今回の本部出張は昨年と同様、Shelter関連の会議に参加すること。それと、いろんな部署にお礼参りすることが目的で、お気楽気分でGenevaにやってきた。しかし、今日の打ち合わせで、自分が最終日にプレゼンをすることになっていると知らされる。ホテルの窓から見える街を訪れる人々がうらめしい。
朝飯をのんびり食って、駅まで歩いて電車に乗って、搭乗時間の1時間半ほど前にシャルル・ドゴール空港に到着。Eチケットをもとに機械でCheck-inするのだが、うまくいかない。おかしいと係員に文句を言うと、
翌日のチケットだった。
午後からGenevaで予定が入っているので、出直しするわけにもいかず、なんとかチケットを変更して、荷物のチェックインもセキュリティ・チェックもこなし、予定(と思い込んでいた)通りの便で移動する。どこでどう間違ったのか、まあ間に合ったからよいが、気をつけないとと反省。
搭乗ゲートのある建物には、冷暖房の送風口がないなあと見ていたら、腰壁に内蔵されていた(写真)。なるほど。
翌日のチケットだった。
午後からGenevaで予定が入っているので、出直しするわけにもいかず、なんとかチケットを変更して、荷物のチェックインもセキュリティ・チェックもこなし、予定(と思い込んでいた)通りの便で移動する。どこでどう間違ったのか、まあ間に合ったからよいが、気をつけないとと反省。
搭乗ゲートのある建物には、冷暖房の送風口がないなあと見ていたら、腰壁に内蔵されていた(写真)。なるほど。
建築をかじったことのある人なら、何の説明もいらないであろう超有名なサヴォア邸(1931年竣工:ル・コルビジェ設計)。電車と徒歩でパリ中心部から向かうこと小一時間で到着。
80年も前に存在したとは思えない斬新なデザイン。屋内スロープがごく自然に納まっていて、内壁の色がとてもおしゃれ。近代建築の第5原則(よく試験に出たなあ)を実現させた20世紀を代表する住宅(別荘)を前に、自分ならどう住みこなすか想像してみる。
4年前のロンシャンの教会に続くコルビジェ作品巡礼。次回はまた数年後か。
80年も前に存在したとは思えない斬新なデザイン。屋内スロープがごく自然に納まっていて、内壁の色がとてもおしゃれ。近代建築の第5原則(よく試験に出たなあ)を実現させた20世紀を代表する住宅(別荘)を前に、自分ならどう住みこなすか想像してみる。
4年前のロンシャンの教会に続くコルビジェ作品巡礼。次回はまた数年後か。
配車が変わり、ダイハツ社のTeriosからフォード社のEverestで通勤することになる。外音との遮断性やスピーカーの性能などの音響環境がかなり改善され、持参したCDをいろいろかけて、渋滞中も楽しめるようになった。弦楽器の音の鳴り始めに弓が弦に当たって、一瞬ガリッという音も聞こえて、大満足。
神戸の震災以降、敢えて聞いていなかったブラ1(ブラームスの交響曲第一番)にもつい手を出し、忘れようとしていた記憶が走馬灯のようにかけめぐった。当時所属した大学オケの演奏会前日にあの震災が起こった。メインの曲目はブラ1だった。一方で右大腿骨にピン球ほどに大きくなった腫瘍が見つかったのがその演奏会の1ヶ月弱前。自分の存在がこの世から消えてしまう前にどうしても最後に舞台に立っておきたくて、無理を言って演奏会に出してもらえるように段取りしてもらった矢先のこと。ま、そんなこともありました。
とにかく、ハ短調(C-minor)で始まる第4楽章が途中で長調に展開し、流れてくる旋律は壮大な光あふれた草原を思い出させる。どんなに辛いことがあってもいつか報われる、16年たってやっとそんな曲の聞き方ができるようになった。
神戸の震災以降、敢えて聞いていなかったブラ1(ブラームスの交響曲第一番)にもつい手を出し、忘れようとしていた記憶が走馬灯のようにかけめぐった。当時所属した大学オケの演奏会前日にあの震災が起こった。メインの曲目はブラ1だった。一方で右大腿骨にピン球ほどに大きくなった腫瘍が見つかったのがその演奏会の1ヶ月弱前。自分の存在がこの世から消えてしまう前にどうしても最後に舞台に立っておきたくて、無理を言って演奏会に出してもらえるように段取りしてもらった矢先のこと。ま、そんなこともありました。
とにかく、ハ短調(C-minor)で始まる第4楽章が途中で長調に展開し、流れてくる旋律は壮大な光あふれた草原を思い出させる。どんなに辛いことがあってもいつか報われる、16年たってやっとそんな曲の聞き方ができるようになった。
Port au Prince名物の交通渋滞。職場近くの交差点で、渋滞に巻き込まれること約1時間。交差点までやっと進んで、信号機が動いていないことが原因と判明(写真)。多分、2日前の暴風雨が原因だろう。普段は、警官が交通整理するのだが、今日は土曜日。多分休みなのだろう。このぐちゃぐちゃ具合に慣れるのが、この国で働くコツだろう。
ご縁があって、自衛隊の駐屯地に初めてお邪魔した。全てがきちんときれいに整っていて、隊員の方々は皆さん丁寧で、別の国というか日本に戻った気分を一時満喫。お昼に食堂でごちそうになった肉じゃがと日本米に舌鼓を打つ。
実物の鯉のぼりを見たのは何年ぶりだろうか(写真)。日本を離れる前の家族旅行以来か?
