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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

Logistic

2015年04月30日 | Nepal
朝から3つほど出ていた会議の合間に手が空いたので、Logistic担当者を手伝いに空港横の倉庫場所へ行く。空港の規模が小さい(?)からか旅客機だけでなく、貨物機の枠も混んでいて、今日着くか明日着くか、それも定かではない。

ようやく着いた救援物資を税関を通過させて、配布先に運ぶ前の一時待機場所で、搬送用のトラックを待って、荷揚げをしてと、そうこうしているうちに夜10時を回る。そこから事務所に戻って、簡単な報告者や事業提案書原案の作成をして、一日を終える。

in Kathmandu, Nepal

2015年04月27日 | Nepal
カトマンズ便は2割ほどしか席が埋まっていなくて、乗っていたのはレスキュー隊、援助関係者、もしくは海外で働いて家族が心配なネパール人のどちらかだった。

空港出口で、同じ会社のロゴを身に着けているスタッフが出迎えてくれてほっとする。飛行場のパーキングスペースに空きがないとかで、着陸態勢に入る前の迂回を何度も繰り返して、予定より4時間遅れて着いた。それでも辛抱強く待っていてくれた会社の運転手に感謝。

Bern

2015年01月25日 | Switzerland
ふと思い立って、スイスの首都がおかれているベルンまで日帰りで出かけた。家から2時間程で着いたので、大阪から名古屋に行くぐらいやなと思って調べてみたら、どちらも直線距離にして140キロ前後(起点をどこに置くかで少し数字は変わるが)と妙に納得。まあそんなことはおいといて、中心部は昔ながらの建物群がしっかり残っていて、世界遺産になっている。歩き回るには寒すぎたのだけれど、気分転換には良い小旅行だった。電車の車内放送が途中で仏語メインからドイツ語に変わり、別の国に来た印象を受けた。

震災5周年

2015年01月12日 | Haiti
今日はハイチで震災が起こってから丸五年がたつ。自分はもうハイチを離れてしまったのだけれど、前任地のことは長くいた分とても気になる。去年は日曜日だったので今日とは事情が違う。現地の同僚に聞くと、役所は店は閉まって、教会の特別礼拝に赴く人が多いとのこと。

先月末で、未だ105の避難所(キャンプ地)が解消されておらず、約8万人(正確には79,397人)がそこで生活していると、他の同僚が教えてくれた。先月には反政府派のデモンストレーションが激しくなって、首相が辞任。それに伴って、政府の関連機関が麻痺。早く後任を決めて、さっさと続きをやってほしいのだけれど、人選選びや公認作業に何ヶ月かかることやら。

そんな中、建設途中で離任した住宅事業が大詰めを迎えている。建築をされてる方ならわかるだろうが、様々な問題が複雑に絡んで生じる時期で、もうあと少しと工期を詰めると仕上がりに大きな差が出る。いろいろな確認の指示を出したいのだけれど、もう同僚に引き継いだのだから、聞かれるまでは黙って、よく頑張ってるなあとだけコメントする。

はじめに(2)

2014年12月31日 | Weblog
海外(=日本国外)生活が通算10年間を超えました。メールや手紙のやり取りの代わりに始めた、ごくわずかの知り合いにしか教えていないブログですが、いつのまにか日々訪れる方々の数が3桁に増えていました。今年(2014年)はもう少し頻繁に更新できるよう努力します。

尚、このブログは筆者の主観的なコメントですので、所属機関の意向を示すものではありません。

情報収集

2014年12月27日 | Switzerland
ジュネーヴでは、家族と住んでいる同僚が多いので、仕事外の時間は家族優先であったり、余暇の選択肢が素晴らしくたくさんあるので、これまで現場事務所に居たときのように同僚らと一緒につるんで何かをするという機会はほとんどない。最初は何をしたらよいか手持ち無沙汰であったが、慣れてくるとそれはそれで自分の時間の質を高めることが(自分次第で)可能なので、心地よくなってきた。

一方で、事務所内のゴシップなどを聞く機会がめったになくなったので、廊下でのすれ違いやエレベーター内での会話から、少し突っ込んで話をして情報を収集するという大切さも学んできた。

毎日やってくる何百通というメールで公式な情報は入ってくるのだけれど、記載されていない(行間に隠れた)情報云々まではわからない。カフェコーナーや喫煙スペースでよく時間をつぶしている同僚らを見かけるが、机に座ってメールや電話で必要なことを調べる自分よりも、彼らのほうが(本部での)仕事ができると評価される理由がだんだんわかってきた。

このあたりは国際機関だからとかではなく、どこの組織でもあてはまることだろうと思う。どんな情報を得ているか、情報を持っていなくてもすぐに得られるネットワークを持っているか、が仕事の鍵を握ることを経験した年だった。

Immebeule Clarté クラルテの集合集宅

2014年12月21日 | Architecture
スイスで生まれた建築家ル・コルビジェは、この国の10フラン紙幣に肖像画と作品が描かれている。その彼が設計した集合住宅がジュネーヴにあるので、天気がよかった今日、訪ねてみることにした。以前、偶然前を通りかかったのだけれど、その時は夜だったので良く見えず。今回カメラを持って再び訪問(外観だけ)。家から歩いて、40分ほどの距離に「クラルテの集合集宅」はあった。

