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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  律令体制の成立と美濃・各務野 ①大化の改新と大宝律令が生まれた時代背景

2017年07月28日 22時38分08秒 | ヒストリー各務野会

今日は第4金曜日でヒストリー各務野会が有った日でした。
今回の講師は大塚 章さん。県立岐山高校の先生です。


今日の講師。大塚 章先生。
現役の高校の先生です。




大化の改新より前の時代を「大化前代」と言います。
日本史における時代区分、とあります。




冠位制の変遷です。
推古天皇の時代は12の階制だったのですが、年代が移るに連れて細かくなり、天武天皇の時代には30階にまで進みました。
大宝律令では正一位とか従一位となり、それに上下が加わります。




上が中国の律令で下が日本の律令です。
このような所も日本が中国を手本としたところでしょう。
推古朝の十七条憲法から延喜式へと進んで行きます。



遣唐使・関係者一覧です。
左が天皇の名です。そして出発年。300年近く続きました。北路と南路が有ります。不確実なものには?が着いています。想像ですが、北路は朝鮮沿岸を辿っていった。南路は琉球経由では無いでしょうか。
空海や菅原道真の名も有ります。
2012年9月に西安へ行った時、阿倍仲麻呂の名が刻まれた石碑を目にしました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/2e11641a0fa44ae3b49a3209e89b5918

海路の旅も大変なのですが、唐へ着いてからの陸路も大変だったろうと想像しました。
過去の海外旅行で見た場所と講義で聞いた事が結びつく。
その事が面白いです。



「律令」を呼んでみようの演習です。



①令集解巻第十と書かれています。
その下の四角の中。金沢文庫と書かれています。
金澤文庫で持っているのだそうです。かつては原文の者が見られたそうですが、今では見る事が出来なくなったそうです。
唐のモノを手本にしていますので漢文で書かれています。



養老 戸令 23 応分条。
漢文とその解釈です。

 

感想
現役の高校の先生が高校生に講義するように話されまして、私の理解度はイマイチでした。
中国を手本にして、日本の法律を作っていきました。(間違っていましたらゴメンなさい)そのような感覚で捉えたのです。
それでも、かつて行って来た西安と、今日の講義が結びついた事が面白かったです。



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