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美濃路ウォーク2012  そして、素人ちんどん大会  12.10.21

2012年10月22日 21時40分38秒 | ウオーキング & ご近所散歩

美濃路ウォーク実行委員会の主催のウオーキング大会が開かれたので、行ってきました。4キロ。7キロ。15キロのコースがあり竹鼻線の須賀駅から歩く7キロのコースを歩きました。
今回歩いた美濃路は東海道の宮宿から中山道の垂井宿までを結ぶ街道で、関が原の戦いで勝利した家康が通ったと言われ、享保の時代には吉宗に献上する象がここを通過しました。

須賀駅(8:54) ― 一里塚跡(9:14) ― 金比羅神社(9:31) ― 濃尾大橋 ― 
起渡船場跡(9:54)~(9:57)  ― 起宿  ―  尾西民俗資料館(10:10)~(10:25) ― 
冨田一里塚(10:41)~(10:51) ― 市川房江生家跡(11:16) ― ゴール(11:26)

 
今回歩いた7キロコース。
一宮市尾西歴史民俗資料館発行。


名鉄竹鼻線で須賀駅まで行きました。
列車の運転手は女性運転手でしたが、まだ運転経験が浅いのでしょう。
教官が同乗していました。


ウオーキングの開始に先立ち、岐阜県ウオーキング協会会長の挨拶です。
この後、須賀駅から歩き始めました。


正木小学校の一角に一里塚の石柱が有りました。


すぐ横に有った美濃路街道の説明が有りました。


岐阜県側の金比羅神社と説明板。


堤防の下を歩きます。
セイダカアワダチソウが黄色い花を付け出しました。


濃尾大橋を渡ります。
尾西民俗資料館の渡し舟の歴史で、昭和31年に架橋されたと有りました。



愛知県側の金比羅神社です。
この場所から渡り舟が出ていました。


この日は尾西の秋祭りの日でした。
子供たちが獅子頭を持ち、町内を回っていました。


尾西民俗資料館。


館内に象が辿ったコースの解説が有りました。


資料館の別館です。


萩原へ向かう途中、冨田一里塚で美濃路の解説をしてくれました。
後から判りましたが、この人は資料館の学芸員でした。


歩いていて、寄って行く様に勧められました。
一里塚の広場で椅子を並べ、美濃路の学習会です。


キンモクセイの香りが漂い、秋を感じさせます。


歩いている途中に市川房江の生家跡が有りました。


いよいよ、萩原の町に入ります。
入口にはちんどん大会の看板が。


ゴールに到着です。
祭り会場の中心にゴールが有りました。


ちんどん屋が祭りを賑わせます。


ステージの上ではコンクールが。


ちんどん屋さん。
他の人の演技が気に掛かります。


可愛い親子のちんどん屋さん。


正面に回ってシャッターを押したかったのですが、止めました。



ベトナム生まれの象が街道を歩きました。現在の名で揖斐川、長良川を超え木曽川まで来て、船に乗せて川越えをしようとしましたが、珍しい象を見ようと近郷近在から多くの人が訪れ、その多さにびっくりしたようです。
当時は、象を見ることが出来るのは生涯に一度有るか無いかの事であり、沢山の人が押し寄せたのでしょう。

ベトナムから船に乗ってきたのだから、船を直接江戸に向かわせれば済むことですが、遠くから象を持ってきたと鼓舞したかったのでしよう。つがいの象でしたが、雌象が環境の変化から死んでしまいました。
今日のようにメディアの発達していない時代。人から人へ口伝えで、象が来るげなと伝わりました。言うならば象のパレードです。何時間も前から沿道で象の到着を待ち続けたのでしょう。

 象が歩いた街道の詳細は尾西民俗資料館で知ることが出来ます。

 コースの途中に市川房江の生家跡が有りました。
説明板によると、母親が父親に暴力を振るわれるのを子供の目で見ていて、女性の弱さを感じ、婦人運動に傾倒していった事がわかりました。
市川房江の名は知っていましたが、このような近くの場所にあることは知りませんでした。
新しく知る事が面白いです。

コメント
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