散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ふわっとした民意の顕れ方~統制はされるが、統合はなされず

2013年08月02日 | 政治
昨日の記事で本格的な2大政党制が10年を経て、争点の喪失に至ったことを書いた。また、一昨日の記事で民意はアベノミクスに対する様子見であることを述べた。では、安倍政権を中心とした政党側と民意との関係はどうだろうか。
 『この十年間に何が変わったか 20130801』
 『アベノミクスに対する様子見 20130731』

「様子見」とは、引いて見ていることだ。マスメディアを中心に官民挙げての投票推進活動にも関わらず、選挙の投票率52.6%は投票推進の言葉は一般国民の頭上を通り越したようだ。

しかし、逆にこれだけ投票推進活動をしても投票率が落ちたことは、ある種の意思の結果と見ることができるから、棄権した国民が政治・政党選択に無関心であったわけではないはずだ。

それでも、自民党が前回の衆院選よりも票を伸ばし、また、国会のねじれも解消したことは、当分の安心を得られる政権として民意は安部政権を評価したと言える。一方、1万8千円まで急騰した株価が一気に1万3千円に下落したこと、安倍首相の成長戦略発表時に株価が500円程度下落したことに象徴させるように、今後の道のりも平坦ではないことを示すと民意は受け取ったであろう。

従って、一時、円安・株高で景気が良くなる期待はマスメディアの報道で喧伝されたが、基本的な経済状況は変化なく、逆にエネルギー・輸入物品による物価高、消費増税等に生活は苦しくなる可能性も民意は認識したのではないか。

そこで、過大に期待されるのが成長戦略だ。しかし、政府に出来ることは、規制緩和、労働改革などであろうが、それもどこまでやる気があるのか不明であるし、更に肝心の主体が民間の中に見えてこない。

これをまとめる「ふわっとした民意」は次のように考えられる。
 1)アベノミクスは当分安心、しかし、様子見が必要
 2)社会状況は変化無、しかし、リスク有
 3)経済成長を期待、しかし、主体無

これに対して政党側の反応は及び腰だ。その象徴がラカルド・IMF専務理事の「消費税増税は予定通りに」の発言だ。結局、相も変わらず“外圧”による意思決定だ。国会のねじれは解消したにも関わらず。

麻生財務相を始めとして、関係閣僚が発言し、少し実施へ向けて盛り上げ、一方、安部首相は慎重に、事務局へ複数案を検討するよいに指示した状況だ。これが日本的な意思決定のスタイルだ。

これではトップリーダーによる民意の“統合”にはならない。決まっていることを実施するのであるから民意を“統制”することは出来る。しかし、今後の財政改革を含めて、できるだけ統合を目指すのが政治指導者の役割である。

これが昨日の記事で書いた“変われば変わるほど、元のまま”の具体的な顕れである。ここが日本の政治における最大の問題なのかもしれない。

      

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