アルジェリア東南部イナメナス近郊の英国石油メジャー・BP社の天然ガスプラント建設現場でテロリストの襲撃による大規模な人質事件が発生した。結果は現場で建設にあたるプラント建設企業・日揮の関係者(日本人は10名)を含む大量の犠牲者を出す悲劇となった。やり場のない怒り…しかし、冷静に考える必要がある。
報道によれば、アルジェリア政府はその犯行の性格を掴むと直ちに対応を決め、ヘリコプターによる空爆から地上軍を投入して犯行グループの殲滅を図った。広い砂漠の中で犯行グループが人質を分散して逃走すれば軍も分散せざるを得ず、また、天然ガスプラントの破壊もあり得る状況において、早期の空爆を決断したらしい。
この報道に接して、筆者はモガディシオ事件を想い起こした。1977年10月の西独赤軍によるハイジャック事件、ソマリアのモガディシオ空港に着陸したところを西独の対ゲリラ特別部隊が機内に突入、犯人を射殺・逮捕し、乗員・乗客全員を救出した。
その厳しい対応は、西独の並々ならぬ決意を示している。しかし、それまでには、ソマリアへの誘導等も含めて、周到な準備があった。当時、西独は工業連盟会長が誘拐・他殺され、過激テロへの対応が迫られており、ベトナム戦争で有名になった米国グリーンベレーに倣って養成した、対ゲリラ特殊部隊の投入を決意したのだ。
その一月前に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件があった。当時の日本政府は「一人の生命は地球より重い」(福田赳夫首相)と判断し、身代金支払い及び超法規的措置として獄中メンバーなどの引渡しを行っていた。
西独と日本との認識と対応の違いは鮮やかな印象を世界に残したはずだ…。
今回のアルジェリア政府は西独政府と同じで、テロ撲滅を最大の課題として対応したのだ。第一次世界大戦、アラビアのロレンスが英国の諜報機関の一員として、アラブ人と共に戦った対トルコゲリラ戦術は、自伝「知恵の七柱」(東洋文庫)にある様に、砂漠の広大な地域を走る鉄道防備でトルコ軍を貼り付ける効果が抜群であった。
例えば、大学紛争から70年安保反対闘争において、中核派を中心とした反日共系全学連はロレンスに倣って、山手線の主要駅、新宿、池袋、上野等の各駅で同時に集会・デモを行い機動隊の分散を図るなどの戦術をとった。同時に火の手を上げ、火消し役が集中するのを妨害するわけだ。
さて、報道によれば、今回の日本政府はテロを批判する点においては、仏、米、英と同じであるが「アルジェリア政府に対し、軍の作戦開始後に即時攻撃の中止を求めた」とされている。しかし、少なくとも、仏、米、英各政府の発言は、そのような内容が含まれたとの報道はされていない。記者会見でも精々「慎重に」程度である。
どこまでアルジェリア政府の考え方を読んだのか、取りあえず、国内向けも含めて言っておいただけなのか、判然としない。モガディシオ事件とダッカ事件との対比が今でも通用する様に、日本政府の判断は“40年間固定”されているかにみえる。モガディシオ事件以降、「テロ」に対しては、交渉せず、特殊部隊の強行突入で、人質を救出する方向に世界的は向かった。
テロリストへの身代金は軍資金供与になり、政治的要求を受け入れれば、エスカレートすることになり、更なる「テロ」を誘発することになる。結局、妥協的解決は将来へ向けての解決にならないのだ。しかし、一時凌ぎでの対応続くと、テロに対する認識を曇らせると共に日頃の警戒心、緊張感を失わせることにも繋がる。
今回の事件で情報収集の必要性が指摘されている。しかし、それは単なる結果だ。警戒心、緊張感を欠いては、情報収集活動など、できるわけがない。その根源には、金と超法規によっていとも簡単にテロを容認する日本政府のご都合主義があるのだ。
一方、日本企業としての「日揮」は、グローバリゼーションの中、自らリスクを賭けて、1960年代前半から海外進出に向けた活動を進め、1975年には海外プロジェクトの受注比率が50%を越え、アルジェリアからも受注している。その後、円高進行等に対応して、海外子会社設立・育成、海外調達拡大、情報技術化などの国際コスト競争力強化を推進、現在、世界的に注目の集まる天然ガス分野へ進出している。
以上の日本政府の判断と「日揮」との対比から判るように、政治の世界は、おそらく田中角栄以降、「日本列島改造論」に象徴されるように国内での資源「獲得・配分」競争に集中し、政治体制の流動化と共に更に政局という狭い世界に閉じこもり、外的事象はすべて外圧であり、グローバリゼーションの中で、世界を変えるように自らも変えていくことを考えていなかった、ように思える。
