散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「平和の代償」永井陽之助~戦略的現実主義者の立場

2016年10月16日 | 永井陽之助
この当時、現実主義対理想主義との言葉が論壇で飛び交っていた。しかし、現実主義といっても、米ソ対立が国際政治での最大の枠組であり、現状維持は総じて“現実主義”であって、その中での区別は付けにくい状況であった。
しかし、本を構成する三篇の論文の中身を見ると、以下の様に“政治戦略的項目”が並んでいる。

第一論文 『米国の戦争観と毛沢東の挑戦』(1965/6中央公論)
序 三つの国際秩序観―状況・制度・機構
1 米国の戦争観と朝鮮戦争
2 マクナマラ戦略とキューバ危機
3 毛沢東戦略の挑戦
結 日本の防衛

第二論文 『日本外交における拘束と選択』(1966/3中央公論)
序 歴史的動向の下での選択のマージン
1 可能性を拘束するもの
2 新しい冷戦と冷たい同盟
3 日本外交の目標と戦略
4 自主中立と核武装
結 “平和”と“正義”

第三論文 『国家目標としての安全と独立』(1966/7中央公論)
序 戦後正教の固定観念
1 核時代における安全と独立
2 戦後平和思想における顕教と密教
3 「恐怖の均衡」から「慎慮の均衡」へ

第一論文の主題は、以下の戦略問題である。
「一1」は、第二次大戦での米国の基底にある機構型「戦争観」、
「一2」は、それを制度型に変える「マクナマラ戦略」、
「一3」は、状況型へ引き込む「毛沢東戦略」、である。

また、米ソ対立だけでなく、中ソ対立も含む中国の核武装のなかで、日本の核武装問題を含めて「二4」、「三1」、「三3」は核問題を取り扱っている。結論は慎慮の均衡」へ移行することになる。

現状分析を「二1」、「二2」で行い、それに基づいて、日本の政治状況における外交と内政との基本的絡み合いを整理し、「二3」、「三2」で中期戦略を提案する。それは、「あとがき」で簡潔に述べられている。

「現代日本の直面している重要ないくつかの争点について、相互に関連づけた、統一的なひとつの政策意見を提出している。
…本書に一貫している議論の基調は、この世で美しいもの、価値あるものも、何らかの代償なしには何も得られないという素朴な日常的英知の再確認に他ならない。…『平和の代償』としたゆえんである。」

更に付け加えれば、以下の三論文のそれぞれは日本の戦後思想の中で関連づけられており、特に“米国の戦争観”と戦後正教としての平和思想が密接な関係を持ち、それを操りながら、戦後復興から経済成長へと導いた“吉田ドクトリン”の原型を抽出している。
「一1 米国の戦争観と朝鮮戦争」、
「二1 可能性を拘束するもの」
「三序 戦後正教の固定観念」
「三2 戦後平和思想における顕教と密教」

その後、理想主義の衰退・消滅が進む中で、現実主義も隠されていたそれぞれの立場をあらわにする。それは「現代と戦略」の中で議論されている。

      

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