Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道 その2

2021年03月06日 23時41分47秒 | 各種講座

「ボランティアガイドと歩く  各務原の中山道」と言う短期講座の2回目です。前回は鵜沼宿から各務原市産業文化センターまでを歩きました。今日はその続きで各務原市産業文化センターから岐阜市加納の加納天満宮まで歩きます。


各務原市産業文化センターが集合場所となっていました。
欠席者が有り、前回より少ない人数です。



ハッピを着たリーダー。
鵜沼宿のボランティアガイドが案内役を務めてくれます。



最初に寄った場所が各務原市民公園の一角です。
長塚 節の歌が刻まれた石碑に向かってボランティアガイドの説明が有りました。



ボランティアガイドが地図を使って説明してくれます。
この辺り、中山道で松並木が続いていました。
今の状況からは想像できない変わり方です。



那加橋の西側の所です。
ここには、何という種類なのか分からないですが、サクラの木が有ります。
他のサクラよりも早く開花します。
もう、蕾が膨らんでいます。




民家から出ているアセビです。
白いアセビは珍しくありませんが、ピンクのアセビは珍しいです。



新加納の入口です。
左の石柱。
中山道間の宿新加納と刻まれています。



民家の入口に立派な松です。
普段、車で前を通っていても気が付かないですが、ウオークしてこんな所にこんな物が・・・・・と気が付くことが有ります。

 


新加納の一里塚の所まで来ました。
元々の中山道は桝形で、ここから真っ直ぐ進んでいたのですが、交通の便が良くなるようにと右にカーブしていく道が附けられました。


間の宿新加納の解説板です。



新加納から西へ来て、各務原市岐阜市の境界辺りに来ました。
前方は東海北陸自動車道の高架でその先に伊吹山が見えます。
昨日の雨で雪が減っています。

 


岐阜市蔵前の手力雄神社へ来ました。



手力雄神社の南側を境川が流れています。
地図を使って説明ですが、境川は木曽川であり、かつては尾張と美濃の境界でした。
色で表示している部分は古い木曽川の流路です。



中山道を歩いています。

 


切通陣屋跡に寄りました。



切通陣屋の説明板です。
平藩が美濃を治めていましたが、本国から遠く離れたを治めていて、問題が有ったと書かれています。





かつての切通し陣屋跡の配置図です。
切通観音が残っているだけで、その他には遺構などが残っていません。





細畑の一里塚へ来ました。
中山道を挟んで1対の塚が残っています。
このように塚が対で現存するのは珍しいそうです。

 


領下の地蔵堂へ来ました。
道標を覗き込んでいます。



伊勢 名古屋ちかみちと彫られた道標です。
左に向かうと鮎鮨街道を経て笠松に向かいます。

 


加納地内へ入ってきました。
下を流れる清水川。
カモが群れていました。



中山道加納宿まちづくり交流センターへ来ました。
この施設。加納町役場跡に設けられた施設です。



交流センターの内部です。
加納が城下町で有って、パノラマ模型です。

 


今日のお昼。
ボランティアの会で用意してくれました。
たっぷりアンコが入ったアンパンでした。

 


老舗のうなぎやさん。

 

 


民家の壁に皇女和宮の歌碑の解説が有りました。
この解説板の横に歌碑が有りました。

 


加納天満宮に到着です。



今日の歩行数です。
13キロ余りを歩きました。


最後に
街道を歩きましたが、道を歩くと言う事は普段、目にしない景色が見えてきます。
こんな所ににこんな立派な松がと思いました。
2回目は3月に入りました。季節の移ろいを感じました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする