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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

スラヴォンスキ・ブロッド

2015年10月16日 | Croatia
オパトバクのサイトがセルビア経由でやってくる移民・難民に十分に対応できないということで、政府が東に100キロほど行ったスラヴォンスキ・ブロッドいう町に新しいサイトが建設されることになった。事務所から様子を見てきてくれと指示され、正確な位置をわからないまま、行ったら(人に道を聞いたりして)何とかなるからとのスタッフの言葉を鵜呑みにして一人車を走らせる。

土地勘があればまだしも、クロアチアに着いてまだ40時間もたっておらず、そんな簡単にいくわけがないと思っていたら、案の定、行く先を見失った。1時間半ほどで、とりあえず町に着いたものの、『駅近くの線路沿い』、『○○工場に隣接』、『政府が建設中の新しいサイト』という情報しか持ち合わせておらず、途方にくれる。スタッフに電話すると、以下のSMSが送られてきて、これを見せて人に聞け、という。

"INA Rafinerija, Gornja Vrba Kraj Vindona hladnjaca"

ほかに方法もないので、玄関先で佇んでいる人(今日は天気がよかった)、配達中の運転手、雑貨屋の店主などに文章を見せて聞いて回る。それぞれ、だいたいあの辺という表現なので、あっちへ行ってはまた人に聞き、こっちに戻っては人に聞き、としていると場所が絞られてきて、さらに2時間後についに到着!
待っていてくれたクロアチア赤十字のスタッフと合流して、政府の担当者に挨拶する。ようきたなあ、と社交辞令とはいえ褒められた。

打ち合わせをしていると、内務大臣兼副首相がやってきて、『ハンガリーがクロアチアとの国境も今夜未明に閉じられる』という。それが実行されればドイツ・オーストリアへの道はスロベニア経由に絞られる。スロベニアが1日平均5千人の人々の移動に対応できなければ、人々はクロアチアで停滞してしまう。

オパトバツ

2015年10月15日 | Croatia
早朝に事務所代表と合流して東側セルビア国境近くのオパトバツという町にあるサイトにやってきた。道中の約3時間半は彼女のブリーフィングを受ける。運転しているので、メモも取れないし、資料も見れない状況が厳しかった。現場で他の同僚と合流する。

これ以上は詳しくは書けないし写真も撮れないのだけれど、このサイトはクロアチア政府が隣国セルビアから移動してきた人々をハンガリーに送るその中間施設とでも言おうか。

朝からずっと雨が降っていて、足元はぬかるみ、気温は摂氏8度ほどと冷えてきた。

ザグレブ

2015年10月14日 | Croatia
クロアチアの首都ザグレブに到着。

先月中旬にハンガリーがセルビアとの国境を閉じてから、多くの移民・難民がクロアチア経由でハンガリーに移動する結果になった。その数は、約1ヶ月で18万人(クロアチア政府発表)。そのうちの大部分の人々がクロアチア政府の対応で、24時間以内にセルビアからハンガリーに移動しているのだけれど、このまま同様のオペレーションを続けていくのか、まただんだん寒くなったのでその対応も兼ねて現地スタッフの応援に急遽やって来た。

夕方空港に着いて、予約されていたレンタカー(マニュアル車)を借りて、市内のホテルまで迷いつつ雨の中を運転して約1時間ほどで到着。明日は東へ約300キロほど移動する。事務所スタッフが少ないから、何でも自分でやらないといけないとは聞いていたが、土地勘のない自分にとっては、かなりのチャレンジに。

electric scooter in Mauritania

2015年09月01日 | Mauritania
夕飯を食べ行こうと部屋のドアを開けると、2m近いモーリタニア人が電動スクター(セグウェイのハンドル棒がないようなやつ)でサーッと目の前を通り過ぎていった。予想以外の出来事に何が起こったのか理解するのに時間を要した。

泊まっていたホテルは、国代表サッカー選手らの宿泊場所に使われていたようで、長い廊下でちょくちょく遊んでいる彼らを後々見かけた。

西アフリカ巡業

2015年08月30日 | Mauritania
西アフリカのモーリタニアにやってきた。空港から宿までの道、太陽光発電の街灯が並ぶ。

首都はヌアクショット(Nouakchott)というのだけれど、ニアメの空港で『ヌアコット(Nuwakot)に行きます』と言ってしまい、『え、どこ?』と聞き返されて、ネパールの被災した郡名を口にしたことに気づく。10日前まではインド洋を眺め、今日は大西洋側に到着。

偶然

2015年08月25日 | Morocco
出張でニジェールに向かう途中、カサブランカの空港で乗り換え。長いすが多く並んでいるところで、座って一息つくと横の人に声をかけられた。振り向くと昔の同僚のペルー人Aだった。

彼が2年半前にハイチから南スーダンに異動になってから、音沙汰がなかったのだけれど、偶然の再会。彼は夏休み明けでこれから現在の赴任地マリに向かうところ。お互いの近況、共通の知り合いのその後、そして昔話に花が咲いた。

