散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

改革という名目の「入替戦」~政党と民意との間

2013年08月03日 | 政治
一昨日の記事で、二大政党によって争点を明確にした選挙を目指したはずが、十年後は争点の喪失なった、と書いた。これに関して三國博貴氏から「有権者の階級が二分されている状況でない限り、小選挙区制は二大政党の形成と同時に二大政党の政策を接近させる」とのコメントを頂いた。

今日の記事は、その回答として書くのではないが、筆者の問題意識はオーバーラップしている。しかし、先の記事で「争点がないのではなく、多くの争点が膠着しているだけ」と続けて書いたのが基本的な考え方だ。
 『この十年間に何が変わったか~多党化と争点の喪失 20130801』
 
先ず小泉純一郎の登場を想い起こせば、「自民党をぶっ壊す」「構造改革」の言葉が出てくる。2001年4月以降、「改革」が昨日の記事のテーマ「政党側と民意」との間を循環する“政治的キーワード”となった。この言葉を巡って政策は権力から社会へ流れ、権威(支持)は社会から権力へ返る(『権力の循環と象徴の選択』岡義達(国家学会雑誌第66巻))。

「郵政改革選挙」(2005/09)は小泉首相への政治的支持のピークとなり、自民党は2千6百万票(今回の参院選は千8百万票)を獲得した。しかし、民意としての改革は「郵政」だけではない。様々な期待感があったはずだ。

その1年後、小泉首相は退任したが、官公庁関係の改革以外の経済社会的な改革の成果、成功した政策は何か?となると民意は納得よりも曖昧さを感じ、その後も改革への期待感が残った状態が続いている。

政治において、革命は“権力(究極は暴力)”への傾斜であるなら、改革は“政策”への傾斜である。従って、改革を掲げる場合は、ビジョンと具体的な政策はセットとして必須である。政府の大きさ、安全保障、社会福祉、教育等につきビジョンを描き対立軸を明確にすることは可能なはずだ。

民主党は「コンクリートから人へ」を掲げた。しかし、総体はバラマキ政策であった。政権奪取後、小沢幹事長は自民の支持母体を民主支持へ変えるつもりではなかったか。それならば、政策は基本的に変えないほうが良い。その時々の「配分の政治」に基盤をおく限りは、各政党の政策は似か依る他はない。結局、選挙は政党の入替戦になるだけだ。それが野党各党にとって、この十年の教訓のはずである。

     

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