実物の鯉のぼりを見たのは何年ぶりだろうか(写真)。日本を離れる前の家族旅行以来か?
別部署のカウンターパート(対応相手)である政府機関の引越先の物件の耐震診断をしてほしいというので、うちのスタッフを連れて見に行った。寝室数が7つもある豪邸で、わりとしっかりした設計になっている。と思ったのもつかの間、2階へあがる階段上の梁(beam)が邪魔だったらしく、見事に切り取られている(写真)。さすがに驚いた。
図面を持っているだろう元の家主の居場所を訪ねると、
『He is in a jail.』とのこと。
投獄されて、政府に権利が移った(没収?)らしい。補強工事や化粧直し後に出先事務所として7月頃より使われるとのこと。
図面を持っているだろう元の家主の居場所を訪ねると、
『He is in a jail.』とのこと。
投獄されて、政府に権利が移った(没収?)らしい。補強工事や化粧直し後に出先事務所として7月頃より使われるとのこと。
Easterのお休みで3連休。せっかくの連休なのに、日々の仕事に追われて休暇の予定を十分に練られなかった(といっても選択肢は知れているが)同僚らとなんとなく過ごしていたら、ITスタッフのA君(ギニア人)からお家での食事に呼ばれて、喜んで伺う。想像以上の料理とその旨さに一同感動(写真)。
集まったメンバーは、ホストのA君以外に、ケニア、ザンビア、コンゴ、コートジボアール、チャド、インドネシア、そして日本(自分)からの計8名。アフリカ率高し。このうち5名がイスラム教徒でお酒はなしで、それでも異様に盛り上がった。アフリカ・パワー全開だった。
集まったメンバーは、ホストのA君以外に、ケニア、ザンビア、コンゴ、コートジボアール、チャド、インドネシア、そして日本(自分)からの計8名。アフリカ率高し。このうち5名がイスラム教徒でお酒はなしで、それでも異様に盛り上がった。アフリカ・パワー全開だった。
同僚らに誘われて陸路で隣国ドミニカ共和国のビーチに海水浴にやってきた。道中に、どうも景色に見覚えがあると思い返したら、町の名はBarahona、そう去年の出張帰りに間違って着いた空港がある町だった。どうりで。
思い出した悪夢を忘れ直して、海辺でくつろぐ。青い空、青い海、そしてビール(写真)。新鮮な焼き魚を頂き、大満足した。
思い出した悪夢を忘れ直して、海辺でくつろぐ。青い空、青い海、そしてビール(写真)。新鮮な焼き魚を頂き、大満足した。
日本国民を代表して世界各国への震災復興支援に感謝する管首相のメッセージが、在ハイチ日本大使館経由で、うちの代表Lのもとにも届く。その内容は首相官邸のサイトからも参照できる。
外交文書らしく、当たり障りのない文章が並んでいるが、やはり原発や今後のODA(政府開発援助)については触れざるを得ないのだなあと再確認する。
実際のところの現首相が現時点で交代すること(=方針が変わる、つまり現場が振り回される)は、継続するよりも災害復興にとって不利益になるであろうから、周囲があら捜しをするよりも協力体制を築いて欲しい。
文末に引用された諺 "a friend in need is a friend indeed(まさかの友は真の友)"には、なるほど。
外交文書らしく、当たり障りのない文章が並んでいるが、やはり原発や今後のODA(政府開発援助)については触れざるを得ないのだなあと再確認する。
実際のところの現首相が現時点で交代すること(=方針が変わる、つまり現場が振り回される)は、継続するよりも災害復興にとって不利益になるであろうから、周囲があら捜しをするよりも協力体制を築いて欲しい。
文末に引用された諺 "a friend in need is a friend indeed(まさかの友は真の友)"には、なるほど。
復興のとっかかりは計画を立てることだが、現場の第一歩は瓦礫除去だろう。この仕事は、ショベルカーやダンプカーでの力仕事のように思えるが、地権、敷地境界、所有物、遺体(身元確認、処理)など複雑な問題が絡み、そう簡単には進まない。経費もけっこうかかる。
ハイチでは瓦礫除去の成果が目に見えるまで半年以上かかった。現場では震災から1年以上たち、白骨化した遺体を発見すると、震災か他の事件に巻き込まれた犠牲者か素人目には判断がつけがたく、警察や医療関係者の指示を仰ぐ。
(写真は現場の作業風景で、撮影はうちのスタッフによる)
ハイチでは瓦礫除去の成果が目に見えるまで半年以上かかった。現場では震災から1年以上たち、白骨化した遺体を発見すると、震災か他の事件に巻き込まれた犠牲者か素人目には判断がつけがたく、警察や医療関係者の指示を仰ぐ。
(写真は現場の作業風景で、撮影はうちのスタッフによる)

仮設住宅の竣工戸数がようやく5,000戸を超え、お互いの健闘を称えるとともに事務所前の広場で記念撮影(私は写っていない)。カメラのファインダーごしに見る同僚らの達成感あふれる笑顔を見ていると、「ハイチで震災復興するよりも、日本でしたほうがよいのではないか」と迷い、国は異なるが同じ人間を天秤にかけていたここ数週間の自らの考えの未熟さに気がつく。
いろんな困難を乗り越えて、ハイチの5,000世帯の家族に仮設住宅を贈ることができたのは素晴らしいことで、今の仕事を全うすることが自分に与えられた使命と自らに言い聞かせる。