
祖母の病室で読みかけていた『となり町戦争』(三崎亜記著/集英社/2005年)を読み終えた。情景描写とか荒削りな部分はあるにせよ、実際に起こっている戦争を実感できない主人公の立場にものずごく共感し、身震いさえ感じた。
自分の話になるが、こちらで持たせれている仕事の携帯電話には、
「B町で地雷が爆発し、兵士数名が重症」
「J町で政府軍と反政府軍の闘争があり、巻き添えとなった民間人数名が死亡」といったSMS(携帯メールのようなもの)が日々送られてきて、それに応じて非常事態対応策を練っている。
しかしながら、Colomboにいる自分自身が死傷者や戦闘を目撃することは、今のところなく、こうしたSMSによる通信や国内メディアによって情報を得ている。そして勤務時間後は、帰宅して飯の用意をしたり、ジムで汗をながしたりと、普段の生活をしている。
何が現実に起こっているのか、戸惑うことが多い。
自分の話になるが、こちらで持たせれている仕事の携帯電話には、
「B町で地雷が爆発し、兵士数名が重症」
「J町で政府軍と反政府軍の闘争があり、巻き添えとなった民間人数名が死亡」といったSMS(携帯メールのようなもの)が日々送られてきて、それに応じて非常事態対応策を練っている。
しかしながら、Colomboにいる自分自身が死傷者や戦闘を目撃することは、今のところなく、こうしたSMSによる通信や国内メディアによって情報を得ている。そして勤務時間後は、帰宅して飯の用意をしたり、ジムで汗をながしたりと、普段の生活をしている。
何が現実に起こっているのか、戸惑うことが多い。
私は先輩よりももっと「戦争」なるものの遠くにいますが
実感がわかないことへの共感、ぼんやりした読後感が
今も心に残っています。
目に見えてないものを感じるのは難しいです。
入ってきました。gitanさんだけ助かれば良い
訳ではないのは分っているけれど、無事を祈ら
ずにはいられませぬ。
阪神大震災も、宝塚線の車両事故も、直接生活
に関係の無い地域で暮らしている人々にとって
は対岸の火事。偉そうに言っていても、私とて
同じマンションに虐待されている子どもがいて
も、餓死しそうな独居高齢者がいても、多分
気付かないです。
もしかするとこの国も、冷ややかに「戦争」が
始まっているのかも知れません。
1本1本木を植える様に、gitanさんが人の
暮らしを作っていく。その積み重ねが地雷や
銃を葬ることにつながると、信じましょうね。
どうぞご無事で。私も生きます。
確かに目に見えてないものを感じるのは難しいですね。私たちが戦争をリアルと感じるのは、報道による戦闘や人が死ぬ様子のリアルな描写を受け取ったときなのかもしれません。
私が本を読みながら怖く思ったのは、いつのまにか戦争が実感がないまま始まっている、という状況です。さらに戦争行為が合法的といいますか、罪に問われない(公に人が殺せる)状況が生まれてくることに身震いを感じました。
一方で、国内が物騒になってきたとはいえ、人々には日々の生活があります。働いて稼いで家族を養っていかねばなりません。そんな現地職員や施工業者と仕事を共にしていると、自分も限界までやってみようと思います。もちろん、安全対策には所属組織からも厳しく言われておりますので、ご安心を。