次第に芽生え、成長していったが、当時、この信仰と神学上の原則は、すべて妥協の余地無く、反対派の絶滅以外に、一方の勝利を確保する道がないと思われていた…」、昨日の記事に引用した部分に続く、永井陽之助「平和の代償」からの引用だ。
 『カトリック教会、信仰の自由を承認1965年150212』

「ヨーロッパは自殺しなかった。やがて、融和しがたい原則上の葛藤が、現実の上で妥協に成功したからだ。その秘密は政教分離と政経分離であった。宗教的、イデオロギー的次元と経済・外交・政治の世俗的次元が、それぞれ多次元的に分化し、それぞれの役割学習の過程を通じて、平和共存が可能となった」。

しかし、宗教と民族が絡んだ争いは決して死火山ではないことは、ユーゴ紛争から現在のウクライナ紛争に至るまで、ヨーロッパにおいても明らかである。更に、イスラムにおいては、1978年のイラン革命以降、政教分離だけでも容易ではなく、また原油に依存する経済も政治との切り離しは大きな課題である。

「…その信仰上の敵対感をイデオロギー的、政治的次元に噴出するのを抑止したのは、現実の「政治家」の力であり、「平和」を心から願い、「平和」を宗教上の「正義」の価値より上位におく一般民衆の素朴な願望と努力の所産であった…」

「…日本では、まだ、“平和”と“正義”が一致すると考える知識人が多いが、核兵器の出現ということの尤も深刻な意味は、革命的正義は消滅したということである…」。

ここで、「平和」と「正義」を対置することが重要だ。命あっての物種であって、素朴に紛争を回避するのが一般庶民なのだ。この辺りの考え方は、終戦直後、坂口安吾「堕落論」に衝撃を受けた永井らしい発想だ。

「…重要な点は、この宗教的妥協の成功した現実的基礎には、近代国家の成立という重大な契機があった。それが民族統一の政治的凝集力として働き、新旧両イデオロギーの対立を緩和したのである。この歴史のアナロジーは明らかである…」

近代国家が成立し、1684年のウエストファリア条約によって、ドイツ三十年戦争は終結をみるが、その平和は1776年のフランス革命と、その後のナポレオン戦争によって打ち破られる。

そこでは、ナショナリズム、人権宣言に基づく自由・平等が新たなイデオロギーとして登場した。宗教の上に更に、ナショナリズムが噛み合わされ、自由・平等の政治的イデオロギーも活発に用いるようになった。それでも1814年のウィーン会議によって、平和の構造は取り戻された。

永井の指摘の様に、近代国家の出現によって、ヨーロッパは戦争を制御し、戦争が勃発しても、それを平和へ変換することを可能にしていた。それは稀な時代だったのだ。その意味で現代の紛争と対立においても、示唆を投げかける例となっている。

      
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