安部内閣も壁を乗り越えるよりは、国債発行で一時しのぎをするのが精一杯のようだ。私たちは、改革の意思を持つ政党、議員を次の参院選挙、地方自治体選挙において選出するように、日頃のチェックを怠らないようにすることだ。
報道によれば、アルジェリア政府はその犯行の性格を掴むと直ちに対応を決め、ヘリコプターによる空爆から地上軍を投入して犯行グループの殲滅を図った。広い砂漠の中で犯行グループが人質を分散して逃走すれば軍も分散せざるを得ず、また、天然ガスプラントの破壊もあり得る状況において、早期の空爆を決断したらしい。
この報道に接して、筆者はモガディシオ事件を想い起こした。1977年10月の西独赤軍によるハイジャック事件、ソマリアのモガディシオ空港に着陸したところを西独の対ゲリラ特別部隊が機内に突入、犯人を射殺・逮捕し、乗員・乗客全員を救出した。
その厳しい対応は、西独の並々ならぬ決意を示している。しかし、それまでには、ソマリアへの誘導等も含めて、周到な準備があった。当時、西独は工業連盟会長が誘拐・他殺され、過激テロへの対応が迫られており、ベトナム戦争で有名になった米国グリーンベレーに倣って養成した、対ゲリラ特殊部隊の投入を決意したのだ。
その一月前に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件があった。当時の日本政府は「一人の生命は地球より重い」(福田赳夫首相)と判断し、身代金支払い及び超法規的措置として獄中メンバーなどの引渡しを行っていた。
西独と日本との認識と対応の違いは鮮やかな印象を世界に残したはずだ…。
今回のアルジェリア政府は西独政府と同じで、テロ撲滅を最大の課題として対応したのだ。第一次世界大戦、アラビアのロレンスが英国の諜報機関の一員として、アラブ人と共に戦った対トルコゲリラ戦術は、自伝「知恵の七柱」(東洋文庫)にある様に、砂漠の広大な地域を走る鉄道防備でトルコ軍を貼り付ける効果が抜群であった。
例えば、大学紛争から70年安保反対闘争において、中核派を中心とした反日共系全学連はロレンスに倣って、山手線の主要駅、新宿、池袋、上野等の各駅で同時に集会・デモを行い機動隊の分散を図るなどの戦術をとった。同時に火の手を上げ、火消し役が集中するのを妨害するわけだ。
さて、報道によれば、今回の日本政府はテロを批判する点においては、仏、米、英と同じであるが「アルジェリア政府に対し、軍の作戦開始後に即時攻撃の中止を求めた」とされている。しかし、少なくとも、仏、米、英各政府の発言は、そのような内容が含まれたとの報道はされていない。記者会見でも精々「慎重に」程度である。
どこまでアルジェリア政府の考え方を読んだのか、取りあえず、国内向けも含めて言っておいただけなのか、判然としない。モガディシオ事件とダッカ事件との対比が今でも通用する様に、日本政府の判断は“40年間固定”されているかにみえる。モガディシオ事件以降、「テロ」に対しては、交渉せず、特殊部隊の強行突入で、人質を救出する方向に世界的は向かった。
テロリストへの身代金は軍資金供与になり、政治的要求を受け入れれば、エスカレートすることになり、更なる「テロ」を誘発することになる。結局、妥協的解決は将来へ向けての解決にならないのだ。しかし、一時凌ぎでの対応続くと、テロに対する認識を曇らせると共に日頃の警戒心、緊張感を失わせることにも繋がる。
今回の事件で情報収集の必要性が指摘されている。しかし、それは単なる結果だ。警戒心、緊張感を欠いては、情報収集活動など、できるわけがない。その根源には、金と超法規によっていとも簡単にテロを容認する日本政府のご都合主義があるのだ。
一方、日本企業としての「日揮」は、グローバリゼーションの中、自らリスクを賭けて、1960年代前半から海外進出に向けた活動を進め、1975年には海外プロジェクトの受注比率が50%を越え、アルジェリアからも受注している。その後、円高進行等に対応して、海外子会社設立・育成、海外調達拡大、情報技術化などの国際コスト競争力強化を推進、現在、世界的に注目の集まる天然ガス分野へ進出している。
以上の日本政府の判断と「日揮」との対比から判るように、政治の世界は、おそらく田中角栄以降、「日本列島改造論」に象徴されるように国内での資源「獲得・配分」競争に集中し、政治体制の流動化と共に更に政局という狭い世界に閉じこもり、外的事象はすべて外圧であり、グローバリゼーションの中で、世界を変えるように自らも変えていくことを考えていなかった、ように思える。
安部内閣も壁を乗り越えるよりは、国債発行で一時しのぎをするのが精一杯のようだ。私たちは、改革の意思を持つ政党、議員を次の参院選挙、地方自治体選挙において選出するように、日頃のチェックを怠らないようにすることだ。