元気UPブログ

心が元気になるような記事を紹介するようにしています。

寄り添い方も色々

2023年11月23日 | 日記
 寄り添うという言葉は、お葬式のコマーシャルでも登場します。最近入院することになった身とすれば、お葬式の関係者に寄り添って欲しくはないのですが、寄り添うという言葉には何やら心地良さを感じます。
 
 チャットGPTで調べたところ、「お互いに近づいて支え合ったり、共感し合ったりすること。」という返事が返って来ました。支え合う・共感し合うことが、心地良さの正体なのかもしれません。なるほど、夫婦や恋人、極めて親しい友人同士であれば納得なのですが、寄り添うことが求められる他の関係ではどうでしょう?

 看護師は患者に寄り添ってくれますが、共感してはくれません。患者の痛みや辛さに一々共感していたら、仕事にならないからです。教師やスポーツのコーチもそうです。彼らの目的は生徒や選手の成績を伸ばすことなので、一人一人に共感していたら仕事にならないのです。つまり、看護師や教師、スポーツのコーチなどに、チャットGPTの答えのような関係は期待出来ないということになります。

 そこで恐れ多いのですが、チャットGPTの答えは却下することに致しました。寄り添うとは、『相手が必要とする支援を提供すること。』と私流に解釈することにします。その方が、どのような関係においても当てはまると思えるのです。
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『古今和歌集』恋の歌

2023年11月16日 | 日記
 NHKの100分で名著、今回のテーマは古今和歌集です。体調が悪い時は和歌どころではないでしょうから、和歌の番組が目に留まるようになったのは、体調が良くなった証でしょう。古今和歌集といえば、有名なのは小野小町、小町といえば恋の歌。古今和歌集1,100首の内、3分の1が恋の歌だとか。
 
 解説者の話しによると、恋というのは相手を想う心であり、2人の間に距離があることで恋は深まって行くのだそうです。この距離というのは、1つは心の距離であり、2つ目は地理的な距離のことです。この距離を少しづつ埋めながら気持ちを深めて行くのが、平安時代の恋のテクニックだったようです。

 なるほどなぁと、手紙しか伝達手段のなかった中高生時代を思い出していました。現代はといえば、携帯で相手の顔を見ながら話を出来るので心の距離も近くなり、飛行機や新幹線でどこにでも行けるので地理的な距離も近くなりました。その分、少しづつ気持ちを深めて行くという努力をしなくなってしまったのが、私達現代人なのではないでしょううか。便利なようで、味気ない気もしてきます。

 最後に、私の住んでいる下妻市には、小野子町(おのこちょう)という町名があります。これ、(おののこまち)と呼んだ方が町おこしになるんじゃないかと思うのですが、そうした声が一向に上がってこないのが不思議です。

 

 
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親子の絆

2023年11月09日 | 日記
 我が家は一人娘ということもあって、娘が中学生の頃までは、缶ジュースを回し飲みしたりしていたのですが、高校生になる頃からはそうしたこともなくなりました。親離れ・子離れしたのがその頃だったのでしょう。親子が絆のようなものを実感するのは、その頃までなのかもしれません。

 それから20数年、どういう風の吹き回しか、娘が私の手術に立ち会ったり、医師との面談に立ち会ったり。思えば私もそうでした。若い内は、親はいつも元気でいて当たり前のように思っていますからね。入院したりすると、いつも気にしないでいた分、ショックが大きいのかもしれません。であれば、親がいなくなるかもしれない不安を感じてもらうことは、親子の絆を確認するためには必要な条件、と言えなくもないですね。
 
 その娘、来春に車を買い替える予定でいるのですが、車イスからでも乗り降りしやすい車種にするのだそうです。どうも私のことが念頭にあったようです。今乗っている車は、私の父親が車イスを使い始めた頃に買った車で、車イスごと移動出るようにと選んだものでした。私の記憶では、父親と車イスを乗せたのはたった1度きり。今度の新車、どのくらい私のために活躍してくれるのでしょう?
 
 

 
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2度目の入院は個室に

2023年11月02日 | 日記
 前回の入院は4人の相部屋で、静養するには少し騒々しかったので、今回は個室を申し込みました。なかなか空きがないということでしたが、運よく入ることが出来ました。贅沢かなとは思ったのですが、今回は自分へのご褒美ということにしました。

 意外だったのは、頼まないのに毎朝朝刊をもってきてくれるんです。その時だけは、個室に入っている特別感のようなものを味わうことが出来ました。ただ食事は個室も相部屋も同じです。おやつもコーヒーも付きません。

 前回は心臓、今回は脚のカテーテル治療だったのですが、部分麻酔なので意識はしっかりしていて、今何が行われているのかハッキリ分かるんです。医師たちの会話もハッキリ聞き取ることが出来ます。ただ内容がサッパリ分からないので、却って不安な気持ちになったりします。

 そんな不安な気持ちになった時、私は先の楽しみを考えるようにします。前回は、退院したら甘い物を食べようと思って、甘い物を思いつくだけ想像してみました。甘い物は前回想像し尽くしたので、今回は夕食の献立を想像してみました。塩分制限があるというのに、すき焼きにウナギのかば焼き、思い付くのはショッパイものばかり。そこで思いついたのがドジョウです。ドジョウ鍋はショッパイから、味噌汁仕立てにしよう。そんなことを考えている内に、1時間の治療が終わりました。

 
 
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