ブルンジ難民

2015年08月14日 | Tanzania
                       (photographed by Joan Roisse)

ルワンダの南側に位置するブルンジでは、大統領が違憲とされる3期目に立候補した選挙に絡んで、今年4月末から治安が悪くなり、この7月末でおよそ17万人が身の危険を感じて隣国へ避難している。タンザニアでも8万人を超えるブルンジ難民が生じており、彼らの難民キャンプへの移動を中心にうちの組織が国連の支援を得て手伝っている。

写真は4日前のオペレーションのときに写真家Joan Roisse氏によって撮影されたもの。私がここで文章を書くよりも、訴えかけるものが遥かにある。

キゴマ

2015年08月14日 | Tanzania
ジュネーブからアムステルダム経由で赤道上空を通過し、タンザニアのダルサラームに着いて4時間ほど仮眠してから国内線に乗って1千キロ離れた西部のキゴマに着いた。飛行機を降りるとちょうど朝日が見えた(写真)。毎度のことながら空港で待ってくれている会社のスタッフを見つけるとほっとする。その後の移動や事務関係は任せて、任務に集中できる。

インターネットや情報の普及で、世界のどの場所も近くなったように感じるけれど、それは一種の錯覚であり、現場に行ってみないとわからないことが多い。2週間ほど前に急に命ぜられ、下調べを十分にできずにやってきてしまったけど、遠かった。。。2009年のエルドレット(ケニア)、2012年のゴマ(DRコンゴ)の出張に続いて、3回目のアフリカ。

夏休み

2015年08月03日 | Switzerland
7日間の夏休みを取って、スイス国内を鉄道旅行。このブログのテンプレートのように素敵な山並みが本当にあるのかと思っていたら、それ以上だった。

ブランチ

2015年06月28日 | Switzerland
ブルンジ事務所代表をしている友人のKが出張でやってきたので会うことになった。ゆっくり時間がとれる日曜のブランチで、と忙しい彼女が指定した店に出かける(写真)。なかなか感じのよい店で、路上の屋外空間で風を感じながら、時間をすごすのもよいものだと思った。

tremors

2015年05月12日 | Nepal
A few middle-size earthquakes occurred this afternoon. We don't know how seriously other towns are damaged yet. Our Nepalese staff are freaked out and I totally understand their fears. All work is suspended in the meantime.

集落崩壊

2015年05月05日 | Nepal
Sindhupalchockに来た理由は、地方事務所設置することなのだけれども、被害状況を知りたいので、調査班と車で2時間ほど走る。5、6キロごとに通過する集落は、ことごとく建物が壊れていて、この先彼らはどうするのだろうかと、ため息が出る。

被害が大きかったのは地震の規模が大きかったというのが一番の理由だろうけれども、石やレンガを積んで間を粘土で埋めただけの構造で柱がなくては壊れても仕方ないだろう。また谷底から吹き上げる風に屋根があおられないように岩盤を薄く切ったものが屋根材として使われていて、それらが家を押し潰してしまったようだ。尾根沿いに建っていることで、家屋の振動が増幅されたのかどうかは、機会があったら専門家の人に聞いてみたい。

Sindhupalchok

2015年05月04日 | Nepal
被害の大きかったといわれるSindhupalchokのChotaraという町にやってきた。しばらくの宿となるテントを設営。トイレは屋外、シャワーなし。トレッキングに来たと思い込ませて、夕焼けに映える山並みを見て一息つく。

震災後1週間

2015年05月02日 | Nepal
学期末のレポートに追われる学生のように事務所にこもって短期の事業計画書を仕上げる。メインをシェルターにするか半壊家屋の修繕にするか、今の時点では決めきれず、あいまいな原案のまま、文章力のある同僚に添削してもらう。

夕方になって、調査チームが日帰りで田舎町に行ってきたので、写真を見せてもらう(写真)。四国や中国地方の街道沿いの町のようなつくりで、多くの家屋が倒壊していた。運び出されたミシンが痛々しい。

どこから手に入れたのか救援物資リクエストに関して、今日は朝からひっきりなしに携帯の電話が鳴り続ける。ネパールの電号なので誰からかかってきているかもわからず、とりあえず出てはリクエストや不満を延々と聞かされる。明日から短期採用で新人が来るので、どのくらいの事務的能力があるかのチェックも含めて、初日は電話番をさせてみよう。

観光客街

2015年05月01日 | Nepal
暖かい食べ物と金巻尺(アブダビ空港での手荷物検査時に危険物とみなされて没収されてしまった)を探しに街中をうろうろする。ほとんど店が閉まっている中で、観光客が集まるところは平常営業している店がわりとあった。パン屋を見つけて、同僚とパンをかじる。

死亡者数がどんどん増えているが、海外からの観光客で亡くなった方の数がほとんど入っていない(らしい)ので、最終的には1万人を超えると思われる。