コルビジェといえばコンクリートなんだけれど、この住宅は鉄骨造に壁面一体が後ろも前もガラスとなっている。メゾネットで居間の部分が2層分吹き抜けになっていたりと、設計当時(1930年)にはとても斬新だったはず。角の居間には空間をうまく利用して窓際に大きなオブジェが置いてあるのがよく見えた。1932年竣工にしては、えらく保存状態がいいなあと思ったら、6、7年前に大規模改修をしているとのこと、どうりで。市や政府もかなりのお金を出したようで、民間集合住宅を保存するためにいろいろな活動団体が動いたらしい。(そこまでこだわったのなら、一階に入っているレストランの場違いな看板も制限したらよいのに・・・。)

いずれは伝手を頼って中も見てみたい。

冬はあけぼの

2014年12月12日 | Switzerland
会社から車で20分ほどレマン湖沿いに走ったところにあるホテルで、朝9時からの会議。少し早く着いたので、広大な山々を前に、空が明るくなってくるようすを(寒さにこらえながら)見ることができた(写真は朝の8時半ごろ)。

冬はあけぼのと思わずつぶやいてみるも、冬はつとめての間違いと後で気づいた。

meeting, meeting and meeting

2014年12月08日 | Switzerland
Meetingが多いのはGeneveに来てからずっとなのだけれど、このところ夕方までかかったり、夕食を交えてするものもあって、気疲れが耐えない。今日は、毎日前を通っている国連ジュネーヴ事務局(写真、第二次世界大戦前まで国際連盟の本部があったところ)で会議があった。立派な施設で、中は迷路のようだった。

日帰りパリ

2014年11月20日 | France
息子の誕生日に家を空けるわけには行かないと言う職場のイギリス人の先輩に代わり、パリにある某建築学校の会場で仮設住宅の話を30分ほどする。聴衆は、緊急支援にかかわっている人か(授業の一環で借り出された)学生らが大半であった。

前日に、ハイチに居たなら仏語でプレゼンしてもらえませんかと聞かれたので、できませんと即答した。

あまり質問は来なかったのだけれど、休憩時間に『どうしたら将来このような仕事に就けますか』と尋ねにきた学生の瞳がキラキラしていたので、少しでも彼らの刺激になったのであれば、それでよかったのかなと思う。

世界遺産の葡萄畑

2014年10月19日 | Switzerland
過ぎ去った夏が戻ってきたような晴天の日曜日、ローザンヌのちょっと先(ジュネーブから電車で約1時間)のLutryへやって来た。

Lavaux地区に広がる葡萄畑は約35キロにわたるらしく、車窓からもよく見えるが、実際に小道を歩いてみると、その凄さがよくわかる。土を留める擁壁が山の上から下まで何十にもつくられている。他の農作物には適さない土壌だったらしく、約1,000年前から葡萄畑栽培が行われていたとのこと。大きなワイナリーがあるわけではなく、各村々で(小規模な)ワイン作りが行われている。開発がかなり制限されているのか、葡萄畑の中には近代的な建物は見当たらなかった。

Lutryの町も石造りの町並みで、ちょっと散策するには面白い。暇を持て余していた近所のおじさんの家は、17世紀からあるとのこと。ヨーロッパの歴史の一部を実感した。

秋の気配

2014年10月11日 | Switzerland
怒涛の9日間連続会議の中日、昼過ぎにプログラムが終わったので、同僚らと遅い昼ごはんを食べに旧市街へ連れて行ってもらう。ろくに観光もしてなかったので、こんなところがあったのかととても新鮮な気分になる。

ホット・ワインを飲みながら焼き栗を頬張り、今日は出勤していない同僚の到着を待っていた。ジュネーブに戻ってきて、ちょっとほっとして半日。気がつけば秋が始まっていた。

歯医者

2014年10月09日 | Switzerland
昨日、左下奥歯の詰物がガムを噛んでいたら取れてしまって、冷たいものや熱いものを口にすると結構しみる。また急な出張が入るかもしれないので、治せる時に治しておかないとと会議の合間に家の近くの歯医者を受診。

飛び込みでも診てもらえるのかなと思いつつ、受付に行くと予約の患者と患者の合間に見てもらえた。スイス人の女医さんで、こちらがフランス語ができないとわかるとすぐに英語に切り替えてもらって助かった。

レントゲンを取って、麻酔を打ってもらって、詰物をしてと診察は30分ほど。気になる診療代は、331スイスフラン(約3万7千円)!。何でそんなに高いのか質問しようにも、麻酔が効いて舌が普段以上に回らない。物価高のスイスはそんなものか。幸いにも会社の医療保険でほぼカバーされるらしい。6年前にコロンボで仮詰め、大阪で治療した歯と同じだった。

ジュネーブ到着

2014年10月04日 | Switzerland
夜通しの便で、朝11時前にジュネーブに戻ってきた。ジュネーブで過ごした期間よりも、アルビルに居た期間のほうが長かったので、戻ってきたというよりも振り出しに戻ってきた(どちらも戻ってきたに変わりないか。。。)という感覚。携帯番号とかATMのパスワードとか、思い出せず手がかりの書類をあさって対応する。

一応、何人かには無事に戻ってきたことを伝えると、近所の友人から昼ごはんができたところだから、食べにおいでのお誘い。ありがたい。こうして少しずつ町に馴染んでいくのだろうかと思う。

敷地見学

2014年09月30日 | Iraq
トルコとの国境近くのDuhok県にやってきた。仮設住宅を建てるために、政府から指定された土地を見に来た(写真)。農業地を簡単に造成して、プレハブをボコボコ立てていく予定。