先日、妻が階段でつまづき、正面の手すりに頭をぶつけてしまったそうです。
帰宅してその話を聞いた時、「何てドジなんだろ」とつい思ってしまいました。

心配する前に非難したくなってしまうのは、何故なんでしょう? 身近な相手
に対して程そう思ってしまうのは、私が優しくないからなんでしょうかねぇ。
最近楽しみにしているテレビに「嫌われる勇気」という番組があって、その中に
アドラー心理学が登場します。アドラーは、今ちょっとしたリバイバルブームなん
だそうですよ。アドラー的に言うと、階段でつまづかないようにするのは 《本人の
課題》 ということになります。本人が課題を達成出来なかったからつまづいただ
けのことで、他人がそれを非難するのはお節介ということになるのでしょうか。
それでも非難したくなるのは、「ちゃんと課題を達成してくれよ」と、励ましたくな
ってしまうからなんでしょう。とすれば、励ましというのは考えものですね。 課題
を達成出来ずにいる人から見たら、励まされる度に非難されなければならなくな
ります。正直に心配を伝えれば良いのに、なかなかそれが出来ない。出来ない
のは、アドラーに言わせればこちらの課題というわけですが、この課題、私以外
にも沢山の人が抱えているのではないかと思うのです.。
帰宅してその話を聞いた時、「何てドジなんだろ」とつい思ってしまいました。

心配する前に非難したくなってしまうのは、何故なんでしょう? 身近な相手
に対して程そう思ってしまうのは、私が優しくないからなんでしょうかねぇ。
最近楽しみにしているテレビに「嫌われる勇気」という番組があって、その中に
アドラー心理学が登場します。アドラーは、今ちょっとしたリバイバルブームなん
だそうですよ。アドラー的に言うと、階段でつまづかないようにするのは 《本人の
課題》 ということになります。本人が課題を達成出来なかったからつまづいただ
けのことで、他人がそれを非難するのはお節介ということになるのでしょうか。
それでも非難したくなるのは、「ちゃんと課題を達成してくれよ」と、励ましたくな
ってしまうからなんでしょう。とすれば、励ましというのは考えものですね。 課題
を達成出来ずにいる人から見たら、励まされる度に非難されなければならなくな
ります。正直に心配を伝えれば良いのに、なかなかそれが出来ない。出来ない
のは、アドラーに言わせればこちらの課題というわけですが、この課題、私以外
にも沢山の人が抱えているのではないかと思うのです.。
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